#04_1 ナツノカキゴオリ
世間一般の学生が夏休みに入り始めた平日の、昼少し前。
『ふぉーぱーそん』の事務所でもあり友人の自宅でもあるマンションで冷房を全開にし、ヘッドホンで音楽を聴きながらネットでまとめサイトを見ていたニャムこと時田俊一郎は、突然玄関の方から押し寄せてきた熱気に反応して、不承不承ながらそちらに顔を向けた。
「おーい! 何だよ、シュン。設定温度低すぎ! 寒くないの? ってか、電気代考えろよ」
「え〜。だってココ、会社でしょ〜? シャチョーの大好きな、経費で落ちるじゃん」
熱気と共に室内に入ってきた『ふぉーぱーそん』社長でありこの部屋の家主でもある神尾武史の文句を聞き流し、シュンと呼ばれた俊一郎ことニャムは一旦外したヘッドホンを再装着……の前に、武史の後ろから入ってきたもう一人の姿に気づき、言葉を繋ぐ。
「珍しいね。ダンも一緒なんだ〜? あ、もう夏休みか〜。いいねえ、高校生は」
「フリーターは、年中夏休みみたいなモンじゃん」
兄と同じように……いや、兄に輪をかけて辛辣なダンこと神尾弟の言葉に肩をすくめ、俊一郎は暇つぶしをしていたPCのモニタに目線だけ戻した。
「今はフリーターじゃないもんね〜。『ふぉーぱーそん』のライバーで、技術担当だもんね〜。残念でした」
「じゃあ遊んでないで仕事しろよ」
「労働基準法に守られておりますので、ワタクシ、現在は休憩中なんでございますよ〜」
軽くあしらわれ、こちらの思惑通りあからさまにムッとするダンをチラリと見てから、俊一郎は彼らの様子が少し、いつもと違うことに気づく。
「社長もダンも、今日早くない〜? どっかの下見か、外部と打ち合わせ?」
「まあ、そんなトコかな。高校野球見てきた。ブレインJKちゃんと」
駅から歩いてきただけにしては、二人とも汗がすごいなあと思って聞いてみると、案の定だ。……それにしても、高校野球? しかも予選? 酔狂すぎないか?
「そんな趣味が神尾兄弟にあったなんて今まで全く知らなかったなぁ。どうだった〜? 推しチームは勝ったの?」
「さあ? 勝ったんじゃね? ……よく見てなかったから知らんけど」
興味があってわざわざ見に行ったと今聞いたから水を向けてみたのに、ダンは相変わらず素っ気ない。この状態のダンと世間話をすること自体に興味はないけれど、『興味のないものにわざわざダンが足を運んだ』という事象がレアで、ちょっと気になった。
「試合結果よく見てないって、一体何を見に行ったんだよ? ウケる〜」
「応援」
「ブレインJKちゃんからスマイルちゃんが野球応援に出るって聞いて、聡史が行きたいって言うからさ」
「あ、にゃる。ダンスを見に行ったってワケね〜。スマイルちゃんの」
6月初めくらいからイベント枠で突如現れたJK——通称『スマイルちゃん』に関しての情報は、俊一郎の方までほとんど来ていない。ダンがダンス添削で動画を使って、それが元でちょっとモメて。面白がった社長が突発イベントに仕立ててちょっと盛り上がった……とか、知っているのはそのくらい。
スマイルマークで顔を隠す前の画像を見る限り(可愛い感じの子ではあるが)絶世の美女という訳でもないし、話が面白いとかそういう要素もない。俊一郎にダンス自体の善し悪しはよくわからないため、素人目に見て上手だなあと思ったくらいの感想だ。そんな彼女にダンが執着する理由に、個人的には興味がある。
「ダンがそこまで熱心なの、珍しいよね〜。もしかして惚れちゃったとか、そういう流れ? いやぁ、いいねえ! セーシュンだねぇ〜!」
「そういうんじゃない。確かめたかった」
多分、ダンの頭の中ではもうちょっと詳しく、その理由が語られているはずだ。しかしながらご本人が口下手なのか、はたまた単に面倒くさがりなのか、その言葉は謎解きのヒントレベルの不親切さで、切れ切れに発せられて終了してしまう。
「あのお祭りの映像あったじゃん? オレと聡史で見に行って、オレがスマホで撮ってたヤツ」
慣れた感じで、社長こと神尾兄が弟の言葉を引き取り、説明を追加しはじめた。
「あのとき、聡史に言われてそっかーって納得したんだけど、スマイルちゃんのダンスって、実物見るとすごい圧なんだよね。いい意味で。なんか、プラスのオーラが貰えるっていうか」
「えっと〜……それって、なんかオカルト系の話?」
技術系の人間あるあるで、ニャムこと俊一郎はオカルトとかスピリチュアルとか、そのテの話に弱い。怖いという訳ではなく、意味がわからないという『弱い』だ。
「そうじゃない。映像に映らない感情の部分が、すごく強いってこと」
口出しせずにおれなかったのか、珍しくダンがノータイムでニャムのからかうような響きの言葉に答える。口調はあくまでも冷静で、ふざけている様子はない。
「アイツのダンスはまさに、チアダンスなんだ。……それに、興味がある」
「はあ」
ダンの言葉の意味を知るべく、ニャムは目の前の機械で『チア 意味』と検索してみた。ほぼノータイムで検索エンジンが「cheer」という言葉の意味を表示してくれる。——cheer【動詞】応援する,励ます,力づける;喝采する,声援する。……なるほど。
「なんかすごいね〜。魔法みたいに、力づけてくれるってことかな? でもそれって、動画とかではわかんないの?」
「そうだね。今の技術じゃ、どんなに美味しそうな料理が映っても、その匂いはわかんないじゃん? そういうのと同じなのかなって、オレは考えてるけど」
今度は武史が、弟・聡史の言葉を引き取った。……そっかそっか。映像に映らないのであれば、俺の出る幕ではないな——とヘッドホンを再装着する直前、終わりだとばかり思っていた台詞に、言葉が重ねられる。
「でも多分だけど、腕のいい技術者なら映せるかもなあ。オレは上手くいかなかったけどなあー」
横目で見てみると視界の端で、社長の顔になった神尾武史がスマホで撮った動画を確認していた。右斜め後ろからのアングルで、チアダンスの衣装を着て踊る女子を撮影した映像。ダンがダンス添削で使ったものと同じアングルのそれは、一目見ただけでスマイルちゃんのパフォーマンスだとわかる。すごく上手だ。でも、それだけ。
着けたヘッドホンの内側で、ハイテンポのボカロ音楽が鳴っていた。目の前のウィンドウ内ではメシマズ嫁の悪口が面白おかしく語られている。でも、そのどれもが既に俊一郎の意識の外側に追いやられている状態だ。
ライバーのニャムではなく、技術者の時田俊一郎が久しぶりに、解に向けて思考の構築を始めていた。
——オカルトじゃなく技術の問題なら、ちょっと興味ある。その、スマイルちゃんの『圧』? 『オーラ』? ……何だかわかんないけど、その正体がわかれば撮影できるし、配信できるのか? 面白そうじゃん。
俊一郎の中では単発のゲストでしかなかった『スマイルちゃん』がこの時初めて、興味の対象として浮上してくる。
彼女のことを知りたい。特に、その力とやらのことを。
*
「アンタが欲しかった仲間って、やりたかったダンスって……本当にコレ?」
……そんなこと言われても、M高に入学してしまった以上、部活でダンスをやろうとしたら仲間はこのメンバーになるし、踊るダンスはこれしかない。
悶々としたまま、芽衣は連日の部活と運動部の応援をこなした。いや、正確にはそれらに忙殺され、余計なことを考えられずにいた。
野球部は順調に勝ち進み決勝が目前になっていたし、他の運動部も大規模な大会予選から練習試合まで、大なり小なり試合が開催されている。それとは別に、女子ダンス部自体もそろそろ、秋のチアダンス選手権予選に向けてメンバーやフォーメーションを決めなければならない。
引退目前の3年生と次節を担う2年生の計2学年はそれなりに人数が揃っているので、今回の予選メンバーは問題なく組めそうなのだが、そちらに2年生と3年生の人員がほぼ全部取られてしまうと、他運動部の応援パフォーマンスは1年生が主体になって動かさなければならなくなる。……これは、芽衣にとっては想像以上に厳しい展開だ。
無視とかハブとかは既に日常茶飯事だったけれど、先輩が見ている前では、相手もそこまでひどいことはできない。しかし、先輩の目がないとわかればやりたい放題。……というわけで、先輩たち2年生3年生が研修のため、揃ってどこかの高校のチアダンス部に出かけていった土曜日に、事件は起こった。
「ヤラレタ……あいつら、一体なんなの!?」
1年生は研修に呼ばれていないため、本日も通常通り朝から部活。……のはずだった。少なくとも芽衣はそのつもりで、早朝いつも通りの時間に登校した。それなのに。
学校に行っても、女子ダンス部1年生グループの姿は見えなかった。のだ。
落ち着いて考えてみれば、どこかの試合に応援が入っていたからこそ、1年生は研修に連れて行ってもらえなかったのだろう。予備のフラッグや貸与されている運動部のキャップなどがごちゃごちゃと置かれている箱の近くに半分隠れるようにして、今日の日付のスケジュールが書かれたプリントが置かれているのに今さら気づくも、集合時間は既に過ぎている。試合の行われる体育館の場所に詳しいわけでもないので、試合会場までの行き方や、そもそもどのくらいの距離があるのかすらよくわからない。お手上げだ。
「バレー部の練習試合……ってことは室内シューズ? ポンの色どっち? ……てか連絡外しとか悪意しか感じられないんですけど! はーらーたーつー!」
誰もいない部室で一人毒を吐きながら慌てて荷物を作り始めてみたものの、今から駆けつけたところでシャイニング子たちをはじめとする1年メンバーが温かく迎えてくれるとはどうしても思えなかった。芽衣が入らないフォーメーションも考えられているだろうし、下手したら試合終了まで完全無視で「えー、いたの気づかなかったー」とか何とか言われ、いないもの扱い。その後先輩たちには、芽衣が自己都合で欠席したというような内容が悪意と共に伝えられること請け合いだ。……先輩にチクられる流れは、今から行っても行かなくても確定だろう。完全に詰んでいる。
色々メンドウになり、芽衣は荷造りをやめ、回れ右して女子ダンス部部室を後にした。
彩花を呼び出して愚痴ろうとメッセージを送ってみても、忙しいらしく既読にすらならない。まっすぐ家に帰ったら、母親にあれこれ聞かれるのは必至。見たい映画もないし、お小遣いも心許ない。どうしたものかな……とSNSのタイムラインを眺めていると、サナ先生の投稿が目に留まった。
『本日、ドリームズのパフォーマンスは13時頃からです! 是非ご覧ください♪』
芽衣や彩花がついこの間まで在籍していたチアダンスチーム・ドリームズのパフォーマンスが今日行われるらしい。場所は——1ヶ月ほど前にダンと初めて会った、『ふぉーぱーそん』がたまに動画を撮影しているというあの公園だ。パフォーマンスが行われるのはきっと、結果的にダンと少しだけ一緒に踊った、あの舞台だろう。
駅まで引き返し、ちょっと考えてから、芽衣は自宅方向とは反対方面の電車に乗った。
件の駅で降り、記憶を頼りに公園の奥の方まで進むと、思った通り以前ダンと会った小さな舞台の周囲に、いくつかヨーヨー釣りやかき氷などの屋台が出ており、それぞれに小さな子どもを中心とした人だかりができていた。舞台の横には『ちびっこミニ夏祭り』の看板。——サナ先生が宣伝していたイベントはこれに違いない。
舞台では現在、小学生くらいのダンサーたちがフラダンスを踊っているところだった。20人ほどの観客がそれを見物している。部室にあったプリントよりうんと親切にわかりやすく掲示されていたプログラムによると、チアダンスチーム・ドリームズのパフォーマンスはこの次の次。メンバーやサナ先生はきっと、舞台の裏手かどこかの目立たない場所で出番を待っているタイミングだろう。
パチパチパチパチ……とまばらな拍手と共にフラダンスが終了し、舞台から一旦人がいなくなる。同時に、フラダンスチームの保護者と思われる大人たちが舞台の側を離れ、次の演者を見ようと集まってきた人々と入れ替わりはじめた。地域のイベントによくある光景だ。
少し早めにチアダンスを見に来た保護者に、知っている人がいるかな……と芽衣が周囲を見回していると、突然、後ろからぽんと肩を叩かれた。
「あれ〜、スマイルちゃん! どうしたの〜? お散歩?」
「えっ? あの……」
振り向いた先にいた人物は、芽衣の知らない男性だった。芽衣と同じくらいか、少し年上だろうか。人なつっこいニコニコの笑顔。柔らかそうな髪は明るい茶色に染められ、派手なプリントのTシャツとハーフパンツに、足下はビーチサンダル——と、住宅街の公園より海辺が似合いそうなスタイル。正面から芽衣の顔を見て人間違いに気づくだろうか……と数秒待ってみても、目の前の男の笑顔は崩れない。
「あの、スミマセン。人違いじゃ……」
しばらく見つめ合った後仕方なしに芽衣が水を向けると、男はちょっと不思議そうな顔をした後何かに気づいたように、ぽんと手を打った。
「あ〜、そっかそっか。そっちは俺のことわかんないか〜。そうだよね〜。えっとね」
合わせた手を再度開き、男はその柔らかそうな髪に斜め上の方から突っ込む。耳の上あたりから、両手で頭をもむようなポーズ。少し首をかしげて。
「これで、わかんないかな〜?」
「えーっと……スミマセン。ちょっと、わかんないです」
謎のポージングに固まった芽衣をちらりと見てから、男はそのまま視線を斜め上に向けた。片目をすっと細めてほんの数刻何か考えるように止まった後、ポケットからスマホを取り出し、画面を表示させて芽衣の方に向ける。最近すっかり見慣れた『ふぉーぱーそん』の、最新の動画。
「コレ。これならわかる?」
「あー……」
画面の中では二足歩行の大きな猫が「みんなこんにちは〜」と緩やかに手を振っていた。——先ほどの謎のポージングは、どうやら猫の耳を表すものだったらしい。
猫の発する声は、目の前の男と同じ音。同じテンポ。
「……わかったかな〜? 実物では初めまして〜。『ふぉーぱーそん』のライバー、ニャムの中のヒトで〜す」
*
舞台の上ではプログラムに記載されているとおり、芽衣と同じくらいの年齢の男女で構成されたバンドが流行の曲を演奏しはじめる。ステージ近くに集まり始めた、おそらくは彼らの友人と思われる男女の集団から離れ、芽衣とニャムを騙る男は遊歩道近くのベンチに並んで腰掛けた。
「改めまして、『ふぉーぱーそん』ライバーのニャムこと、時田俊一郎で〜す。キミは、ダンと揉めてたスマイルちゃんで間違いないよね?」
「ハイ。古橋芽衣です。……でも、何で私のことわかったんですか?」
「あ、俺ね、『ふぉーぱーそん』の技術屋もやってるんだよね〜。だからメイちゃんの、スマイルスタンプ乗っける前の顔も見てるってワケ〜」
ベンチに来る前に買った、かけ放題シロップを全種類ドバドバかけた変な色のかき氷をざくざくとストローでつつきながら、時田と名乗った男は人なつっこい笑顔で芽衣の方を見る。
「気になってたんだよね、キミのこと」
「……は?」
突然の告白に芽衣の方はびっくりして、ご馳走してもらった氷いちごを取り落としかけた。そんな芽衣を見て時田は再度にっこりと笑い、言葉を続ける。
「特にダンがキミにご執心だから、実物を見てみたいな〜って、ず〜っと思ってたんだけどね〜」
「えっと、ハイ。そうなんですね」
「ウン。でも何て言うかさ〜、キミ、フツーだよね〜。思ったよりずっとフツー」
多分、時田ことニャム自身に自覚はない。が、言葉を投げられている方の芽衣は上げられたり下げられたり、絶叫系コースター並みの高低差に目が回りそうだ。——ダンが芽衣のことにご執心? で、ニャム自身も気になりはじめたけれど、実際会ったらフツー? ……コレって褒められてる? それとも貶されてる?
どうコメントして良いかわからず、芽衣は手にしているスプーン代わりのストローに全神経を集中して、気温と手のひらの熱で溶け始めた氷イチゴにざくざくと穴を開けた。氷粒の融解がさらに進み、赤い液体の水位がじわりと上がる。
「それはそうと〜、今日は何で、こんなところにいるワケ〜?」
芽衣の感情のジェットコースターには我関せずで、ニャムは溶けた氷が沈んだドドメ色の液体を、冷たい麦茶を飲む要領で半分口に流し込んだ。満足した猫が食後にやるみたいに、ぺろりと舌を出して、口の周りを小さく嘗めて。
「タケシ……あ、シャチョーが言ってた。スマイルちゃんは、名門スポーツ校のダンス部に戻れたよ〜って。この間、野球部の応援してたんでしょ〜? 今って、いろんな夏の大会で、応援忙しいんじゃないの〜?」
ずけずけ聞いてくるその言葉に、当てこすりとか嫌みとかそういう匂いはしない。小さな子どもが、知りたくて聞いている——そういうまっすぐな興味の、感触。
「えっと……前いたチームのパフォーマンスが見たくて。近くでやってたから……」
「なら、制服じゃなくて良くない? もしかして、学校でなんかあったとか〜?」
「えっと……そうじゃなくて……今日部活、急に行かなくて良くなっちゃって……」
別に、誤魔化す必要はどこにもなかった。それでも言葉に詰まって、芽衣はしどろもどろになる。カッと頬が熱くなり、何故か鼻の奥がツンとなる。
そんな芽衣の様子を、ニャムは特に焦る様子もなく、ただ見つめていた。口を開く。
「泣く必要ないよ〜。多分だけど、メイちゃんが何かやったわけじゃないんでしょ〜? なら、堂々としてればいいじゃん? 馬鹿の相手するの、時間の無駄だし〜?」
「えっと……ハイ。ありがとう、ございます」
一応、気を遣ってくれているようだ。そのレベルの薄い気遣いすら、今の芽衣には心に染みる。こぼれかけた涙をぐっと呑み込んで、芽衣は「チアリーダーの笑顔」を顔に貼り付けた。そんな作り物の笑顔を見て、ニャムが初めてにこやかな笑顔を引っ込める。片目をすっと細め、何かを考えるような表情。
「いいね〜、その仮面。防御力も攻撃力も強い感じで」
「えっ……」
まただ。いきなり優しくしたり、突き放したりのジェットコースター。振り回されることに慣れていない芽衣が思わず呆然と立ち尽くす前で、ニャムは再度笑顔を浮かべ、残りのかき氷だった液体をごくごくと飲み干した。ちろりと舌を出し、口元を嘗める。
「俺はさ〜、今日はかき氷食べたくて、ココに来ただけなんだよね〜。だからもうバイバイするけど、メイちゃんにお願いがあるんだ。氷イチゴ代ってことで、聞いてくれるかな〜?」
「えっ……あ、ハイ……」
「俺、チアダンスってヤツ、見たいんだ〜。動画じゃなくて、リアルなヤツ。だからメイちゃんがどっかで踊ることあるなら、スケジュール教えてよ〜」
「あ、ハイ……」
言われるままに芽衣はスケジュールアプリを開き、日程を確認した。……とはいえ、同級生から完全にハブられている状態で、スケジュールがわかっているものは少ない。確定していて芽衣が知っているのは、高校野球地方予選の決勝くらいだ。
「オッケー。タケシとダンが行ったヤツね〜。寝坊しなかったら行くよ〜」
スポーツ応援の中でも過酷な部類、しかも決勝という激混み確実なイベントだったが、それでもニャムは嫌な顔をしなかった。芽衣から話を聞き、ちょこちょこっとスマホのスケジュールに何か入力してから、そのスマホを持った方の手をスマホごとひらひらと振る。
「俺もせっかく行くんだから、その日はメイちゃんも、負けずに来てね〜! じゃあ、また〜」
そのまま公園出口の方へ歩いて行くニャムの背後で、聞き慣れたBGMが鳴った。それに重ねて、チアダンスチーム・ドリームズのパフォーマンス開始を告げるアナウンス。
サナ先生率いるチアダンスチーム・ドリームズのパフォーマンスが始まるのにステージを一瞥もせずそのタイミングで去ったところを見ると、彼は、チアダンスそのものに興味があるというわけではなさそうだ。
サナ先生直伝の笑顔で楽しそうに踊る後輩たちを遠目で眺めながら、芽衣はジェットコースターに乗った後みたいにドキドキしている胸を押さえる。よくわからないうちに思い切り上げられ下げられ振り回され、感情の落とし所がわからない。
ニャムがおごってくれた氷イチゴだった液体を、彼がしていたように容器に口を付けて、ごくりと飲んでみた。甘くて冷たい液体が喉を通った後に残る微かにべたついた感触は、今胸に残っているモヤモヤした気持ちと、同じようなものなのだろうか。
*
「へー。あのニャムがねぇ。……てか、いきなり肩ポンで声かけてくるとか、どんな強キャラよ」
——そして後日、すっかり定例となった放課後スタバ会議にて。
いつものアイスほうじ茶ラテをかき混ぜて苦笑いする彩花の横顔を見ながら、芽衣の方は、先日起きた思いがけない出来事を反芻する。
「でもさあ、ニャムさん、何でまた急に、チア見たいとか思ったんだろ? それも動画じゃないヤツとか。ああいう人たちって、リアルより動画の方がプライオリティ高そうじゃん?」
「高いんでしょ。で、その上で『動画はリアルに敵わない』とか何とか、言われたんでしょ。だからメイちゃんが現れそうな場所で張ってたとか、そんな流れなんでしょ」
思いも寄らない彩花の仮説に、芽衣は飲みかけていたキャラメルフラペチーノでむせそうになった。あのときの氷イチゴより小さな氷の粒を、呼吸を整えてから再度口に含む。ごくりと呑み込む。
「いやいやいやいや! 張ってるとかはないっしょ! だってニャムさん、かき氷食べに来たって言ってたよ? シロップ全部かけの、なんかものすごい色のかき氷、モリモリ食べてたし」
「じゃあまあ、うん。あの公園でニャムがメイちゃんに会ったのは偶然かもしれないけどさー」
あっさり持論を引っ込めたところを見ると、問題にしたいのはその部分ではないのだろう。彩花は飲み物に刺さったままのストローをくるりと回してから、言葉を続けた。
「でも、何となくだけど『動画はリアルに敵わない』的なことを言われたのは事実だと思うよ。んで、それを言ったのはー」
「サナ先生?」
「……いや、何でここでサナ先生出てくるの!? そこ多分、繋がりないじゃん」
何故サナ先生が出てくるのかと聞かれれば、答えは簡単。芽衣がまだ小学生の頃、似たようなことをサナ先生に言われたからだ。『思いを乗せて踊れば、そのパワーが選手にも届く!』……だったかな。冷静になって考えるとあまり似ていなかった気もするけれど、そんな風に選手に送る念のようなものは、もしかしたら動画には映らない種類のものなのかもしれない。
「確かにそこ繋がってたら世間狭すぎだよね。サーセン」
「わかって頂けて何よりだよ」
小さくため息をついて、彩花が仕切り直す。
「私は、ニャムに『動画はリアルに敵わない』って吹き込んだのは、ダンじゃないかなって思ってる」
「何で!? だって……ダンとニャムさんって、同じvチューブチャンネルやってる、仲間だよね?」
今度は、芽衣が呆気にとられる番だった。
「仲間ってもっとこう……認め合ってフォローし合う感じじゃないの? 『動画はリアルに敵わない』って、技術の人に言ったら、真っ正面からケンカ売ってるよね?」
「売ってるね。そしてどうやら、それがダン的通常運転っていうか……」
話すスピードが落ちるのは、彩花がしゃべりながら別のことをあれこれ考えている何よりの証拠だ。その場合大抵が、話し相手にわかるよう内容をかみ砕く方法を考えているパターンなので、聞き役の芽衣は、友人の脳内会議が終わるのを静かに待つ。
「そもそも、『ふぉーぱーそん』の4人は、そんなに仲良しグループって感じじゃないって言うか」
「え、仲悪いの? 4人しかいないのに?」
「仲悪いというより……仲良し4人で立ち上げたわけじゃなくて、社長のロダンが声をかけて集めたメンバーという説が、視聴者の間では濃厚らしいよ。実際、ダンは社長の弟なんだって、前、会社に行ったとき社長が言ってたじゃん。あれって、公にはされていない情報みたいなんだよね」
芽衣はこの事件が起こるまで『ふぉーぱーそん』どころかVチューバーについてほとんど知らなかった。彩花はVチューバー愛好者ではあったが、よく聞いてみると元々は『ふぉーぱーそん』のファンというわけでもないらしい。コアなファンの中で常識とされることでも、まだ知らないことが多いのだろう。それでも、地道にいろいろ調べてくれている様子に、頭が下がる。
「ファンの間では特に、ダンとニャムが実は仲悪いんじゃないかって、心配されてる感じだね。まあダンは基本、誰にでもつっけんどんな感じらしいけど」
「そうなんだー……」
彩花の言うとおり、ダンはあまり親切なタイプではないし、言葉数が多いわけでもない。あの、初対面からニコニコ愛想の良いニャムとは確かに、あまり相性がいい相手ではないだろう。でも、ニャムは確かに、現在、少しダンスに興味があると言っていた。芽衣の応援パフォーマンスを見に来るとも。——もしかしてもしかしたら、これをきっかけに、ニャムがダンに歩み寄ろうとしている……とか?
「なんかよくわかんないけど、ニャムさんが応援パフォ見に来ることで、二人がちょっと仲良くなるとか、そういうのあるといいなあー」
「あ、そういう方向でまとめにかかる?」
もめているのは女子ダンス部の中だけで充分。せめてダンとニャムは和解して欲しいという願いを込めて楽観的発言をした芽衣に、彩花は呆れ顔だ。
「メイちゃんのそういう平和主義なとこ、私、好きだよ。でもヨノナカ、そう甘くないと思うんだけどなあー」
パフォーマンス的な大きなため息をつき、彩花はそう言って残りのアイスほうじ茶ラテをずずっとストローで吸い込む。
「まあ、いろいろ思うトコもあるし、明日の決勝戦、私も頑張って行く。メイちゃんも頑張って」
「ありがと。頑張るね」
「でもさー。ホント、メイちゃんは鈍感力高いよね。いい意味で」
調子よく答える芽衣に、先ほどの呆れ顔を引きずったまま、彩花がため息と共に言葉を紡いだ。
「ダンとニャムのこともそうだし、明日決勝戦の応援なのに、こんなトコで油売ってて大丈夫なの? フツー、今頃は明日の直前練習とか、ミーティングとかじゃね?」
もちろん、芽衣だってうっすらと、この時間まで明日の詳細について連絡が来ないのはおかしいなと思っている。それでもメッセージグループに新規のメッセージは一切入ってこないし、そもそも明日が決勝戦だと教えてくれたのは仲間であるハズの女子ダンス部メンバーでなく、応援される側の野球部員である、鈴木涼真その人だったり。……今さらだが、ニャムが「見に行きたい」と言い出さなければ、明日の決勝戦はスルーもちょっとだけ検討していたのだ。
その辺をくどくど言い重ねるとあと2時間は必要になりそうなので、これから夏期講習に行くためスタバ会議の締めに入った彩花を尊重し、芽衣の方も小さく肩をすくめてからこう答えるに止めた。
「わかってるけどさー、それを言っちゃあオシメエよ」
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