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#01 セイテンノヘキレキ
「絶対許さん! ……どこのどいつだ!? ぜーったい、ゆ・る・さ・ん!」
6月1日月曜日、昼休み。
古橋芽衣は今まで生きてきた15年の人生で一番レベルの怒りで沸騰せんばかりになりながら、口の中で呪詛の言葉を繰り返しつぶやき、廊下を歩いていた。
小学校1年生から続けていたチアダンスを半年お休みし、その間死ぬ気で受験勉強して、念願のM高に合格(スポーツ強豪校として全国的にも有名な私立M高等学校は実際問題あんまり猛勉強して入るレベルの高校ではないものの、中学生時代にスポーツで輝かしい成績を残したわけでもない芽衣がM高に入るためには、入試の成績で何とかするしかない)。入学して早々、甲子園や国立競技場でのスタンド応援で全国的にも知名度のある女子ダンス部に入部。芽衣にとってこれはM高入学最大の目的で、このダンス部での経験と実績は、この先、できればテーマパークのパレード要員など、ダンスを活かした職に就くという夢のための足がかりになるだろう……と信じて疑っていなかった。
新入部員22名の中では、半分より少し少ないくらいの人数に当たる「ダンス経験者」の方に入っている。至って真面目な性格が活き、今のところ部活は無欠席。高すぎず低すぎない身長と体質的に太れない軽い身体は、競技チアで「将来トップに使える」と先輩方にまあまあ好評の様子。つい昨日まで、芽衣のチアダンサーとしての未来は明るかった……はずだと思う。
なのに——世の中は、高校生になった今もわからないことだらけだ。
話は、ほんの5分ほど前まで遡る。
昼休みが始まってしばらくした頃(つまりほんの10分ほど前)、1年A組所属の古橋芽衣は突然、4月下旬に本入部したばかりの女子ダンス部部室に呼び出された。……もちろん、心当たりなど微塵もない。
行ってみたら部長と副部長、ついでにダンスリーダーが揃って待ち構えており、いきなり詰め寄られて思わず泣きそうになる。
「古橋サン。今日ここに呼ばれた訳、わかってるよね?」
「………」
「あなたは部のルールを破って、自分のダンス動画をネットに上げました。間違いないね?」
「………」
「振り付けは部の財産だから、ネットに上げるのはダメって説明したよね? ルールが守れない人とは一緒にやれません。入部許可を取り消します。いいね?」
突如ぶつけられた全ての言葉に対する返事は『NO』だが、万一その答えを口に出したとしたら、勢揃いしている女子ダンス部役付きの面々を更に怒らせることになるという想像はできた。ゆえに中央でつるし上げられている1年新入部員の古橋サンこと古橋芽衣は、『先輩のお話を聞いている間は必ずこの姿勢で』と入部早々言明された、かかとを少し上げ左右の脚を少しずらして90度に開いた『チア立ち』の状態をキープして、視線を床に落としたままじっとして息を潜める。
息を潜め、嵐が過ぎるのを待つ作戦。しかし残念ながら、神にも等しい3年役付の前で、末端の新入部員である芽衣はあまりにも無力で。
「これ、先日提出してもらった入部届。入部が許可できないので、お返しします」
「……え」
「話は以上です。部外者は出ていって」
「え、あ……」
そのまま日頃のダンスで鍛え上げられた肉体を持つ面々にぐいぐいと扉方面へ押され、単語一つも発せられないまま、芽衣はそのまま、突っ返された入部届と共に女子ダンス部部室の外へと放り出された。鼻先でぴしゃりと閉められた引き戸を、焦点が合わないままじっと見つめながら考える。
入学してから約2ヶ月。女子ダンス部に本入部して、まだわずか1ヶ月ちょっと。3年の役付にあの距離で対面したのも初めてだし、そもそも個人的に会話をした(?)のも今日が初めてで『わかってるよね?』と言われても、呼び出された理由も、彼女たちをあそこまで立腹させた理由も、女子ダンス部を追い出された理由も、何一つ思い当たらない。完全に、寝耳に水だ。
途方に暮れつつとぼとぼ教室に戻る芽衣の横を、楽しそうに笑いながら見たことのある女子学生3人組が早足で過ぎる。あれは多分、女子ダンス部の部員たち。「チアリーダーは笑顔!」を小学生時代からたたき込まれた結果、踊っているときのみきっちり笑顔をキープする芽衣と違い、彼女たちはデフォルトの表情が笑顔だ。彼女たちに自分が部を追い出された理由に心当たりがないか聞いてみようかと一瞬考えたものの、明らかにスクールカースト上位の相手にいきなり声をかけられるほど、芽衣は外交的にできていない。思わず足を止める芽衣の方を、その時、華やかな女子ダンス部の部員たちが全員で振り向いた。
「……あの子?」
「そうそう。A組の古橋」
「ダンス動画アップしたんだって? 勇者過ぎじゃね?」
一瞬の真顔の後、囁かれる短い会話。えっ……と芽衣が息を呑む間もなく、彼女たちは長い髪をなびかせて踵を返し、楽しそうにじゃれ合いながら芽衣を残して去って行く。
先ほどの、部長の言葉。
そして今聞こえてきた、カースト上位者たちの言葉。
……もちろん、心当たりなど微塵もない。でも何となく、状況は見えてきた気がする。
つまり、あれだ——誰かが、芽衣のダンス画像をインターネット上のどこかにアップした、らしい。……でも何故? 何のために? そんなことして、何のいいことがあるの? そもそも、過去の動画くらいで、何で部活を追放されなくちゃならないの?
本当に——世の中は、高校生になった今もわからないことだらけだ。
そして、わからないことを横に押しのけた結果、芽衣の頭には、ふつふつと沸いてきた純粋な怒りだけが残る。
「絶対許さん! ……どこのどいつだ!? ぜーったい、ゆ・る・さ・ん!」
純度の高い怒りに身を震わせながら、芽衣は大股で教室へと足を速めた。
その対象が目の前にいたら、フロントキックからの脳天割りでも決められそうなレベルだが、振り上げた足……もとい、振り上げた拳の下ろし先が全くわからない。
*
「あー。それね。それって例のダンス添削動画が原因じゃね?」
「えっ? 何ソレ?」
「もしかして、お気づきでない? ……ほれ」
しかし、その後。
芽衣が突如体験した人生最大の怒りによる拳の振り下ろし先は、これまた突如、その日の放課後に判明した。
中学から学校は別れたものの、小学校時代からのチアダンス仲間でもあり親友でもある杉下彩花と待ち合わせた駅前のスタバ。その店内の、並んで座ったカウンターで突きつけられたスマホの中で、エネルギッシュに踊っているのは——間違いない。古橋芽衣、その人だ。
「!!!」
混雑したスタバで、思わず叫び出しそうになるのだけは何とか堪えた。両方の手のひらでしっかり口に蓋をして、改めて画面をのぞき込む。カウンターの隣に座る彩花の左手に支えられたスマホの画面内で、黒のロングパンツに短いトップス姿の芽衣は首から下を画面にさらし、おそらくは何かの公演で踊る予定のチアダンスを踊っていた。
「これっ! これ……誰が? いつ?」
「この動画自体は、先週くらいかなあ? 更新されたの」
目の前の動画では、画面向かって右に無表情に近い銀髪のイケメンアバターが差し込まれ何かをしゃべっているようだが、スマホがマナーモードになっているので詳しいことはわからない。動画を撮っている時この位置にいたのは芽衣の母親で、このあたりからいつもダンスを撮影してくれている。左手に小さめの姿見がセットされており、そこに映り込んだ左斜め前方からの姿も同時に確認できる、いつもの練習確認用の動画スタイル。——間違いなくそれは芽衣だし、踊っているのは自分の部屋だ。銀髪のイケメンアバターはともかく、この動画自体は撮った覚えがある。もっと言えば、インスタで公開だってしていた。そう、『していた』。でもフォロワーだってほぼ全員知り合いの2桁レベルだし、それより何より、今はアカウントごと消しているはずなのに……。
「あのっ……これっ……!」
「まあまあ、落ち着きなよ。フラペチーノが溶けるよ?」
あくまでもいつもの冷静な調子で、彩花は自分のアイスほうじ茶ラテを緑のストローでゆっくりかき混ぜる。短い動画は既に終了していたが、彩花のスマホに保存されていたものでない証拠に、スマホの画面は分割されたいくつかのオススメ動画が表示されている状態で止まっていた。
「一応言うけど、私がアップしたわけじゃないから。それは信じて」
「うん。それはまあ信じるけどさ。信じるけど……何で?」
半分溶けたキャラメルフラペチーノを一口飲んで何とか気持ちを落ち着け、芽衣は彩花の言葉を呪文のように繰り返す。無論、彩花のことは信じている。彩花以外の誰か——例えばこの銀髪イケメンのアバターの主がこの動画を過去に保存して、最近になってからわざわざアップしたということか?
「そもそもコレって、スクールの応援ダンスじゃん? 何でそれで、部活クビとかになるの? イミフなんだけど」
「あ。それはね。この動画のダンスが、貴校の女子ダンス部の汎用ダンスにすごーく似てるから、らしい。M高女ダンの中の人って子が、そう言ってたから間違いない」
「……で、私がM高女ダンで習ったばっかりのダンスを、浮かれてネットに上げたと思われてるんだ? 部長はじめ、女ダン部の人たちに」
「そうだろうねぇ。しかも、メイちゃん以外の部員全員のウワサになってるんだろうねぇ。だから『ルール違反』で『入部取り消し』なんだろうねぇ」
芽衣が入部したM高女子ダンス部の『動画や画像の公開一切禁止』は学内でも学外でも、結構有名な話らしい。ママ友ネットワークでそれを聞いてきた芽衣の母はものすごく不満げな顔で、受験勉強真っ只中だった芽衣にこう告げたのだ。
「運動部の1年生はどんなことで目を付けられるかわからないから、今まで頑張ってきたけど、合格して、入学決まったらアカウントごと消すからね。すっごい残念だけど……」
芽衣としては練習風景などインスタにアップする必要はないと思っていたし、そもそもインスタ自体、芽衣の母親が好きでやっていたもの(芽衣自体は中学生時代、自分のスマホを所持していなかったのでやりようがない)。芽衣母のインスタを見ていたのは家族と友人とチアの先生、あとは「脚がキレイですね〜」とか「スカートもっと短いの希望」とか、気持ち悪いDMを送ってくる知らない人だけだ。『全世界に発信』という体を取ってはいても、誰の目にも映っていないも同然の状態だったはず。それなのに。
「まさか……ママがまだ、インスタのアカウント残したままにしてるとか……?」
「それはダイジョブ。私も見てみたけど、メイちゃんママのアカウントはなくなってるよ。特定厨もだから、これ以上は手出しできないみたいなんだけど……ほら、ここ」
先ほどの動画を再度高速で再生し、彩花はちょうど真ん中あたりでそれを一時停止させる。
「これ、M高の封筒でしょ? 入学時の書類とか? どうもこの封筒で、学校バレしたと思われ」
「うわ……マジか……」
言われて良く見てみると隅の方にある学習机の上に、入学時に提出するよう言われた書類を入れた封筒が置かれているのがちらりと映っていた。コレを見て観察力と推理力を駆使した結果、特定厨とやらは、この春芽衣がこのM高に入学する予定だということがわかった……のかもしれない。
「でも良かったじゃん? メイちゃんママがアカウントごと全部消してたから、学校以外のことは調査できなかったみたいだし。あのアカウント全部閲覧できたら最悪、多分顔写真とか住所とか、ぜーんぶ晒されてたと思うよ」
M高のブレザーとは少し色の違う、彩花の黒に近いブレザーの腕が芽衣の背中を慰めるように優しく撫でる。彩花が着ている制服は、近隣ではまあまあ有名な中高一貫の進学校のものだ。
小学校からのチア仲間であり親友でもある彩花は、中学受験に成功して他の子より一足早く自分のスマホを手に入れてから、ものすごいスピードでネットの知識を身につけていた。生来の頭の良さも手伝い、今では立派なネットオタクだ。彩花ママは渋い顔をしているらしいが、こういうときに知識がある味方が近くにいるのはありがたい。
「うーん。まあ事情はわかったけど、じゃあ今更何でこの動画がアップされたワケ? んで部長が知ってるの? そもそもこれ、M高に入学する前の動画なんだけど……」
芽衣の言葉を受け、彩花が気まずそうにすっと視線を逸らす。
「……あ! 知ってる顔! 知ってるんだよね、アヤカ? 何でこんなことになってるの? まさかアヤカが……?」
「だーからー! 私は関係してないって! そもそも動画のデータ持ってないし! ……落ち着こ? 私も落ち着く!」
芽衣に詰め寄られ、彩花はここで初めて慌てた表情を見せた。芽衣に溶けかけのフラペチーノをずいと押しやって勧め、自身もずっと回していただけのストローに口を付け、中の液体をこくりと一口飲む。大きく息を吸って、ふうっと音を立てて吐き出して。
「メイちゃんは大事な友達だから、知ってることと、私が考えたことを全部話す。でも、あくまでもこれは推論で、事象に裏付けされた事実ではないから。その辺割り引いて、聞いて欲しい」
「うん。わかった」
しっかり念を押してから、彩花は慣れた手つきでスマホを操作し、ある動画サイトのページを開いた。プロフィール画像には、小さくてよく見えないが4人? の人物とおぼしきイラストが描かれている。チャンネル登録者数4.2万人。動画登録数102本。
「これは?」
「これはね、あるVチューバーのチャンネル。今から順を追って説明する。時間かかるかも」
*
その後の展開は、我ながらご都合主義のネットドラマ並みに早かった。
「……むーかーつーくー!」
カウンター席から空いた隅っこのテーブル席に移り、トールサイズの飲み物2杯とケーキを追加してじっくり説明を聞いた結果、芽衣にもある程度事情が見えてくる。見えてきた結果、やはりこのまま泣き寝入りするわけにはいかないという結論に達する。
芽衣は、彩花から教えてもらったVチューバー集団のチャンネル『ふぉーぱーそん』のプロフィールページを、わなわなと震える指でズームした。親指と人差し指の間で、先ほどダンス動画をバックに何やらコメントしていた銀髪イケメンのアバターが拡大される。——コイツが、怒れる拳の振り下ろし先だ。
「つまり、このダン? とかいうヤツが、私のダンスの動画をどっかから拾ってきてアップしたってことだよね? で、それについて文句付けたと」
「拾ってきたっていうか、気になったダンスを取り上げて考察する『ダンス添削』っていう企画があって、それに使ったんだよ。んで……文句っていうか、辛口コメント?」
このチャンネルのファンなのか、それとも少し落ち着かせないとマズイと思ったか……切って捨てるような芽衣の言い方を、彩花はやんわり修正しにかかる。
「ダンのキャラ的にはそこまでけなしてる風ではなかったし、私も見たけど、見ようによってはちょっと褒めてる風でもあった。でもそれが逆に、コアファンのヘイトを買ったみたいなんだよね。プラス、M高女ダンの振り付け勝手にアップ疑惑でしょ? ……あ。もしかして、部長もコアファンで、恨み買ったのかもよ?」
彩花は頑張って取りなしたが、それでも『抗議しに行く!』と息巻く芽衣の言葉にため息をついてから、あるマップデータを転送してきた。ここの最寄り駅から都心の方へ各駅停車で15分ほどの駅近くにある、ある公園の場所にピンが打ってある。
「ロケ系の動画が、この公園で撮られていることが多いんだって。この辺で張れば、運が良ければ動画撮ってるのに会えるかもよ?」
「そっか! ありがと。じゃあ今から早速行って文句言う!」
「……いやいや、そう簡単に会えるとは思えないんだけど。でもまあ、頑張れ」
「えっ、付き合ってくれないの?」
「ゴメン。今日これから塾だから」
彩花にあっさり振られて現実に引き戻されそうになったものの、振り上げた拳はそう簡単に下ろせない。勢いそのまま、芽衣は自宅とは反対方向の電車に乗り、教えてもらった公園へと向かった。
既に夜にさしかかった公園は人通りもほぼなく、しんと静まりかえっている。
昼は近隣住民の憩いの場となる、緑豊かな公園。遊歩道のような小道もあり、それに沿うように所々木のベンチが置かれている。奥の方には、昔演奏会や演劇に使われたのだろうか、小さな舞台までしつらえてあった。タイルのようなものが敷き詰められ一応平らに近い状態にはなっているが、ダンスなど動くタイプの出し物だとちょっと足下が危ないかもしれない。
ほんの20センチほどの段差を上がり、芽衣は舞台に立ってみた。
中学生までは彩花たちチアスクールの仲間と、何度もこういった公演の舞台やイベントの会場で踊った。お客さんは殆どがメンバーの家族だったこともあるし、他の出演者との絡みで、ほぼ満員だったこともある。高校生になってからは、高校の部活仲間と一緒に踊ると思っていた。しかし、いきなりの部追放。途方に暮れるとは、まさにこのことだ。
彩花に見せられた、『炎上している』というダンスの音楽を、頭の中で再生してみる。言われてみればダンス自体は酷似している……かもしれないが、BGMで使っている曲は全く違う別の曲。ただ、本当によくあることなのだけれど、リズムが同じであれば同じ振り付けで踊れてしまうことが致命的だった……のかもしれない。あくまでも芽衣の中で『原曲』となる方のBGMを頭の中で再生させ、動きのイメージをトレース。
1,2,1,2,3,4……と頭の中でカウントを取って、反射的に芽衣は笑顔を作り、利き足を踏み出した。出だしはアピールから4拍クラップ。そしてフロントキック。ダブルターン。
フロントキックとダブルターンのとき、自分が制服のスカートを穿いていたことに気づいて一瞬焦ったが、中学生時代の癖でその下にハーフパンツを穿いていたことを思い出し、「セーフ、セーフ」と自身に言い訳する。……この後は立ち位置交換。中央前列から、左後方にステップで移動だ。身体の覚えているまま無意識に、芽衣は舞台向かって右方向にステップを踏む。
その時。舞台に向かって左側から、新たな人物が舞台に躍り出てきた。
大きな鳥のような柔らかくしなやかな動きに、芽衣は一瞬息を呑む。
——この人、上手い!
重力を感じない所作は、間違いなくダンス上級者のそれだ。その人物にすっと降り注ぐスポットライトが見えたような気がして、そのままほぼ反射的に、奥へ半歩下がった。無意識のうちに主役を譲る位置に移動してから、目でその動きを追う。
チアダンスの場合、他のダンサーがいないことの方が珍しい。全員が同じ動きをするダンスばかりではないし、バックダンサーとなって中心人物を引き立て、魅力的に見せる手助けをする場合だってある。経験的にも感覚的にも、芽衣は新しい人物が舞台に現れることに慣れていたので、それがイレギュラーなことだという事実に反応するのが遅れた。
現れた影はいきなり、舞台中央でハンドスプリングを決める。そのまま芽衣と同じカウントで柔らかくステップを踏みながら、飛び乗ってきたあたりの舞台に向かって左方向へ後退。新たな主役を紹介するように、こちらに視線と、片腕を伸ばす。このとき初めて、芽衣はその人物が若い男性だということに気づいた。
動きやすそうなグレーのジャージとオーバーサイズの黒いTシャツ。見た感じ、芽衣と同じくらいか少し上くらいの年齢だろうか。涼しげな目元が、ダンス特化型の若手アイドルグループにいる田町廉にちょっと似ている……気がしなくもない。
「あの……」
「続けろ。あんた、メイだろ?」
突然名前を呼ばれ、胸がドキリとしたのは驚き半分、怖さ半分。しかし次の瞬間、無表情なまま発せられた彼の言葉を受け、カッと頭に血が上るのを感じる。
「動画よりショボいな」
赤の他人から名前を呼ばれ、動画の話を持ち出された。しかもここは、彩花に教えてもらった『彼らのホームグラウンド』。……もしかして、コイツが動画を拡散した犯人? 少なくとも、例のVチューバー4人組と全くの無関係ではないだろう。
挑発するように、ダンサー風の男が芽衣の方に両手を伸ばし、クラップで拍を取る。やはり同じテンポだ。にらみつけた先で、男の唇がはっきりと『お・わ・り・か?』と動くのが読み取れた。怒りで、更に頬が熱くなる。
お望みなら見せてやる! ——怒りに背中を押され、芽衣はステップから踏み込み、跳んだ。ミスを装って蹴飛ばしてやろうかとも一瞬考えた結果、前後に脚を開くジャンプであるジュッテは、今までの中でもかなり高い跳躍の、なかなか良い出来映えだったと思う。
芽衣の着地とほぼ同時に、男は入れ替わるように、芽衣が今までいた方向へ側転で移動した。ロンダートで着地してこちらを向き、初めて口の端を歪め、ニヤリと笑う。
「思った通り、まだまだって感じだ」
「なっ……!」
こんなに短い時間の間に、ここまで貶され、頭に来させられたのは初めてだ。様々な要因で芽衣が言葉を失っている間に、男はそのまま通常歩行の速度で舞台を降り、去って行く。舞台をまたいで降りた直後、一瞬だけ振り向いて。
「そうだ。ハーパンプラススカートはエロ過ぎだから、次回から止めろよ? 動画で着てたダンスパンツがあるだろ」
「……うっ、うるさい! 黙れヘンタイ!」
思いがけない方向からの指摘に、反射的に芽衣がスカートを押さえているほんのわずかな間に、田町廉似の男子は宵闇の中へ姿を消していた。
あれは、何だったんだろう? ——夢を見ていたような気持ちで、芽衣は先ほど起きた出来事を反芻する。ヒップホップダンス? あるいはアクロバットを操る謎の男とのセッション。踊ること自体は楽しいけれど、突然のイベントに頭が付いていかない。アレは誰? 彩花が教えてくれVチューバーたちの関係者だろうか? 関係者だとしたら、何で彼は突然、芽衣とセッションしようと思いついたのだろう? 仲間がダンスに文句を付けていたという芽衣本人と。
わけがわからないもののすっかり毒気を抜かれ、芽衣はこれ以上公園を散策するのを止め、帰ることにした。
……何だか、今日は疲れた。色々なことが一気に押し寄せてきて、処理しきれない。早く家に帰って、お風呂に入ってさっさと寝よう。動画をアップロードした犯人は、また明日来て探せばいい。何しろ部活をクビになった結果、これから放課後は毎日ヒマなのだ。——と、ここまで考えて、今日が自分の16歳の誕生日だったことに今更気づく。そういえば放課後駅前のスタバで久しぶりに彩花と会ったのも、「誕生日プレゼントを渡したい」と言われて待ち合わせた結果だった。
「なんかもう……誕生日なのに最悪すぎる……」
口に出したら更に切なくなって、芽衣は早足で駅へと急いだ。多分、家では母親が腕を振るって、芽衣の好物を色々作ってくれているだろう。それを笑顔で食べなくてはならないのかと思うと、申し訳ないけれど気持ちは更に憂鬱になる。
それでも、実際のところは。
家でのささやかな誕生日パーティを含め、芽衣にとってこの憂鬱な一連の事件は、実際問題として、誕生日当日である6月1日だけで全て終了するはずだった。
怒りにまかせて彩花に教えられた公園まで来てみたが、冷静になればそう簡単にネットに動画を上げた犯人が見つかるわけもなかったし、彩花がどんなに煽ってきたとしても、自分のダンス動画などほんの数ヶ月どころか数日で忘れ去られるはずだと信じて疑っていなかった。
芽衣の目下の関心事は「どうやったら女子ダンス部に戻ることができるのか」ということだけ。最後の手段として、母親に「中学生時代の動画が自分のインスタから転載された」と事実を説明してもらえば大丈夫かな……とか、そのくらいの軽い考えだったことも否定できない。
しかし——世の中は、16歳になった今もままならないことだらけだ。
*
翌朝。
スマホの電源を入れた瞬間、止まらないバイブと共にパパパパパとメッセージの未読数がカウントアップされた。どんどんアイコン横の未読数が増えていくのを呆然と見つめてから、芽衣はとりあえず彩花からのメッセージを開いて見てみる。
「メイちゃんやばい!」
「燃料投下されとる!」
「まじで大騒ぎなう」
「てか何でメイちゃん」
「ダンとセッションしてるの?」
短文のメッセージが続いた後、貼ってあったリンクを開いてみると、それは昨日教えてもらったVチューバーのチャンネルだった。小さなモニターの前に、学生風の男、着流しの男、そして人間サイズの猫(二足歩行っぽく立ち上がった状態)のアバターが配置されている画面だ。
「はーい、皆さんどうもこんばんはー。愛の重さは金の重さ。今日もじゃんじゃん投げ銭よろしく!」
「社長、いい加減その挨拶えぐいからやめろって」
「ソースケが突っ込むところまでが様式美だよね〜。みんなこんばんは〜」
3人のアバターが挨拶をすると、コメント欄に視聴者から「こんばんはー」「こんばんはー」と挨拶が返ってくる。続いて「あれ、ダンは?」「ダンはサボり?」「どこで寝てるんだアイツ」とメッセージ。そのうちの一人が100円程度の投げ銭と共に送ったメッセージに社長と呼ばれた着流しのアバターが反応し、口を開いた。
「はい、サマーフラワーさん投げ銭ありがとう! 愛してるよ! ……でダンですけどね。今日は新人予定の子に意地悪したんで、反省室行きです」
「イヤ違うだろ。今日、ダンス動画入れるんで整合性の絡みで出してないだけだから」
「そうだったそうだった。ホント、金がないのは首がないのと一緒。ダンなんか金がないから身体までないんだよ。3Dモデル作れないから!」
「みんな〜。ココ笑うとこだよ〜」
コメント欄は中くらいのスピードで「新人入れるの?」「イケメン希望」「何それ」「相変わらず自虐ネタ」「社長金好きすぎでしょ」と賑やかに流れていたが、そんなものを眺めている余裕はない。中央の小さなモニターに、見覚えのある風景が映っている。あれは……昨日の公園の、野外ステージ。
小さなスマホの画面の中の、更にコメント欄を差し引いた3分の2ほどの面積。更に更にその中に表示された小さなモニターの中に現れたのは——間違いない。芽衣だ。
小さな小さな芽衣は顔部分を黄色いスマイルマークで隠してあったものの、知っている人が見れば古橋芽衣だと特定できると思う(実際、彩花には特定できていたみたいだ)。スマイルマークで顔だけ隠した芽衣はスカートなど全く気にせず、足を振り上げ、くるくると回る。スマイルマークと下に穿いたハーフパンツの彩度が高いせいで他が暗く沈み込み、制服が全く判別できないのが不幸中の幸いか。
映像は、野外ステージの正面からステージ全体を引きで撮っているようだった。近くに人がいた記憶はないので、おそらく遠くから撮影していたのだろう。実際、こんなに小さな映像なのに、画質が荒いのがわかる。
誰がどこでいつの間に撮影していたのだろう? ……と芽衣が考えた次の瞬間、わっとコメント欄が加速して流れ始めた。「ダンきたー!」「中の人服装テキトーで草」「リアルダンイイ身体してる〜」「リアルダン拝めるからダンス回好き」……コメントに先導されるように、例の田町廉似のダンサーが小さな小さな画面に現れる。芽衣と同じように、彼も顔だけは見たことのある銀髪のイケメンアバターの頭部で隠してあったが、首から下は昨日見たグレーのジャージとオーバーサイズの黒いTシャツだ。
芽衣は手にしていたスマホを思わず顔に近づけ、目をこらした。瞬きをして、再度確認する。……そう。このアバター、見覚えがある。
この銀髪アバターは、昨日彩花に教えてもらった、芽衣の動画に差し込まれていたヤツだ。『ふぉーぱーそん』のプロフィールページにも同じキャラクターがいた。つまり、このアバターの『中の人』が、芽衣を陥れた張本人なのか? あの、田町廉似の、大きな鳥のように優雅な動きのダンサーが。
銀髪イケメンアバターはきれいにハンドスプリングを決め、スマイルマークの方に挑発するように腕を伸ばす。スマイルマークの、ハーフパンツ丸出しジュッテ。立ち位置を入れ替えるように銀髪イケメンアバターのロンダート。——踊っているときはものすごく長いやりとりに思えたが、実際の映像を見ると、それは1分ちょっとのダンスでしかない。顔を隠したスタンプと画像の荒さも相まって、目の前の映像は自分とは関係ない、アニメ作品か何かのような感じさえした。
「えっとね。今日は皆さんお察しの通りダンのダンス回なんだけど、その前に緊急で一個だけお知らせがあります」
それまでほんの少しの間黙っていた着流し風の社長が軽い感じで口を開くと、コメントがまた「投げ銭ないのに口きいてるぞ社長」「天変地異!」「投げ銭なくてもしゃべれるんだ」と流れ出す。今まではコメントがある程度収まるまで間を取っていたようにも見えた社長はしかし、流れるコメント欄ではなく後方のモニタを振り向き、言葉を重ねた。
「我々ふぉーぱーそん株式会社は、このスマイルちゃんを探してます。心当たりのあるスマイルちゃんは、DM送ってください」
新たな社長の言葉に、コメントのスピードが明らかに上がる。「DM?」「マ?」「はいはーい! わたしがスマイルちゃんです!」「社長返事くれるの?」「何コレってシンデレラを探せ企画?」——今までで一番のハイスピードで流れるコメント欄が表示されていると思われる左前方に視線を移してから、社長こと着流しのアバターは「あ、そうそう」と小さくつぶやき、にっこり笑った。
「関係ないヒトがスマイルちゃんを騙ってDM送ってきた場合、ブロックの後、しかるべき社会的制裁を加えることをここで宣言しまーす! だからみんな、余計なことすんなよ?」
「社会的制裁って何だよ。聞いてないぞ?」
「ソースケには言ってなかったもん。オレ社長よ? 全部説明する必要なくない?」
「うわ本気モードじゃ〜ん。関係ないみんなは、DMじゃなくて投げ銭にしときなね〜」
軽い感じで隣の学生風と猫が会話を引き取った後、後方のモニターが拡大され、再度顔だけ銀髪イケメンアバターの田町廉似ダンサーがその中に登場する。先ほどより明らかに画質が良くなり、腕の筋肉の感じや、着ているTシャツの質感がわかるようになった。流れ始めたBGMに乗ってダンサーは激しいダンスを始めるが、わっと沸き立つコメント欄の人々のように、そのダンスを楽しむ余裕など芽衣には一切ない。
力の抜けかけた手の中で、スマホが震える。切り替わった画面は、目覚まし代わりのアラームでなく着信を示していた。彩花からだ。
「ちょっとメイちゃん、見た?」
挨拶もなく、目的語もなくいきなり繰り出される質問。変なネットスラングを使うことはあっても基本的に礼儀正しい彩花にしては珍しい。多分彩花の方も、平常心ではいられないレベルで興奮しているのだろう。
「今見てた。……てか何コレ?」
「まだ私にも詳細はわかんない。ウチ、ペアコン入ってて今までスマホ使えなくて」
「ペアコン? 何それ」
「ペアレンタルコントロール。時間とかアプリとか、スマホの使用制限親がかけるヤツ」
聞き慣れない言葉に引っかかって思わず聞くと、興奮しているにもかかわらず律儀に答えてくれるあたりは、ちゃんと彩花だ。
「うわ、エグいね。制限入ったら、いろいろ大変じゃない?」
「もう慣れたかな。朝まで待てば、ウチは制限緩い方だから、問題なく使えるし。……今の時間は検索とかも普通に使えるから、詳細は今から電車で調べるよ。放課後会える?」
彩花の言葉の向こうから、車の行き交う音がする。芽衣より通学に時間のかかる彩花は、家を出て駅まで歩くタイミングで電話をくれたようだ。
「会える」
「じゃあ例のスタバで」
電話を切り、時計を見た。いつもなら朝練に出るため家を出るくらいの時間だが……そういえば昨日部活をクビになったから、まだゆっくりすることができる。
本来であれば多分、部活をクビになったことを反芻して胸がずきりと痛むタイミング。しかし現在、そんな余裕はどこにもない。状況の整理が必要だ。……何であのダンスが動画になって、ネットに流れている? 田町廉似のダンサーことダンって、彩花が教えてくれた「メイちゃんの動画に辛口コメント入れた」ヒト? VチューバーってCGじゃないの? そのVチューバーの人が、何故芽衣を探している? ——疑問が次から次へと浮かんできて、消えずに頭のリソースを埋めていく。
全く以て——世の中は、誕生日が過ぎた今もままならないことだらけだ。
ままならないどころか、まず把握できないことだらけ。
それでもとりあえず、今は学校にいかなければならない。
芽衣は混乱しながらも、支度を調えて駅へと向かう。
本当は精神的にも状況的にも、学校なんて行っている場合ではない。思い切ってサボってしまおうかとも一瞬考えたが、自分一人ではどこからどう調べて動いたらいいのかさっぱりわからないし、芽衣が学校に現れないことと先ほど見た動画が女子ダンス部の役付きたちにどう作用するのかは完全に未知数。ここは最善の策として、何食わぬ顔で登校しておくのが無難だろう。
駅までの道をとぼとぼと歩きながら、昨日はめまぐるしく変化する感情の中幾度も思い浮かべた言葉を、芽衣は改めて頭の中でつぶやく。
——世の中は、誕生日が過ぎた今もわからなくて、ままならないことだらけだ。
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