1.美女と野獣
パンチを打たせてくれ。
だが、無理だな。
お嬢のハートはぺしゃんこだ。セコンドのハートが潰れたら、ここぞのタイミングで、超獣にセコンドの指示が飛ばなかったら、バウトはおしまい――。
〈腹腔内損傷、甚大。バイタル低下〉
スカーミッシュ・ライオンのサーベルのように長い爪が、この俺、カーン・ベヒモスのどてっ腹を貫いた。
俺は野太い声で叫び、轟音を立てて仰向けに倒れ、盛大に血飛沫が上がる。
身長二十メートル。
ゴリラみてぇな前屈みの通常態勢をやめて、背筋を伸ばせばそれ以上。
超獣でも屈指の巨体を誇るカーン様が倒れるんだ。地響きのひとつも立ってもらわなきゃ困る。だいたいこの試合のリングは、アホかってデカさの廃棄済み石油リグの上だ。洋上のプラットフォームを支える脚が折れるんじゃねぇかってくらい揺れねぇと、倒れた張り合いがねぇ。
そんでだ、ダウンの衝撃に加えて、噴水かよ! って大出血。
これぞ超獣バウトってもんよ。
「倒れたァ! これは立てないッ! 獅子の剣さばきに“金目の狂牛”、堕つゥ――ッ!
今夜の超獣バウト・ワールドクラス十回戦の勝者は、“迅雷の剣士”スカーミッシュ・ライオン!
強い! 下馬評どおりの、いや、それを超える強さを魅せてくれました!」
よし、いいぞ。アナウンサー、もっとあおれ。
あおり倒して、澄ました顔でシャンパングラス片手に中継を見ている、地球を離れた大金持ちの火星住みどもに、
「面白いじゃないか。次は私も賭けてみようかな」
「気に入ったかね? なら君ィ、プロモーターに渡りをつけて、バウト・イベントを主催したらいい。賭け事はね、胴元になったほうが儲かるものだよ」
とか言わせてみせろ。
スカーミッシュ・ライオンは肩をそびやかして雄々しく立ち、たてがみに縁取られた顔の前に、手のひらを下にして、静かに血まみれの爪をかざした。
かっこいいじゃねぇか、獅子舞野郎!
それがお前の決めポーズか。
俺たち超獣は最高のバウトを魅せるためにいるんだ。他は知らん。だから、しょっぱいヤツが勝者なんて願い下げなんだよ。見得も切れねぇトンチキに、リングに上がる資格はねぇ。
その点、ライオンは合格だ。
それに俺だってな、いい負けっぷりだったと思うぜ?
戦うからには勝者がいれば敗者もいる。負ける時ゃ、勝ったヤツの株がグンと上がるようにしなきゃな。廃リグがぶっ潰れそうな勢いで、壁や鉄骨を叩き壊して暴れる“狂牛”! その振り回される剛腕をかわしつつ、剣士のサーベルが次から次へと傷をつけ、弱ったところを必殺の突き! 流血ノックダウン! それでこそ、お客さんも沸くのさ。賭けで飛び交うクレジットもけっこうな額になっただろう。
超獣バウトは世界最大、最高の格闘スポーツだ。
俺たちは生粋のファイターで、バウトするために、そのためだけに生まれてきた。
ビルをも砕く巨大な獣人モンスター、その力と技がぶつかり合う、一大スペクタクルを拝めるのはバウトだけ!
今夜の出来なら、獅子舞野郎はランキングも上がり、ゆくゆくはスターの仲間入りをするんじゃねぇかな。世界ウン億のバウト・ファンも今頃、街のパブでジョッキをバカスカ空けながら、ああでもない、こうでもないと快気炎で観戦評をぶち上げているだろう。
そりゃ、欲を言えば――勝ちたかった。
パンチを打ちたかった。
とどめの突きでヤツが一直線に向かってくる瞬間、右ストレートを出せればよかったんだがね。
それができなかったから痛い目を見て、今も腹から大出血してるわけだが、あの一瞬にライオンの馬鹿みてぇに長げぇ爪に貫かれる苦痛をさばいて、痛み――そのものじゃねぇが、俺がそれを感じたっていう精神的負荷――や苦しさが白竜システムのリンクを介してセコンドに伝わるのを最小限に抑えられた。
これは俺の手柄ってことで、いいだろ?
“狂牛”なんて呼ばれちゃいるが、こう見えてダメージ管理は得意でね。
だから俺も結果にゃ納得してる。
でも、セコンドは、お嬢はそうはいかねぇ。
お嬢は今にも泣きそうだ。
青ざめた顔で唇を噛み、小刻みに震えている。
超獣は戦う頭脳と筋肉を備える――が、ハートはセコンド持ちだ。
セコンドは戦う意思と、勝つための手段を超獣に示す現代の猛獣使い。バウトするのは俺たちだが、それを勝たせるのはセコンドの仕事なのさ。勝てりゃいいが、負けたショックや屈辱、自責の念はセコンドがおっ被る。こいつばかりは俺もさばいて軽くできねぇ。本人の問題さ。
仰向けに倒れた俺の視界には夜空と、強いライトに照らされたリグの赤錆た鉄塔だけじゃなく、端っこにワイプでセコンドブース内のお嬢が見える。別のワイプの中継映像にも、お嬢が映っていた。
おい、テレビ屋さんよ、敗者にカメラを向けすぎだぜ!
放送事故じゃねぇな。狙ってやってやがる。
ちっこくて細い、黒髪の少女が敗北に打ちのめされてる姿は、視聴者の哀れみを誘いつつ、嗜虐心を大いに刺激するだろうよ。メディアにとっちゃ、若くキュートな超獣操者ってだけで、お嬢には価値がある。3Bっていうだろ? 美女と動物と赤ん坊は観客アピールで切る最高のカードだ。ましてや美女の涙とくりゃ、無敵さ。
お嬢は泣いてないが、まぁ、それはそれとして、だ。
バウトはキング・オブ・スポーツだが、残酷なショーの一面もある。
セコンドにかかるプレッシャーは絶大で、それは試合の内も外も問わない。バウト中にハートが潰れりゃ負ける。内で負け続けて限界に達するか、外からワサワサされておかしくなるか、理由どうあれハートがイカレたセコンドは、背中を丸めてリングの世界から立ち去る他になくなる。
お嬢がそうなっても、まったく不思議じゃねぇ。
正直な話、お嬢はそうなって欲しいと思われてる。
超獣バウトなんかに首を突っ込むのはやめて、もっとまともな日の当たる場所で、黒い髪のシンデレラになって欲しいってな。
〈スリープモードに移行〉
そろそろ超獣はキャリアに載せられ、退場――俺は出血多量で緊急搬送――の時間だ。
俺もライオンもこの場で最低限の止血とバイタルケアは施されるが、深手を負った箇所は治療や修理が必要だ。俺たちは機械と生体部品の塊なんでね。場合によっちゃパーツ丸ごと交換になる。
大型ヘリのローター音が聞こえる。
洋上の石油リグでバウトとか、毎度のことながら、よく思いつく。おかげでリングアウトするにも大騒ぎじゃねぇか。ヘリ四機でキャリアを吊って、優雅に空の便で選手退場ってか。
キャタピラで移動するよりゃ、振動が少なくて、大怪我してる時は楽っちゃ楽かもな。
キャリアに固定された体がフワリと宙に浮かび、俺は目を閉じた。
まだリンクは切れていない。
お嬢はセコンドブースの中で、こっちを見上げている。
強張った表情で、目には生気がない。
――だが、その黒い瞳の奥に小さく、ほんの小さくだが、星が輝いていた。
瞳の中に星がある。
お嬢は、やめねぇな。
それがあるうちは、人間、戦うのをやめねぇ。
「勝てた試合だった」
ジミーはスラックスを吊るしたサスペンダーに親指をかけ、引っ張りながら言った。
「ラッシュを食らって火だるまにされてはいたが、うちの超獣でカーンほどタフなヤツはいない。
こいつは――」
ガラス越しに、もう一方の手の親指で格納庫に寝そべる俺を示す。
「――勝ちを取りにいっていた。
それをダメにしたのは嬢ちゃんだ。セコンドが折れたら、超獣が頑丈でもどうにもならん」
「すみませんでした」
「いいか、こいつはな、最先端の性能でセコンド様を勝たせてくれたりしない。
カーンは買った時から型落ちで、咬ませ犬にするにはもってこいだった。デカい図体で、凶悪なツラして暴れ回るから、客は喜ぶ。ちょっとやそっとで倒れないから、バウトは盛り上がる。ものがわかってるプロモーターなら、自分のとこの有望新人の踏み台に、カーンとの試合は当然、視野に入れている。“狂牛”狩りに成功すれば、超獣もセコンドも自信がつくし、株が上がるからな。
そういう試合をこなして、こいつは今まで稼いできた」
ジミーはサスペンダーに引っかけていた親指を離して、パチンと鳴らした。
「だが、負け負け負けの、負け続きで、ここまでやれるわけがない。
“金目の狂牛”カーン・ベヒモスが二十年現役を張れたのは、なぜだ? 二十年もだぞ!
勝てる試合には勝ってきたからだ!
誰から見ても、超獣が相手を勝たせる“ただの咬ませ”だと思われるようになったら、そいつは賞味期限切れだ。カーンは違う! こいつは勝つ。時には派手な大物食いもやらかして、ド本命に賭けていた客に悲鳴を上げさせる! 大穴狙いのバウト・ファンは狂喜乱舞だ!
今夜だって、それに嬢ちゃんにとってはデビュー戦だったが、前回も――」
マシンガンみてぇなお説教を止め、ジミーは口ごもる。
興奮しすぎて口を滑らせそうになったな。
よく止めた、って言いてぇところだが、お嬢にゃ言葉の続きが読めていた。
「――父さんなら勝っていた」
そう呟いて、お嬢はジミーを見つめた。
おい、お嬢。まだセコンドスーツを着てんのか。
お嬢はスーツのファスナーを胸元まで下げ、鎖骨あたりの白い肌をのぞかせている。本来、スーツは着用者のボティラインにぴったり合わせるものなんだが、こんなに小さく細い体にフィットする既製品はねぇ。あっちもこっちもブカブカだ。
ジミーは大げさに両腕を開いて上下にブンブン振りながら怒鳴った。
「ああ、そうだ!
ヘンリー・カーロフなら勝っていた! ヘンリーは根っからのバウト馬鹿で、カーンの扱いを誰よりも心得ていた。カーンはヘンリーの超獣だ!」
「今は私の超獣です」
一瞬の沈黙。
格納庫内のエンジニアの声がスピーカーから響いた。
「ひととおりの措置が終わりました、ボス」
ジミーはしかめっ面でマイクに向かう。
「それで、どうだ?」
「問題ありません。腹部の装甲は総取っ替えですが、他のパーツは機械、生体ともに交換不要です。各部に裂傷や刺創があるので回復槽に入れます。
おっと! その前に輸血ストックをもうひとつ使いますが、いいですね?」
「かまわん。そうしてやってくれ」
くそ、やっぱり回復槽に浸かるのか。
あれは薬品臭くて、体がチクチクするから嫌なんだ……が、今回はそう長く浸かることもないはずだ。
ライオンの攻撃が長く鋭いサーベルみてぇな爪だったことに感謝だな。
ぶっ潰す、へし折る類の技が得意な相手だった日にゃ、丈夫が売りの俺でも、機械も生体もぐちゃぐちゃになって、この程度では済まなかったろう。
スカーミッシュ・ライオン、あいつはそういうとこもプラスになりそうだ。
見た目にわかりやすい血まみれのバウトを演出しながら、倒されたほうも傷を治しやすい――こりゃ対戦者サイドも試合を組まない手はねぇ。世の中、実力があったらあったで、ビビられ、敬遠されて、塩漬けになる超獣もいるが、あの獅子舞野郎はそういう目にはあわねぇだろう。出番が増えりゃ、出世のチャンスも増えるってことよ。
俺の周りではエンジニア数名があわただしく作業している。
そこにフォークリフトが輸血ストックの金属ケースを運んでくるのを眺めながら、ジミーはまた口を開いた。
「前回も、それに今回も、ファイトマネーから治療修理費と諸々を差し引けば、嬢ちゃんに入るのは大した額のクレジットじゃない。
頼むから、うちがロハで超獣の預かりやプロモートをするとは思わんでくれ。きっちり月々の管理費に加えてマネジメント料もいただく。
バウトはビジネスだ。対戦のカードが組めたのは、今は嬢ちゃんとカーンのセットに商品価値があるからだ。イベント屋やテレビ屋が喜ぶ、“美女と野獣”って価値がな!
だが長くは続かん。そんな見世物興味だけで、いつまでも買ってもらえるほど甘い世界じゃない。手を引くなら早いほうがいい」
「私が勝てば――」
お嬢がそう言ったとたん、ジミーは沸騰した。
「いつ? いつ勝つんだ?
勝てる試合に勝たなかったヤツが? ルーニー教本は読んだだろうが、次はナンバリングシステムでも覚えるか? 焼け石に水だ!」
ジミー、さっきからマイクが声を拾ってる。
うるさいんでエンジニアたちがそっちを見てるぞ。
ちびで小太りの初老男が、自分よりさらに背が低いハイティーンの少女に声を荒げてるんだ。さぞかし滑稽だろうよ。ジミーが瞬間湯沸かし器になるのは今に始まったことじゃないがね。ジミー・レムリ、あんたはいいプロモーターだが、頭に血が上りやすいし、しゃべりすぎだ。
お嬢は気圧されながらも、頬を紅潮させて言い返した。
「でも、私がセコンドをやらなかったら、おじさんはカーンを捨てる」
ほら見ろ。売り言葉に買い言葉だ。
「捨てはしない、売却だって言うんでしょ?
誰が買うの? バラバラにしてパーツ売りする? 人格は欲しいデータだけとって初期化かしら?
そうしたらカーンはいなくなる。どこにも!」
「嬢ちゃん――」
ジミーは眉をひそめ、困惑した面持ちになった。
「――まさか、超獣保護団体の戯れ言でも真に受けてるんじゃないだろうな」
「知りません、そんなの」
ジミーはフンと鼻を鳴らし、視線を床に落として頭を振る。この聞き分けのない新米セコンドを、プロモーターとしちゃ、どう扱うべきかね? とでも言いたげだ。
そして結局、お嬢をどう説き伏せたらいいのか、妙案が閃くことはなかったらしい。
「シャワーを浴びてこい」
絞り出すような声。
「いつまでもセコンドスーツを着てるんじゃない。汗が冷えたら風邪をひく」
お嬢がオペレートルームから出ていくと、ジミーは大げさにため息をついた。
ガラス越しに、輸血をもう一発ぶち込まれてる俺を見る。
相談されても困るぜ。俺はしゃべれねぇし、脳ミソがバウトのこと以外はロクに考えられねぇんだからな。これが終わったら、回復槽に浸からなきゃいけねぇし、腹の装甲の取っ替えもある。
「勘弁してくれ、ヘンリー」
死人相手に泣き言か。
「あの子は、エルザはお前に似て、とんでもなく頑固だ。ガチガチの石頭だ。見た目はシェリー譲りなのに、厄介なところだけ親父のお前に似ちまって、こっちの話に耳を貸さない。だいたい年頃の娘の面倒を見るなんぞ、俺の手には余るんだ。
遺すなら遺すで超獣だけにしてくれれば……」
そうだな、ジミー。
オーナーがいなくなった超獣をどうすりゃいいのか、それは百も承知だろう。もう他のセコンドを付けるつもりがねぇなら、捨てるんでも売るんでも、儲かるとまでは言わねぇが、一番コストがかからねぇ方法を選びゃいい。
だが十七歳の小娘の扱いは、あんたにゃ完全に畑違い。
ま、それについちゃ、俺はジミー以上に専門外だからなぁ。
どうしたもんかね?
だが、無理だな。
お嬢のハートはぺしゃんこだ。セコンドのハートが潰れたら、ここぞのタイミングで、超獣にセコンドの指示が飛ばなかったら、バウトはおしまい――。
〈腹腔内損傷、甚大。バイタル低下〉
スカーミッシュ・ライオンのサーベルのように長い爪が、この俺、カーン・ベヒモスのどてっ腹を貫いた。
俺は野太い声で叫び、轟音を立てて仰向けに倒れ、盛大に血飛沫が上がる。
身長二十メートル。
ゴリラみてぇな前屈みの通常態勢をやめて、背筋を伸ばせばそれ以上。
超獣でも屈指の巨体を誇るカーン様が倒れるんだ。地響きのひとつも立ってもらわなきゃ困る。だいたいこの試合のリングは、アホかってデカさの廃棄済み石油リグの上だ。洋上のプラットフォームを支える脚が折れるんじゃねぇかってくらい揺れねぇと、倒れた張り合いがねぇ。
そんでだ、ダウンの衝撃に加えて、噴水かよ! って大出血。
これぞ超獣バウトってもんよ。
「倒れたァ! これは立てないッ! 獅子の剣さばきに“金目の狂牛”、堕つゥ――ッ!
今夜の超獣バウト・ワールドクラス十回戦の勝者は、“迅雷の剣士”スカーミッシュ・ライオン!
強い! 下馬評どおりの、いや、それを超える強さを魅せてくれました!」
よし、いいぞ。アナウンサー、もっとあおれ。
あおり倒して、澄ました顔でシャンパングラス片手に中継を見ている、地球を離れた大金持ちの火星住みどもに、
「面白いじゃないか。次は私も賭けてみようかな」
「気に入ったかね? なら君ィ、プロモーターに渡りをつけて、バウト・イベントを主催したらいい。賭け事はね、胴元になったほうが儲かるものだよ」
とか言わせてみせろ。
スカーミッシュ・ライオンは肩をそびやかして雄々しく立ち、たてがみに縁取られた顔の前に、手のひらを下にして、静かに血まみれの爪をかざした。
かっこいいじゃねぇか、獅子舞野郎!
それがお前の決めポーズか。
俺たち超獣は最高のバウトを魅せるためにいるんだ。他は知らん。だから、しょっぱいヤツが勝者なんて願い下げなんだよ。見得も切れねぇトンチキに、リングに上がる資格はねぇ。
その点、ライオンは合格だ。
それに俺だってな、いい負けっぷりだったと思うぜ?
戦うからには勝者がいれば敗者もいる。負ける時ゃ、勝ったヤツの株がグンと上がるようにしなきゃな。廃リグがぶっ潰れそうな勢いで、壁や鉄骨を叩き壊して暴れる“狂牛”! その振り回される剛腕をかわしつつ、剣士のサーベルが次から次へと傷をつけ、弱ったところを必殺の突き! 流血ノックダウン! それでこそ、お客さんも沸くのさ。賭けで飛び交うクレジットもけっこうな額になっただろう。
超獣バウトは世界最大、最高の格闘スポーツだ。
俺たちは生粋のファイターで、バウトするために、そのためだけに生まれてきた。
ビルをも砕く巨大な獣人モンスター、その力と技がぶつかり合う、一大スペクタクルを拝めるのはバウトだけ!
今夜の出来なら、獅子舞野郎はランキングも上がり、ゆくゆくはスターの仲間入りをするんじゃねぇかな。世界ウン億のバウト・ファンも今頃、街のパブでジョッキをバカスカ空けながら、ああでもない、こうでもないと快気炎で観戦評をぶち上げているだろう。
そりゃ、欲を言えば――勝ちたかった。
パンチを打ちたかった。
とどめの突きでヤツが一直線に向かってくる瞬間、右ストレートを出せればよかったんだがね。
それができなかったから痛い目を見て、今も腹から大出血してるわけだが、あの一瞬にライオンの馬鹿みてぇに長げぇ爪に貫かれる苦痛をさばいて、痛み――そのものじゃねぇが、俺がそれを感じたっていう精神的負荷――や苦しさが白竜システムのリンクを介してセコンドに伝わるのを最小限に抑えられた。
これは俺の手柄ってことで、いいだろ?
“狂牛”なんて呼ばれちゃいるが、こう見えてダメージ管理は得意でね。
だから俺も結果にゃ納得してる。
でも、セコンドは、お嬢はそうはいかねぇ。
お嬢は今にも泣きそうだ。
青ざめた顔で唇を噛み、小刻みに震えている。
超獣は戦う頭脳と筋肉を備える――が、ハートはセコンド持ちだ。
セコンドは戦う意思と、勝つための手段を超獣に示す現代の猛獣使い。バウトするのは俺たちだが、それを勝たせるのはセコンドの仕事なのさ。勝てりゃいいが、負けたショックや屈辱、自責の念はセコンドがおっ被る。こいつばかりは俺もさばいて軽くできねぇ。本人の問題さ。
仰向けに倒れた俺の視界には夜空と、強いライトに照らされたリグの赤錆た鉄塔だけじゃなく、端っこにワイプでセコンドブース内のお嬢が見える。別のワイプの中継映像にも、お嬢が映っていた。
おい、テレビ屋さんよ、敗者にカメラを向けすぎだぜ!
放送事故じゃねぇな。狙ってやってやがる。
ちっこくて細い、黒髪の少女が敗北に打ちのめされてる姿は、視聴者の哀れみを誘いつつ、嗜虐心を大いに刺激するだろうよ。メディアにとっちゃ、若くキュートな超獣操者ってだけで、お嬢には価値がある。3Bっていうだろ? 美女と動物と赤ん坊は観客アピールで切る最高のカードだ。ましてや美女の涙とくりゃ、無敵さ。
お嬢は泣いてないが、まぁ、それはそれとして、だ。
バウトはキング・オブ・スポーツだが、残酷なショーの一面もある。
セコンドにかかるプレッシャーは絶大で、それは試合の内も外も問わない。バウト中にハートが潰れりゃ負ける。内で負け続けて限界に達するか、外からワサワサされておかしくなるか、理由どうあれハートがイカレたセコンドは、背中を丸めてリングの世界から立ち去る他になくなる。
お嬢がそうなっても、まったく不思議じゃねぇ。
正直な話、お嬢はそうなって欲しいと思われてる。
超獣バウトなんかに首を突っ込むのはやめて、もっとまともな日の当たる場所で、黒い髪のシンデレラになって欲しいってな。
〈スリープモードに移行〉
そろそろ超獣はキャリアに載せられ、退場――俺は出血多量で緊急搬送――の時間だ。
俺もライオンもこの場で最低限の止血とバイタルケアは施されるが、深手を負った箇所は治療や修理が必要だ。俺たちは機械と生体部品の塊なんでね。場合によっちゃパーツ丸ごと交換になる。
大型ヘリのローター音が聞こえる。
洋上の石油リグでバウトとか、毎度のことながら、よく思いつく。おかげでリングアウトするにも大騒ぎじゃねぇか。ヘリ四機でキャリアを吊って、優雅に空の便で選手退場ってか。
キャタピラで移動するよりゃ、振動が少なくて、大怪我してる時は楽っちゃ楽かもな。
キャリアに固定された体がフワリと宙に浮かび、俺は目を閉じた。
まだリンクは切れていない。
お嬢はセコンドブースの中で、こっちを見上げている。
強張った表情で、目には生気がない。
――だが、その黒い瞳の奥に小さく、ほんの小さくだが、星が輝いていた。
瞳の中に星がある。
お嬢は、やめねぇな。
それがあるうちは、人間、戦うのをやめねぇ。
「勝てた試合だった」
ジミーはスラックスを吊るしたサスペンダーに親指をかけ、引っ張りながら言った。
「ラッシュを食らって火だるまにされてはいたが、うちの超獣でカーンほどタフなヤツはいない。
こいつは――」
ガラス越しに、もう一方の手の親指で格納庫に寝そべる俺を示す。
「――勝ちを取りにいっていた。
それをダメにしたのは嬢ちゃんだ。セコンドが折れたら、超獣が頑丈でもどうにもならん」
「すみませんでした」
「いいか、こいつはな、最先端の性能でセコンド様を勝たせてくれたりしない。
カーンは買った時から型落ちで、咬ませ犬にするにはもってこいだった。デカい図体で、凶悪なツラして暴れ回るから、客は喜ぶ。ちょっとやそっとで倒れないから、バウトは盛り上がる。ものがわかってるプロモーターなら、自分のとこの有望新人の踏み台に、カーンとの試合は当然、視野に入れている。“狂牛”狩りに成功すれば、超獣もセコンドも自信がつくし、株が上がるからな。
そういう試合をこなして、こいつは今まで稼いできた」
ジミーはサスペンダーに引っかけていた親指を離して、パチンと鳴らした。
「だが、負け負け負けの、負け続きで、ここまでやれるわけがない。
“金目の狂牛”カーン・ベヒモスが二十年現役を張れたのは、なぜだ? 二十年もだぞ!
勝てる試合には勝ってきたからだ!
誰から見ても、超獣が相手を勝たせる“ただの咬ませ”だと思われるようになったら、そいつは賞味期限切れだ。カーンは違う! こいつは勝つ。時には派手な大物食いもやらかして、ド本命に賭けていた客に悲鳴を上げさせる! 大穴狙いのバウト・ファンは狂喜乱舞だ!
今夜だって、それに嬢ちゃんにとってはデビュー戦だったが、前回も――」
マシンガンみてぇなお説教を止め、ジミーは口ごもる。
興奮しすぎて口を滑らせそうになったな。
よく止めた、って言いてぇところだが、お嬢にゃ言葉の続きが読めていた。
「――父さんなら勝っていた」
そう呟いて、お嬢はジミーを見つめた。
おい、お嬢。まだセコンドスーツを着てんのか。
お嬢はスーツのファスナーを胸元まで下げ、鎖骨あたりの白い肌をのぞかせている。本来、スーツは着用者のボティラインにぴったり合わせるものなんだが、こんなに小さく細い体にフィットする既製品はねぇ。あっちもこっちもブカブカだ。
ジミーは大げさに両腕を開いて上下にブンブン振りながら怒鳴った。
「ああ、そうだ!
ヘンリー・カーロフなら勝っていた! ヘンリーは根っからのバウト馬鹿で、カーンの扱いを誰よりも心得ていた。カーンはヘンリーの超獣だ!」
「今は私の超獣です」
一瞬の沈黙。
格納庫内のエンジニアの声がスピーカーから響いた。
「ひととおりの措置が終わりました、ボス」
ジミーはしかめっ面でマイクに向かう。
「それで、どうだ?」
「問題ありません。腹部の装甲は総取っ替えですが、他のパーツは機械、生体ともに交換不要です。各部に裂傷や刺創があるので回復槽に入れます。
おっと! その前に輸血ストックをもうひとつ使いますが、いいですね?」
「かまわん。そうしてやってくれ」
くそ、やっぱり回復槽に浸かるのか。
あれは薬品臭くて、体がチクチクするから嫌なんだ……が、今回はそう長く浸かることもないはずだ。
ライオンの攻撃が長く鋭いサーベルみてぇな爪だったことに感謝だな。
ぶっ潰す、へし折る類の技が得意な相手だった日にゃ、丈夫が売りの俺でも、機械も生体もぐちゃぐちゃになって、この程度では済まなかったろう。
スカーミッシュ・ライオン、あいつはそういうとこもプラスになりそうだ。
見た目にわかりやすい血まみれのバウトを演出しながら、倒されたほうも傷を治しやすい――こりゃ対戦者サイドも試合を組まない手はねぇ。世の中、実力があったらあったで、ビビられ、敬遠されて、塩漬けになる超獣もいるが、あの獅子舞野郎はそういう目にはあわねぇだろう。出番が増えりゃ、出世のチャンスも増えるってことよ。
俺の周りではエンジニア数名があわただしく作業している。
そこにフォークリフトが輸血ストックの金属ケースを運んでくるのを眺めながら、ジミーはまた口を開いた。
「前回も、それに今回も、ファイトマネーから治療修理費と諸々を差し引けば、嬢ちゃんに入るのは大した額のクレジットじゃない。
頼むから、うちがロハで超獣の預かりやプロモートをするとは思わんでくれ。きっちり月々の管理費に加えてマネジメント料もいただく。
バウトはビジネスだ。対戦のカードが組めたのは、今は嬢ちゃんとカーンのセットに商品価値があるからだ。イベント屋やテレビ屋が喜ぶ、“美女と野獣”って価値がな!
だが長くは続かん。そんな見世物興味だけで、いつまでも買ってもらえるほど甘い世界じゃない。手を引くなら早いほうがいい」
「私が勝てば――」
お嬢がそう言ったとたん、ジミーは沸騰した。
「いつ? いつ勝つんだ?
勝てる試合に勝たなかったヤツが? ルーニー教本は読んだだろうが、次はナンバリングシステムでも覚えるか? 焼け石に水だ!」
ジミー、さっきからマイクが声を拾ってる。
うるさいんでエンジニアたちがそっちを見てるぞ。
ちびで小太りの初老男が、自分よりさらに背が低いハイティーンの少女に声を荒げてるんだ。さぞかし滑稽だろうよ。ジミーが瞬間湯沸かし器になるのは今に始まったことじゃないがね。ジミー・レムリ、あんたはいいプロモーターだが、頭に血が上りやすいし、しゃべりすぎだ。
お嬢は気圧されながらも、頬を紅潮させて言い返した。
「でも、私がセコンドをやらなかったら、おじさんはカーンを捨てる」
ほら見ろ。売り言葉に買い言葉だ。
「捨てはしない、売却だって言うんでしょ?
誰が買うの? バラバラにしてパーツ売りする? 人格は欲しいデータだけとって初期化かしら?
そうしたらカーンはいなくなる。どこにも!」
「嬢ちゃん――」
ジミーは眉をひそめ、困惑した面持ちになった。
「――まさか、超獣保護団体の戯れ言でも真に受けてるんじゃないだろうな」
「知りません、そんなの」
ジミーはフンと鼻を鳴らし、視線を床に落として頭を振る。この聞き分けのない新米セコンドを、プロモーターとしちゃ、どう扱うべきかね? とでも言いたげだ。
そして結局、お嬢をどう説き伏せたらいいのか、妙案が閃くことはなかったらしい。
「シャワーを浴びてこい」
絞り出すような声。
「いつまでもセコンドスーツを着てるんじゃない。汗が冷えたら風邪をひく」
お嬢がオペレートルームから出ていくと、ジミーは大げさにため息をついた。
ガラス越しに、輸血をもう一発ぶち込まれてる俺を見る。
相談されても困るぜ。俺はしゃべれねぇし、脳ミソがバウトのこと以外はロクに考えられねぇんだからな。これが終わったら、回復槽に浸からなきゃいけねぇし、腹の装甲の取っ替えもある。
「勘弁してくれ、ヘンリー」
死人相手に泣き言か。
「あの子は、エルザはお前に似て、とんでもなく頑固だ。ガチガチの石頭だ。見た目はシェリー譲りなのに、厄介なところだけ親父のお前に似ちまって、こっちの話に耳を貸さない。だいたい年頃の娘の面倒を見るなんぞ、俺の手には余るんだ。
遺すなら遺すで超獣だけにしてくれれば……」
そうだな、ジミー。
オーナーがいなくなった超獣をどうすりゃいいのか、それは百も承知だろう。もう他のセコンドを付けるつもりがねぇなら、捨てるんでも売るんでも、儲かるとまでは言わねぇが、一番コストがかからねぇ方法を選びゃいい。
だが十七歳の小娘の扱いは、あんたにゃ完全に畑違い。
ま、それについちゃ、俺はジミー以上に専門外だからなぁ。
どうしたもんかね?
メッセージを送る!
