盗賊の矜持

3.二人で街へ

 翌日、ケイは忙しかった。
 素っ裸で寝息を立てているベスの脇腹をつついて起こす。初夏の、午前の光の中でベスの均整のとれた腕や脚を眺めるのはなかなかの気分だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。ベスはぼんやりした寝起きの顔で、赤みがかった栗色の髪に手ぐしを入れる。ケイは生成りのシャツとチュニック、ズボンを放り投げた。
「そいつを着ろ」
 昼の〈王都〉中心市街を汚れた服でうろつくのは避けたい。下見だけなら、それでもいいのだが――。ケイの手持ちの服だからベスには少し大きいが、見てくれは何とかなる。袖や裾が余るのは折るなどして、着心地は我慢してもらおう。
 ケイは先に部屋を出て〈雄羊の蹴り足〉の前で待つ。しばらくしてベスが、腕周りがブカブカなのを気にしながら出てくるのを迎えると、ふたりでホーラーの別邸に向かった。
「借りたものにケチつけたくないけど」
 ベスは途中で立ち止まってしゃがみ、ズボンの裾を折り直しながら顔を上げて言った。
「この服、もうちょい何とか……ちんちくりんに見えない?」
「見えない」
 ちんちくりん、ね――餓鬼っぽい言い回しに吹き出しそうになるのを堪えて、ケイは答えた。ベスは納得がいかないのか、ブツクサ言いながらついてくる。ケイは聞き流した。小うるさいが、それでも女物の服をあてがった時よりはましだ。ケイは数回、ベスを街娼に仕立てて、即席の美人局もしたが、その度にベスは着替えを渋り、不平を漏らし、嫌々である素振りを隠さなかった。
「こんなの着ろって、あたしを舐めてんだ」
「違う」
 ――互いにやれることをやるだけの話だ。とはいえ、ベスがケイに安く見られていると感じるのは当然だった。こんな格好をさせるのは、仕事をさせる気がないからだ。自分はもっと盗賊らしい仕事ができるのに!
 ケイから見ても、ベスのような奴はまれだ。
 これまで美人局の娼婦役――または男娼役――にした連中は、たいてい仕事の報酬より先に、ケイが貸した衣装を欲しがった。そして中には、その衣装を元手にして本物の娼婦に成りおおせた者もいる。
 たとえば長身のリメルは人目をひく容姿で、初めて美人局の片棒を担がせてから、ひと月も経たないうちに娼館での住み込みを決めた。その上、館の女主人マダムにケイを用心棒に雇わせる渡りまでつけてきた。
あんたの腕っぷしや男っぷりを話したら、女主人マダムもその気になって……」
「その男も雇う、と? 太っ腹だな」
「そうさ。そしたら食いっぱぐれなしで、ふたり一緒にやっていける」
 リメルなら館で看板を張れるようになるだろう。自分はその用心棒で色男。この話に裏はないと思うくらいには、リメルは信用できた。
「で、そうしたら俺は――」
 期待に満ちた眼差しを向けるリメルに、ケイは言った。
「――何を盗ればいい?」
 それ切りだった。
 リメルはひとりで娼館に行った。今は〈花弁に蜜蜂〉でリルだかリリーだか、そんな名前を名乗り、男をあんたではなくあなたと呼んで、一番人気になっているはずだ。
 曇天で風あり。〈王都〉の黄ばんだ空を灰色の雲が流れる。その切れ間から時々差す日差しを避けるようにケイは歩き、その横にベスがいる。通りすぎる幾つもの街は、不思議なほど人がまばらなこともあれば、田舎者のお上りさんなら人波に飲まれそうなほど混雑していることもあった。行き交う人々の汗の臭いが、屋台から肉や卵の揚げられている香りが漂ってきたりもする。
 日中、賑やかなのは商いが盛んな大通りで、多少遠回りになっても裏道を通ったほうが早いこともある。逆に静かなのは住宅街、あるいはカタギが近寄らない、いわくつきの区画だ。
 言うまでもなく、石工ヶ辻は住宅街である。
 淡い臙脂色の煉瓦壁に黒い屋根の住宅が判で押したように並ぶ。住民は市の官吏や商人、そしてその家族で、昼は通行人もまばらだ。大人は家にいなければ仕事か買い物で出払っている。子供は親の目の届かないところで遊び回っているだろう。学校? そういう監獄めいた場所のことはケイも知っているが、通ったことはない。おそらくベスも。
 まばらでも人がいないわけではなかった。ケイはベスから離れてひとりで、通りすがりの家政婦らしき中年女性に尋ねた。失礼、ホーラーさんのお宅はどこでしょう。この近くのはずで……ええ、ええ、そのホーラーさんです。なるほど、そこの角を曲がって四軒目……ありがとう。助かりました。
 ケイは女性に一礼して別れ、ベスと合流して角を曲がり、教えられた住宅を目指した。そして家と家の間の狭い路地に滑り込み、すぐに振り返って足を止め、通りを挟んで向かいに建つホーラーの別邸をうかがう。他の住宅と代わり映えのしない建物だ。地上三階建て。ほぼ間違いなく地下もある。この手の建物の作りや間取りにケイは慣れ親しんでいた――盗みに入る場所として。
 塀も庭もない〝邸〟と呼ぶにはいささか慎ましい家だが、成功した若い商人が、店の近くに寝泊まりや接待目的で持つ家としては充分すぎる規模だ。屋根付きの玄関ポーチの前に緩やかな階段が四段。その両脇にふたつずつ鉢植えが置かれ、薄紫の花が咲いている。
「開けられそう?」
 ベスが耳元で囁く。玄関の鍵のことを言っているのだ。
 ケイは頷いた。
「じゃ、から?」
 それは避けたほうがいいだろう。ベスも承知で、いちおう聞いてみた、というふうだ。
 「からになりそうだ」
 ベスはクソ真面目なしかめっ面で何度も頷く。
 嬉しさを隠すのが下手だな――とケイは思った。からのほうがベスの役割は重くなる。望みどおり盗賊らしい仕事ができる。その喜びに水を差す気はないが、下見はまだ済んでいない。
 ケイは目当ての家屋と周辺をさり気なく、だが入念に検分する。その間、ベスにはホーラーとその商い、別邸の扱いなどを調べさせる。家族は? 絨毯店は儲かっているのか? 別邸をどう使っている?
 これは百天秤街で買い物客や様々な店の者から、うまく話を引き出さなければならない。ベスを着替えさせたのはそのためだ。小汚い風体で声をかけても無視されるか、怪しまれるのが落ちだ。最低でも、どこかの商店の使い走り程度に見えなければ、聞ける話も聞けないだろう。
「パーチ聖堂前の公園、そこで落ち合おう」
 ベスは路地に入った通りとは反対方向に走り去った。
 大丈夫だ。ベスはやることがわかっている。注意するべきは、仕事をしたいあまり、聞き出した話を自分に都合よく解釈しないかどうか。そこはケイが神経を尖らせておく必要がある。
 ホーラーの別邸は右も左も裏も他の家に囲まれていた。
 こうした建物の様相は、石工ヶ辻にあると聞かされた時点で予想できていた。しかし、いかに〈王都〉の小金持ちが持つ家や、それらが集まる地区の街並みは面白みがなく、どれも似たりよったりだったとしても、家それぞれの状態や配置には違いがある。そこを踏まえなければ盗みに入れない。力任せの強盗ならいいが……そういう仕事をするつもりがケイにはなかった。蹴ったり殴ったりはまた別の機会だ。
 左右の隣家との間には細い路地が走っている。特に正面向かって右のほうの路地は非常に狭く、人がすれ違うのも難儀だろう。裏にはもっと大きな庭付きの家が建っていて、その家の宅地を囲む木塀にホーラー別邸はくっつかんばかりだった。
 窓を確認――戸締まりはしっかりしているようだ。この種の窓はかんぬきをかけられる。どの階のどの窓もカーテンが開いているということは、姿は見えないが中に誰かいる。ホーラー自身は百天秤街の店に出ているはずだから、店の従業員か使用人だろう。ホーラーが妻帯しているようなら妻、そして子供ということもありえるが……。二度、三度と家の周囲を回るうちに、頭の中には侵入と逃走の経路が組み立てられていた。
 ケイが下見を終えて石工ヶ辻を離れ、公園に着いた時には日も傾いていた。太陽はパーチ聖堂のドーム型の屋根で半分隠れている。
 そして植え込み脇の石段に座って待つことしばらく。聖堂を背に、ベスは両手にひとつずつ小さな紙の包みを持って、それを明らかに持て余した、何とも間の抜けた姿で現れた。
「無理やり買わされたんだよ」
 気恥ずかしそうなふくれっ面で隣に座ると、包みのひとつをケイに押しつける。薄いパンに挟んだ豚のソーセージ。押しの強い売り子に聞き込みをして買うはめになったのだろう。ホーラー? あー知ってる、知ってるとも! いいから、こいつを召し上がんなよ。人を待たせてる? じゃあ、その人の分もだ!
 ケイは渡されたソーセージとパンにかぶりついた。買わされた本人は渋い顔だが、朝から何も食べていなかったのでちょうどいい。それに余計な買い物をしたおかげもあってか、ベスはしっかり情報ネタを集めていた。
「ホーラーは親の金で商売を始めた。鷲羽街の本宅は両親のもの。でも、あの別邸は空き家を自分の金で買ったんだってさ」
「大したもんだ。子供はいるのか?」
 ベスは首を横に振った。
「いない……っていうか、まだ結婚もしてない。店の外から、ちらっと見たけど、ずいぶん若いんだよ」
 家族は両親と妹。別邸にはホーラー自身が雇った使用人夫妻が住み込んでいて、当人は週の半分以上は本宅に帰らず、そちらに寝泊まりしている。
 決まりだ。
 あの家にはおそらく金がある。才に恵まれ野心もある若き商人の貯めた金が――。ただの寝泊まりや、ちょっとした接待のための別邸なら、そこにさしたる財産はなく、人を置く理由はない。使用人は住み込みではなく通いでいいはずだ。見られたくないもの、盗られたくないものがあるから、あの別邸には誰かにいて欲しいのだ。ホーラーは売上から抜いた金を持っている。手形や証文ではなく、贅沢な調度品の類でもなく、現金だろう。換金の手間やアシがつく危険のない現金は、盗賊には一番ありがたい獲物だ。
 ケイは、この仕事をやると告げ、ベスと手信号を交えて細かな算段を練った。ベスはパンとソーセージをちぴちびと口に運びながら、上機嫌で他にもつかんだ情報ネタを披露した。……それで、いつやる?
「奴の休みは?」
「週イチで、次は三日後」
 ならばその前夜だ。休みの前の夜、ホーラーは鷲羽街の本宅に帰る可能性が高い。半ば自立しているのだろうが、抜いた金の後ろめたさもあって、休みには親に顔を見せていると思う。必ずとは限らないが――それは、そもそも「金がある」という見立てと同じく一種の賭けだ。
 夕暮れ。空は赤い。ケイとベスは立ち上がった。
 ベスは紙屑を植え込みに投げ捨てようとしたが、ケイが止めた。〈王都〉中心市街では、そういうことをしないほうがいい。通行人は眉をひそめ、聖堂の修道士は大げさに嘆息して祈り、運悪く衛士に見られれば絡まれる。いずれにせよ、誰かの印象に残るようなまねは避けるべきだ。仕事前なら、なおさら。
 普段ならベスは「公園なんて、どうせ汚れるのに」とでも言って、ケイの静止に反発してみせるだろう。だが、この場は大人しく従った。その顔が赤いのは怒っているわけではないし、夕日に照らされているだけでもない。興奮しているのだ。他人から、あれを盗るぞと促されて仕事をするのと、自分で探してきた獲物を狙うのでは話が違う。中心市街から遠ざかるまでの間、ベスは何も言わなかったが、ケイにはベスの高揚が感じ取れた。
 高揚、歓喜、緊張――そして少しの恐れ。
「二日後の晩、〈雄羊の蹴り足〉で」
 別れ際、ケイはベスに言った。決行までの間、あれをしろ、これはするなとは言わなかった。そんな気遣いは無用だ。
 だが、この後もやるべきことは残っている。
 ケイの忙しい一日はまだ終わらなかった。
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