2002 in Odaiba. カクテルゲーム・パーティ&セッション --Cooktail Game Party and Session--夜景


カクテルゲーム・ショートショート

2002年のスローダイス
近藤功司


 羽田空港が今よりも内陸よりにあって、2500しかない滑走路にトライスターが上がったり、下がったりしていたころ、ここには誰もこない夜の砂浜があって、たった一台だけ屋台のクレープ屋がいたんだ。ぼくらはまだ十分に青くて、雑誌の仕事が終ると誰かのスカイラインにのって砂浜まできて、真上にある切れるような満月をみて、どうにかしてゲームをしながら食べてゆく方法はないかしらんと考えていたんだ。ラジオにはまだJ−waveもなくって、クルマの音楽は、誰かの「エアチェック」したオリジナルテープというやつだった。猫のひたいのようにせまい、池みたいな東京湾だけれど、お台場は、まっくらな海に浮かんでいて、意外と大きくて、そのうしろに東京タワーがみえていたけれど、誰もが何もしらなかった。
 ここに橋がかかるって本当?
 あるとき、外資系の広告代理店に勤めはじめたK子が、どこからともなく、そんな噂をききつけてきた。
 まさか--
 こっちから、あっちまで、ずーっと橋がかかるのよ、わたし聞いてきたんだから。
 それって--
 何年も先のこと? 信じられないよ・・・。
 そう、ぼくらの想像力なんて、そんなものだった。

「メルド!」
橋が置かれて、コンチネンタルホテルがアメリカンホテルに吸収されるみたいに、あっけなくお台場は、光の噴水になった。

 そのころぼくらは、例の一番長い距離を走ったら勝ちというゲームをやっていた。50マイルとか200マイルとか、キロ数が書かれたカードを出していって、一番最初に1000マイル走った人が勝ち、というやつだ。そのあいまに、パンクだとか、交通事故だとか、制限速度だとか、そんな意地悪なカードをだしてじゃまをする。たしか、そんなゲームだった。ぼくらは、そんな風にして自分の人生のカードをのばしたりしながら、互いに意地悪をしあっていたんだと思う。
 ある夏のこと、仲間で一番要領の悪い友人のFが、突然、東海岸に行くといいだした。誰も知らなかったんだけど、Fの親父は大手の証券会社の重役だったらしく、いろいろ聞くとそのコネクションで、ビジネスを学ぶための留学だということらしい。出発の前日は朝まであそんだ。
 みんなでそのゲームをやった。Fが出すカード、出すカード、みんなでじゃまをした。さよならF、手紙ぐらいくれよな。

 そのゲームは6人で遊ぶこともできた。
 そのときには、それぞれが1台のクルマを走らせるんじゃなくて、向かい合わせに座った2人がペアになって1台のクルマを走らせるのだった。
 ぼくは、そのころつきあっていたK子とペアになるのがイヤだった。2人がペアになると決まってクルマは、難行した。
 どっちかというと、別のクルマになって、互いにじゃましあう方が好きだった。
 そんなことをしていたら、ある朝、彼女は転職して大阪に行ってしまった。
そういうものかもしれない。

 まだ、お台場がまっくらだったときのお話である。

 最後にお酒のハナシをしておこう。
 パーティにカクテルはつきものだけれど、ジンにベルモットをステアするとマティーニになる。このときのベルモットの量は少なければ少ないほど通人ということになっていて、1:4ならノーマル。1:5だとややドライ。1:6以上だとドライということになっている。
 有名なサー・ウィンストン・チャーチル卿は、グラスに1滴だけベルモットを落とした超ドライなマティーニを好んだということだけど、これなんて僕らが何回試しても、ドライジンそのものと区別がつかなかった。
そこで、ぼくらのレシピはこうなった。
 ジン・・・・・45ml
 ベルモット・・適量
 さいころ・・・1個
作り方はこう
(1)ミキシンググラスにジンを入れ、さいころを振る。
(2)さいころで出た目だけ、ベルモットをダッシュする。
(3)さいころの目が[・]だったらレッドチェリーを特別に飾り大笑いする。
このカクテルの名は、スローダイス。とりあえずとうぶんのあいだ、ぼくたちのカクテルということにしておこう。

 乾杯!
 &ナイスゲームを!


 
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