#03_1 カツドウフッキ
本来であれば大抵の高校が部活休みとなる、期末考査最終日の朝。
M高等学校野球部に所属する1年F組鈴木涼真は、いつもと同じように早朝から朝のホームルームが始まる直前まで行われた、いつもと同じ容赦ない朝練を終え、ようやく登校してきた生徒の群れに混ざってノロノロと教室に向かっていた。
昇降口の辺りで偶然、幼稚園からずっと同じ学校出身の幼なじみ、古橋芽衣の後ろ姿を見かける。
水色のブラウスと白いベスト、紺のスカートという夏服に、教科書と筆記用具とあとお弁当くらいしか入っていないと思われる標準サイズのスクールバッグひとつという軽装は、期末考査の前後でも部活が休みにならないスポーツ強豪校であるこのM高では珍しい荷物の少なさだ。女子ダンス部もこの時期、様々な運動部の夏季大会応援の練習で、部活の休みなど一切ないはずなのに……。
母親ネットワークで涼真の母が芽衣の母親から聞いたところによると、彼女はダンス部に入るためこの学校を選んだのだそうだ。幼稚園の頃からチアダンスを習っていたという芽衣は、涼真の所属していたリトルリーグも参加する少年野球の大会開会式にチームで招待され、オープニングイベントでチアダンスを踊ってくれたこともある。
あのときの衝撃と感動は、今でも忘れられない。
小学生の野球の大会だから、小学生のチアダンサーを連れてきて花を持たせる——おそらく運営側としては、その程度の軽い考えでしかなかっただろう。実際涼真たちも開会式のパフォーマンスなどに興味はなく、試合前の準備をするための時間程度にしか考えていなかった……のは認める。でもあの日、芽衣のあのパフォーマンスを目の当たりにして、認識の全てが変わった。
その光景は今も鮮明なまま脳裏に焼き付いているのに、あの現象をどう説明していいのか、未だによくわからない。芽衣のパフォーマンスには、力があった。涼真たち選手の背中を押す力というか、明るい方向へ引き上げる力というか、勝利をこちらに引き入れる力というか、何というかそういう『力』。他の子も上手だったけれど、その中で芽衣だけが特に強くその『力』をまとい、光り輝いていた。きっと、勝利の女神というものがいるなら、こんな感じなんだろうな……と、ぼんやり考えたのを覚えている。
もちろん、その大会で涼真は投打に大活躍し、チームは優勝した。あんな魔法のような『力』を貸してもらえたのだから当然だと思った。
芽衣がいれば。芽衣のダンスから『力』がもらえればこの先も最強だと思った。だから彼女が自分と同じM高に進学し、そこでダンスを続けてくれるらしいと聞き、本当に嬉しかった。願ってもいないことだ。運が味方してくれているとは、まさにこのことだろう。
涼真は野球、芽衣はチアダンス……とお互いのスポーツを続けるため、結果として二人共が同じスポーツ強豪校であるこのM高に進学したのは、涼真にとって、幸運としか言いようのない最高の流れだったのに。
「め……古橋、おは」
「きゃあっ! 鈴木くんよ!」
「朝から見れた! ラッキー! おはよう鈴木くん!」
「鈴木くーん! おはようっ! 今日も朝練? 野球部大変だねー」
「1年でもう1軍なんでしょ?」
「おはよう涼真くん!」
「あ、うん。……おはよう」
がんばって声をかけようとした次の瞬間近づいてきたよく知らない何人かの同級生(?)に歓声と共に囲まれ、礼儀として返事をしているその間に、小さな背中は遠ざかってしまう。
迷いなく希望の部に入部したとばかり思っていた芽衣が、女子ダンス部を追放されたという噂は、遠く離れたスポーツ専攻クラスであるF組の涼真の耳にまで届いていた。——曰く、女子ダンス部門外不出のダンスを動画に撮りネットに上げたとか。しかもそれを、知り合いのVチューバーに頼んで拡散したとか……芽衣を昔からよく知る涼真から言わせてもらえば、一概には信じられないというか、何かの間違いかデマにしか聞こえない話。でも、芽衣が女子ダンス部に入部していないのはどうやら事実らしく、夏の高校野球予選第1戦で応援に来てくれた女子ダンス部メンバーの中に、彼女の姿はなかった。
1年生でありながら今回ベンチ入りメンバーに大抜擢され、校内的にも対外的にも涼真の注目度は低くない。スタメンは無理だとしても、第1戦では代打で試合にも出た。この後もスポットで試合に出る可能性は高いだろう。古き良き少年漫画のように、その時スタンドで芽衣に応援してもらいたい。応援のパフォーマンスで、芽衣の『力』を分けてもらいたい。だからできれば……何らかのトラブルがあったのであれば、なるべく早く解決して、なるべく早く芽衣に女子ダンス部に戻ってきてもらいたい。それが現在最大の涼真の望みなのだが……。
幼稚園の頃はあんなに簡単に声をかけることができたのに、年齢を重ねるほどそれが難しくなってくるのが不思議だ。少しずつ離れていく背中を見送りながら、今日も涼真は小さくため息をつく。
「古橋サン、おはよう。ちょっといい?」
……そう。今教室の方からやってきて芽衣に近づいてきたどこかの女子のように、はじめは軽い感じで「古橋、おはよう」と言えば良いだけ。でも不思議なことに、それができない。
「あ、おはよう。何?」
「部長から伝言。古橋サンに話あるから、昼休みに部室に来いって」
涼真が心の中でぐずぐずと考えているうちに、芽衣とその女子は簡単な会話を交わした後、さっさと別れてそれぞれの目的地へと行ってしまった。
「鈴木くん、どうしたのー? 教室行かなくて大丈夫ー?」
「えー、なんか一緒にいられて嬉しいけど、そろそろホームルーム始まるよー」
「あーあ。F組遠いー! わたしも何かスポーツやってれば良かった」
「一般クラスの方にも遊びに来てよ—!」
先ほど近寄ってきた同級生(?)が近くで何か言っていたが、内容は全く耳に入ってこない。
芽衣に話のある『部長』とはもちろん、女子ダンス部の部長のことだろう。今まで真面目に活動していた状態であれば部長の呼び出しは不吉でしかないが、何かトラブルが起きた後のこのムーブは、もしかすると良い兆しなのではないだろうか?
是非とも本人に直接話を聞いてみたいけれど、当の本人はとっくの昔に姿を消している。追いかければワンチャン? ……と思った矢先、無情にも鳴り響く始業のチャイム。
めちゃくちゃ後ろ髪を引かれながらも涼真は芽衣への接触をあきらめ、自クラスへと向かった。——自分にとってこれは定期テストなどとは比べものにならないくらいの関心事だが、芽衣にとってもそうだとは限らない。
*
「あなたにまだ入部の意思があるなら、特例として入部を許可します」
そして——7月上旬、初めての期末テストがようやく終わった昼休み。
朝「昼休みに部室に来い」との伝言を受け、芽衣は今となってはちょっと懐かしい、M高等学校・女子ダンス部の部室に向かった。部室に向かい、「失礼しまーす」と一応挨拶して入室し、すでに関係ない人間のはずなのに「チア立ち」の姿勢を取らされて——そこで女子ダンス部役員が見守る中、秋には引退予定の部長から賜ったお言葉が、先ほどのアレである。
「あの……でも……」
「調査の結果、問題となっていた動画は、あなたが本校に入学する前のものが流出したということが判明しました。問題はなかったという結論になったの」
1ヶ月ほど前、「あなたは信用できない。そんな人間とはやっていけない」と断罪したその口が、そんなことをすっかり忘れて、超上から目線で入部を許可すると言ってきている。冷静に考えれば一介の女子高校生のはずなのに、目の前の女子ダンス部部長は闇の組織のボス並みの威圧感だ。
「入部を希望するなら入部届を提出の上、明日から練習に合流するように。夏の高校野球予選第2戦が目前なのは知ってるよね。振りは入ってる?」
「えっと……あの……はい」
「なら良し。話は以上です。行ってよろしい」
1ヶ月ほど前に部を追い出されたときと同じように、ほぼ言葉を発することがないまま、芽衣は部室の外へと出てきた。前回と違いぐいぐい背中を押されて出されたり、鼻先でぴしゃりと扉を閉められたりはしなかったものの、その強引さは変わっていない。
おそらく部長たちの中では、芽衣の復帰……というか、再入部は確定している。勘違いで部を追い出したのは自分たちの方なのに、何なら「恩情に感謝しろ」と言わんばかりだ。ちょっと、いや、かなり引っかかるのは事実。でも……やっぱりダンスを続けたいという気持ちはまだ強く心の中に残っている。
「いいんじゃん? メイちゃん、ダンス部戻るために頑張ってたんだし。ようやく完全勝利だね! おめ!」
すっかり定着した『放課後スタバ会議』で相談してみたところ、彩花はとりあえず、話の流れに渋い顔はしなかった。
「だって、部長はムカつくかもだけど、ほっときゃいーじゃん。そろそろ引退っしょ?」
「そのハズだけどね。とりあえずチアダンスの大会終わったら引退……だと思う。予選、秋だけど」
例によって彩花はアイスほうじ茶ラテ、そして芽衣はキャラメルフラペチーノ。二人それぞれ飲み物をストローでくるくるとかき回しながら、何となくウィンドウの外へ視線を向ける。まだ1学期は終わっていないが、夏はもうすぐそこどころか、もう完全に暖まった状態でそこにいる感じだ。
「それにしても、メイちゃん、偉いよね。野球部夏大会の応援行くんだ? 確実に暑いし、日に焼けるし、過酷そのものなのにね」
「わかってるけどさー、それを言っちゃあオシメエよ」
彩花の指摘に思わずうなる。……確かに今復帰となると、確実に野球部の応援には行くことになるだろう。高校受験の時期から今まで結果的にほぼ部活もやらず、体力も落ちているところに持ってきて、炎天下での3時間応援だ。はっきり言って、不安でしかない。
「無理は怪我の元だし、夏の大会はパスして、2学期から復帰したら?」
「多分だけど……今入部するか、永遠に入部しないかの二択って感じなんだよね。ものすごい圧だったもん」
「あーね。……多分ヒト足りないんだろうね。チアダンスはマンパワーだから」
彩花の核心を突いた指摘に、今度こそ本当に、芽衣は言葉を失ってキャラメルフラペチーノに視線を落とした。
おそらく彼女の言うとおり、現在の女子ダンス部はスポーツ応援に出向くには圧倒的に数が足りない。芽衣を追い出した直後から、先輩の指導が厳しすぎたのか内部で大きなもめ事が起こったのかは不明だが、入部して早々にも関わらず、退部者が続出したという噂を聞いていた。実際隣のクラスのカースト上位女子3人組も女子ダンス部を揃って辞め既に帰宅部になっているようで、早い時間に連れだって帰る姿を何度か見かけている。ヒトのことを言えた義理ではないが、令和の若者は打たれ弱く、我慢が足りないのがデフォルトだ。
「確かに結構辞めてて、既に半分以下の人数になってるって聞いた気がする」
「それで、3年は秋で引退だよね? ……成り立つの?」
「さあー? どうだろうね」
何手も先を読む性分の彩花が、心底呆れたという顔で芽衣の方を見る。
「そんな泥船、せっかく乗らずに済んだんだから、やっぱ乗るの辞めとけば?」
「それが正解だって、わかっちゃいるんだけどねー……」
M高に進学した最大の理由は、チアダンスを続けるためだった。思いがけずその目的は出鼻をくじかれる形でペンディングになっているが、だからといって今完全にダンスを辞めてしまっては、「ダンスに関わる仕事に就く」という大目的への足がかりを失ってしまう。それだけは避けたい。
「ま、とりあえずクビ繋がったんだから、頑張ってみるよ。厳しい部だってのは知ってたから」
「メイちゃんがやるって決めたんなら、私がとやかく言うことじゃないと思うから、がんばれーって感じだけどさ」
何とか絞り出した強がりを苦笑で受け止めてから、彩花はちょっとだけ真剣な顔になって、芽衣の顔を正面から見据えた。
「無理だけはダメだよ? ダンスなんて、部活以外にもできるところいっぱいあるんだから」
きっと、何かを予想している顔。その『何か』はおそらく、あまり良くない方向のイメージだ。
「二人でサナ先生のところに戻っても良いし、実は『ふぉーぱーそん』からも連絡来てる。多分だけどあの社長、まだメイちゃんに興味あるんだと思うよ。他にも、いくつか道はあるから」
「わかった。ありがと。……でもとりま、部活で頑張ってみるね」
彩花の持っている良くないイメージについて聞いてみたくもあったけれど、聞けばそれが確実に現実になってしまうような気がして、芽衣はそれ以上踏み込まず、コーヒー店の前で彩花と別れた。
1ヶ月ほど前に突っ返された入部届がそのまま手元にあったので、母親に再度書類のサインをもらわなくて済んだのだけが幸いだった。翌日早朝、突っ返された入部届と練習用のジャージやシューズ、ポンポン等が入った大きなスポーツバッグを持って芽衣は登校し、部長に命じられたとおり再度入部届を提出した。
あと少しで1学期も終わる頃ではあったが、M高運動部の場合、部活の練習は定期テストをはじめ、学校のスケジュールに左右されることはほぼない。そのまま流れるように連日朝練と放課後連が義務づけられ、他のメンバーと同じように、芽衣も部活に忙殺されていった。
もちろん、忙しくなることはわかっていたことだ。練習がキツイだろうという予感もあった。その辺は大なり小なり想像していたことだったから、問題ではない。
問題だったのは——予想もしていなかった方面からの、攻撃だった。
*
「古橋、おはよう」
朝練が終わり、ヘトヘトの状態で学校へ向かうタイミングで後ろから声をかけられ芽衣が振り向くと、そこにいたのは幼稚園から現在までずっと同じ学校に通う幼なじみ・鈴木涼真。彼の方も部活の朝練が終わって疲れているだろうに、何が楽しいのか、散歩に行く直前の犬のようにニコニコしている。
小学校の頃から続けている野球でスポーツ推薦を受けM高に進学した涼真は、一般進学組の芽衣と違って、スポーツ選手としての将来を期待されている方の学生だ。中学生時代から注目されていた彼は高校生になってその注目度を増し、数多のスポーツ選手やその卵が通うこのM高の中でも有名な方だと思う。
「あ、リョウマくん……じゃなかった、スズキくん。おはよう」
「涼真でいいよ。昔から、そう呼んでくれてたじゃん? それに、それなら俺もメイちゃんって呼べるし」
「いやいや、それはさすがに」
そんな大注目株である涼真が親しげに声をかけてくるだけで、実際問題、女子たちの突き刺さるような視線を多数感じるのだ。「リョウマくん」「メイちゃん」なんて呼び合おうものなら、嫉妬に狂った女子たちからこの先どんな扱いを受けるのか、想像するだにオソロシイ。
幼稚園時代はもちろん、中学を卒業する頃でさえ特にモテていたことのなかったはずの涼真だが、高校入学から一気に伸びた身長や厚くなった胸板が一部JKには魅力的なのか、はたまた注目度がバフをかけるのか、M高入学から数ヶ月で一気に女子からの人気は加速した。歓声と共に涼真が数人の女子に囲まれているところを、芽衣も何度か目撃している。「おじいちゃんかワンコのような笑顔」と評されていたその顔も、今では「優しそうで素敵」「真剣な時とのギャップがたまらない」とリニューアル。噂によるとガチ恋勢もいるらしく、芽衣としては己の安全のために少し距離を置きたい……というか、平和のためにはあまり関わらない方がよさそうだという状態なのだ。
——嗚呼、それなのに。
「それにしてもメイちゃんがダンス部に入ってくれて嬉しいよ。今度の2回戦は応援に来てくれるんだよね? メイちゃんのためにも、俺、がんばるから!」
無邪気な笑顔のまま、涼真は人通りの多い昇降口にて大声でそう宣言し、胸を張る。
「メイちゃんのダンス、すごく力になるんだ! 踊ってもらえるの、楽しみにしてる」
「あ、うん。……私はともかく、頑張って」
彼がこの、周囲からの熱い視線にどうして気づかないのか、不思議でならない。もし視線に実体があるならば、今頃芽衣と涼真はハリネズミのようにめった刺し状態だろう。元々ちょっととぼけたところがあるなとは思っていたが、涼真は想像以上のKY。あるいは鈍感力の猛者なのか?
何とか涼真から離れ、芽衣は自分の教室に向かったが、先ほど刺さりまくっていた視線はまだ彗星のように尾を引いてついてくる。その中でもひときわ強く、敵意ある視線の先をたどって振り向くと、廊下の奥の方から見覚えのある二人の女子がひとかたまりになってこちらを見ていた。その光景はまるで、大昔のホラー映画『シャイニング』に出てきた双子の女の子のようで、芽衣をぞくりと震え上がらせる。
見た覚えがあるに決まっていた。彼女たちは先ほどまで一緒に朝練をしていた、女子ダンス部の部員。そういえば涼真にガチ恋勢の一人は、彼を応援するために女ダンに入ったとか何とか聞いたことがあるような……。
芽衣が見ていることに、向こうも確実に気づいている。気づいている状況でしっかりこちらに視線を合わせたまま、彼女たちは交互にヒソヒソと、何かをささやき合っていた。多分あと5メートルくらい近くに行けば、ハッキリと芽衣の悪口を言っているのが聞き取れることだろう。しかし、そんなことをしてもあちらにもこちらにも、何もいいことは起こらないのは確実だ。
ガチ恋の相手が自分でない女子と親しげだったら、誰だって絶対に面白くない。触らぬ神にたたりなし……と心の中で唱え、芽衣は彼女たちを無視して自分の教室へと向かった。
とにかく今は、出遅れた部活に慣れることが最優先。上手くいけばその過程で彼女たちと何となく仲良くなることができるかもしれないし、たとえ仲良くなれなくても、芽衣と涼真が彼女たちの疑っているようなものでないことくらいはわかってくるはず。その結果、今より状況は改善されるはず。そう信じたい。信じるしかない。
……が。
結構頑張って信じていたのに、信じる者を神は救ってくれなかったようだ。
「古橋サン、遅刻! ペナルティでグラウンド、プラス2周。行ってきて」
翌朝。
頑張って早起きして昨日と同じ時間に学校に到着したはずなのに、芽衣は昇降口で既に着替えを終えた上級生たちとすれ違った。彼女たちの方が早い……ということはこの部活内でのルールによると、理不尽ながら、上級生よりも遅く部活にやってきた不届き者ということで遅刻扱いになる。ここで抗議しても事態は絶対に好転しないので、芽衣は諦めて手早く身支度を調え、グラウンドに飛び出した。
ここまでは、不幸な事故ということで無理矢理納得できる。するしかない。納得できないのは、芽衣以外の1年生8名が既に朝のランニングを終え、芽衣と入れ違いに体育館に向かっていくことだ。
3年生の気まぐれで彼女たちの登校時間が早まったのであれば、芽衣と同じように遅刻扱いとなってペナルティを受ける者が、数人は必ずいるはず。芽衣以外の全員が揃っているということは、事前に「今日は早く集まるように」と連絡があったのだろう。それなのに、何故か芽衣にはその連絡が伝えられなかった……と。そういうこと。
芽衣の入部が遅れたことが原因でリストから漏れ、連絡が伝わらなかったという可能性もある。単に、誰かが連絡をしていると全員が思っていた結果の不幸な事故だったというパターンも。——まずは事を荒立てずに様子を見よう、と、芽衣は振り上げかけた拳を抑え、自分を落ち着ける。
規定数の5周プラスペナルティの2周、計7周グラウンドを走って体育館へ。
1年生たちはストレッチを終え、舞台の上で試合応援用のダンスを練習している所だった。芽衣もそこに加わるべく、慌てて持ってきたポンポンを手に、舞台の方へ駆け寄る。
「古橋サン、遅いよ。さっさとこっち入って」
1年生を指導していたダンスリーダーの先輩に急かされ舞台に上がるが、フォーメーションがよくわからない。とりあえず皆が1列に並んでいる端に付くと「そこじゃないでしょ!」とすかさず怒られた。
「昨日グループにフォーメーション、メッセしたけど? 見てないワケ?」
この先輩の言葉で状況は何となくわかってきたものの、肝心の立ち位置はまだわからない。向かって右から2人目と3人目の間が少し広く感じたので、そこに割り込んでみる。……よし。怒られなかったので、正解だ。先輩の怒鳴り声の代わりに、左横にいた1年生がチッと舌打ちした。よく見てみると、昨日の『シャイニング』の双子の一人だ。
「ウザ。一生走っとけよ」
はっきり聞こえてしまったが、チアリーダーは笑顔。サナ先生にたたき込まれた舞台用笑顔を顔に貼り付け、芽衣は何とかその場を乗り切った。その後も、そのシャイニング子から腕をぶつけられたり蹴られたりと地味な嫌がらせをされたが「まだダンスに不慣れなんだな」と思い込むことにして、頑張ってスルー。
「なんかー。色々乗り越えてせっかく息合ってきたカンジだったのにー、規律を乱すヒトがいると調子狂うって言うかー」
ようやく朝練が終わり着替えるタイミングで、シャイニング子1号が片割れのシャイニング子2号にグチグチ言っているのも華麗に聞こえないふりでスルーして、芽衣は部室を出た。
言いたいことがあるなら面と向かって言ってくれればケンカを買うこともできるのに、あのやり方の女子にこっちが先攻で文句を言ったが最後「何でそんな風に悪く取るのー? やだコワーイ」とか何とか、あっという間に悪人に仕立て上げられてしまう。芽衣はただ楽しくダンスを続けたいだけなのに、どうして次から次へと問題が降りかかってくるのだろうか。
「あっ、メイちゃん。おつかれー。女ダンも朝練だったんだ?」
昇降口にさしかかる辺りで、女子の一群に囲まれていた涼真が彼女たちの真ん中からニコニコ顔で声をかけてきた。友人同士の適切な距離を保ってくれている……というより、取り巻き女子がいるせいで距離があったが故の大声に、涼真を囲んでいた女子をはじめ、周囲にいた生徒が一斉に振り向く。その突き刺さる視線に気圧され、芽衣は思わずよろめいた。
もしかして——いや、もしかしなくても、シャイニング子たちが芽衣に攻撃的なのは、涼真が芽衣に親しげだから、なのだろう。芽衣と涼真はもちろん彼女たちが思うような関係でなく単なる幼なじみなのだが、そんなことを説明したところで、おそらくは火に油だ。
「あー、うん。おはよう、スズキくん。今日も暑いね」
名字呼びを強調の上、なるべく当たり障りのない話題を選んで、芽衣は涼真に答える。涼真の方はまだ何か言いたげだったけれど、そのまま「じゃ」と軽く手を振って、芽衣は自分の教室へと足早に走り去る作戦に出た。……作戦成功。涼真も、ついでにシャイニング子1号2号も振り切り、同じ部活の子がいない自身のクラスに滑り込む。
今から数日の後、涼真のいる野球部の応援に、あの女子ダンス部のメンバーで踊りに行くのかと考えると、それだけで頭と胃がギリギリと痛むような気がした。ダンスを踊っている時以外は地味で無害すぎて、いじめる側にもいじめられる側にもなったことがない芽衣には、この状況をどう打破したらいいのかさっぱりわからない。おそらく、あのクールな彩花に相談しても「そんなん、無視すればいいじゃん」と切り捨てられて終了だ。
ようやく上向きになりかけたと思った矢先に発生した思いがけないトラブルに、今のところ解決策は一切思いつかなかった。
とりあえず、やるべきことをやるしかないとは思う。でも、あのギスギスしたチーム状況で、はたしてまともにチアダンスを踊ることはできるのだろうか……?
芽衣が頭を抱えているうちに1学期が終わり、M高は夏休みに突入。
そして、夏休みの課題に手を着け始めるより早く、夏の高校野球予選第2戦の日がやってくる——。
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