3.きな臭い前座試合
「どういうつもりですか、ジミー?」
俺の次の試合が決まった。
決まったんだが、シニア・マネージャーのレティアは、そりゃもうおかんむりだ。
「何がだ?」
そっけないジミーの返答にレティアは、すうっと目を細める。
いけねぇ。完全にドタマにきてやがる。ジミーが瞬間湯沸かし器だとすれば、レティアは急速冷凍装置だ。こっちもまた頭に血が上りやすいが、怒れば怒るほど顔面は固くこわばって無表情に、声は抑揚に乏しく低くなる。オペレートルームの空気も一気に冷えるってもんだ。
「何が? ではありません。いちいち言わなくてもよいことを言わせないでください。
独断でカーンの試合を組みましたね? これはいったい、どういうつもりなのか、と聞いているんです」
ジミーは片方の親指をサスペンダーにかけ、引っ張りながら唇を歪める。
「どうもこうもあるか。指名があったから受けた。それだけのことだ!
前回のノックアウト負けで通告された、出場停止期間二ヶ月が明けた直後にはなるが、もうとっくにカーンは回復している。汎世界超獣バウト協会タイトルマッチの前座だぞ? 契約内容もこの上なく好条件だ」
「それはようございましたね」
機械音声のように淡々とした口調。
「ジミー・レムリは、頼んでもいない好条件を出す相手に尾を振るようなプロモーターでしたか? 裏があるに決まっているでしょう。
このタイトルマッチはK2インダストリー所属のチャンピオン超獣、トルネード・グリフォンの防衛戦で主催もK2イベント事業部。うちを体のいい景気づけにするつもりなのが見え見えじゃありませんか。それもカーンとミス・カーロフの商品価値があるうちに利用したいと言わんばかり。本当に浅ましい」
ジミーはサスペンダーから親指を離して、パチンと鳴らした。
「レティア……お前、私情が入ってないか?」
K2ことコーンケン&カヤマ・インダストリーは火星に本社がある大企業だ。
重工業機械、コンピュータ機器、バイオ製品と何でも開発して作り、売る。その“何でも”にはご想像どおり超獣も含まれていて、世界的な超獣メーカーのひとつでもある。自らが開発した超獣を多数保有、プロモートして、バウト・イベントも積極的に打つ。
レティア・クラークは、かつてK2の社員だった。
K2イベント事業部の超獣バウト担当チームに籍をおいていた頃、何があったのかはわからねぇ。とにかくレティアは以前の職場で鬱憤を溜め込んでいて、それをジミーが自分の右腕としてヘッドハントしたってこった。俺がヘンリーに買われてジミーの会社にくるよりも一、二年前の話だ。
レティアの青い瞳が冷たく光り、ジミーの言葉を無視して続ける。
「K2の会議の様子が私には手に取るようにわかりますよ。
これはいい性能テストだ。顧客の反応も上々と予想される。主目的は最新超獣のプレゼンテーションになるが、対戦カードとしても魅力がある。イベントを前座から全世界生中継にするコストは充分にペイするだろう――それで最後に火星住みの重役がモニター越しに、
“いずれにしても、相手には気の毒だがね”
とか気取ったコメントを付け加える。
本心では相手がどうなろうと知ったことではないくせに!
自社技術の過剰なアピールで、よそ様の超獣が再起不能になっても、試合の上での“不幸な事故”で済ませて、後日のうのうとK2保険の営業員を送ってくるような連中ですよ。それはあなたもご存知のはずじゃありませんか」
言葉を切った次の瞬間、レティアは細くしていた目を大きく見開いた。
「ジミー、あなた、まさか――」
苦虫を噛み潰したような顔で、ジミーは言った。
「事故でも起きなきゃ、嬢ちゃんはバウトをやめん」
レティアはジミーをにらみつけて、あえいだ。
「信じられない。よくもまあ、そんなまねを……。オーナーに対する背任です。超獣を手放させるために、危険な試合を組むなんて!
だいたいミス・カーロフはセコンドとしてまだ二戦しかしてないんですよ?
どうしてもう少し見守ってやれないんです」
「見守る? これ以上、嬢ちゃんがお涙頂戴のさらし者になるのをか!」
ジミーは被っていたソフト帽をつかみ、床に叩きつけた。
「カーンは昔から嬢ちゃんのお気に入りだ。父親との思い出もある。せめて一戦くらいは、と親心を出して、デビュー戦に送り出したのが間違いだった。
今じゃイベント屋やテレビ屋が嬢ちゃんを悲劇のヒロインに仕立てようと舌舐めずりしてやがる。最近、おかしなヤツらがうちを嗅ぎ回ってるのは、お前も知ってるだろうが! どいつもこいつも、美味しいネタになるうちは無遠慮にいじり倒して、これはもう使いものにならんと見たら、すぐさま用済みだ。
そんなみじめな思いを嬢ちゃんにさせるわけにはいかん!」
「それでも」とレティアは子をたしなめる親みてぇに言った。
「カーン・ベヒモスのオーナーはミス・カーロフで、セコンドをすると決めたのは本人の意思です。
そのためにセコンド免許まで取得して、うちにきたんですから」
免許と聞いてジミーは表情を曇らせた。
「……レティア、おかしいと思わないか?
嬢ちゃんはヘンリーが生きていた時から、もう勉強を始めていたと言っちゃいたが、それは独学だ。うちでヘンリーや他のセコンドの手ほどきを受けていたわけでも、ジムに通っていたわけでもない。白竜システムも学校の実習用やクラブのもので、小型の機獣とリンクしたのがせいぜいだろう。
それでなぜ、取得可能年齢ぎりぎり、満十七歳になったばかりの嬢ちゃんが、超獣バウトのセコンド免許を一発で取得できた? プロ試験に不正があったとは言わん。だが、審査会のアホどもが手心を加えた疑いはある。
バウトが商業イベントである以上、常にスターは必要だ。亡き父のワールドクラス超獣を受け継ぎ、弱冠十七歳でバウト界入りした娘――何も事情を知らん無責任な連中が、芸能スカウト気取りで引っ張りたがる“金の卵”じゃないか……」
試験の実態はともかく、お嬢は抜かりねぇことに、合格したら超獣バウトに出場してもいいと、父の死後、自分の保護者になった叔母――ヘンリーの妹だ――を説得して認めさせていた。
超獣の所有にセコンド免許、保護者の許可って豪華三点セットを武器に、未成年ながら堂々とレムリ・プロモーションにマッチメイクを依頼したってわけだ。恐れ入ったぜ。
ジミーはてっきり、一年で心の整理もついたお嬢が、俺の処分を頼みにきたんだと思ってたから、そりゃもう泡を食って、なだめたり、すかしたり、怒鳴ったりして、何とかあきらめさせようとしたが、お嬢は頑としてバウト・デビューの意思を曲げなかった。
言っちゃ何だが、ジミーはお嬢を舐めてたと思うぜ? 一戦すりゃ気が済む、敗戦したのを叱りつけりゃ尾っぽを丸めて退き下がる……そんなふうに高をくくってたんだろうさ。それが蓋を開けてみりゃ、二戦して二連敗でも、お嬢はまだ退かねぇ。
「このまま勝ちの見込みもなく続けていれば、“美女と野獣”はクズどもにさんざん食い物にされたあげく、ろくに試合も組めなくなる。それでも嬢ちゃんはカーンを手放さないだろうが、稼げない超獣のお守りなんぞしていたら、せっかくヘンリーが遺してくれた蓄えを使い果たしてしまいかねん!
いいか、本当なら嬢ちゃんは、その蓄えで何不自由なく高校生活を送ってだな、プロムで女王に選ばれて、一流大学に進学して、卒業後の就職先で火星企業の御曹司に見初められる――そんな人生を送っておかしくないんだ」
「ジミー……あなた、いつの時代のひとですか?」
レティアは呆れ返り、怒りも失せたようだった。
「だいたいミス・カーロフが負けっぱなしとは限らないでしょう。見た目は小さくて華奢ですけども、何しろ、あのヘンリーの娘なんですからね」
「バウトの才能が遺伝するなら世話はない!」
ジミーは床のソフト帽を拾い上げる。
「実戦未経験でワールドクラスのリングにデビューして、二戦とも後半のラウンドまでもたせたのは、素直に褒めてやっていいだろう。ガードにかまけて有効打のチャンスを逃したり、攻勢に出ながら詰めきれなかったりするのは仕方がない。
だが、ラッシュを浴びると立て直せないのは致命的だ! 攻め込まれると、たちまち気力が萎えて折れるようでは、超獣を活かせるセコンドにはなれん!」
俺はゴロゴロと喉を鳴らした。
そいつはちょっと違うぜ、ジミー。
お嬢はキツく攻められるとぺしゃんこになるが、それは相手の攻撃で萎えちまうからじゃねぇんだ。
お嬢は臆病じゃねぇ。戦う根性は残ってる。ああなっちまうのは、気力や意思とは別の問題よ。
ああいう時、お嬢はどうしたらいいのか、わからなくなっちまうんだ。
ヘタに頭が回るもんだから、俺が立て続けに大きなダメージを食らうと、超獣に気をつかったまま、相手の攻撃を見極めて、次の一手を考えて……と何もかもを一斉にやろうとして頭がパンクする。真面目な優等生ちゃんらしい反応だぜ。自分で全部やろうとして、いったん超獣に任せて、ひと呼吸置くってことができてねぇ。自分で仕事をしんどくしてんだ。落ち着けば、出せる手もあるってぇのによ。
結果、戦う気はあるのに、頭ン中は真っ白になって立ち往生。
それが情けなくって、自分を責めて、ハートが潰れちまう。
リンクしてる、俺にゃわかる。
わかっちゃいるんだが――超獣の俺には、例によってそれをジミーやレティアにはもちろん、試合中、お嬢に伝えることすらできねぇ。やきもきするぜ。今も格納庫でスリープモードのまま、喉を鳴らすばかりなのさ。
俺の立てる音には気づかずに、レティアは呟いた。
「こんな試合、カーンにも恨まれますよ」
いや、別に。
「K2は自社製品の優位性を誇示するためなら、平気で対戦相手の超獣を潰す。そうなるのがお望みなんでしょうけど、それではあまりにカーンが――」
「わかっている!」
ジミーは手にしていたソフト帽をぐしゃぐしゃに潰した。
「わかっている……。俺はカーンに死んでくれと言ってるようなもんだ。嬢ちゃんにも、カーンにも恨まれるだろう。あの世に行ったらヘンリーにぶん殴られるかもしれん。
それでも、こうするのがいいんだ」
あのなぁ、ジミー。
盛り上がってるところに悪りぃが、お嬢の話に、そうやっていちいち俺のことを勘定に入れなくていいんだよ。
何があろうと超獣は全力でバウトすることしかできねぇんだ。組まれた試合にゃ出るのが当然。こっちのことはほどほどにして、人間は人間のことを気にしてりゃいい。それで万事うまくいく。
死ぬかもしれねぇって?
そりゃ恐怖はあるがね。
だが、ジミーもレティアも超獣保護団体じゃあるまいし、超獣が死ぬのを深く考えすぎだ。
超獣の死なんてのはな、機械が壊れるのと変わらねぇ。
メンテナンスモードに入ったみてぇに眠くなって、眠くなって、眠くなって――。
眠るのさ。
イベント当日。
前座で上がるリングは一番オーソドックスなタイプだった。
傾斜のないフラットな土の地面。障害物なし。それを高いフェンスと観客席がぐるりと丸く囲む。
古式ゆかしい超円形闘技場だな。
このシンプルなリングになった理由は、たぶん、後に行われるメインのタイトルマッチで、チャンピオンサイドとチャレンジャーサイドの綱引きがあったせいだろう。
どっちも自分のとこの超獣に有利なリングでやりてぇ。たいていはチャンピオンがやや有利にセッティングされるもんなんだが、そこはイベント主催やテレビ屋の興行的な思惑も絡むし、両陣営の企業規模やバウト界での政治力も大きく影響する。
チャンピオン、K2インダストリーのトルネード・グリフォンに対して、チャレンジャーのスティンガー・スコルピオが所属するのは、モンテスことモンテレイ・エンタープライゼス。
モンテスはK2に勝るとも劣らぬ大企業で、汎世界超獣バウト協会にも役員を送り込んでいる、業界じゃ老舗中の老舗だ。
このタイトルマッチはK2とモンテスの力関係からすりゃ、両社の共同開催が妥当だと思うんだが、K2の単独主催ってこたぁ、代わりにモンテスの「リングは有利も不利もないイーブンなセット」って条件を飲んだってこったろうぜ。
ただ、わからねぇのは、前座もまったく同セッティングだってところだな。
悲しいかな、レムリ・プロモーションは、K2のご指名でイベントにいっちょ噛みさせてもらってる立場だ。ちびのジミーがどんだけ背伸びしたって、ガチで渡り合う金も力もねぇ。後に控えているタイトルマッチと同じリングを使うにしても、相手がそこに障害物やら何やら設置するって言ってきたら、こっちは仰せのままにするしかねぇんだ。
実際、俺みたいにノロマなデカブツと対戦するって話になると、相手陣営は足場が悪かったり、建物で高低差があったりするようなリングを使いたがる。たいていの超獣が俺より身軽で、そういうリングのほうが有利だからな。
なのに、今回はまんまフラット。
派手にぶっ壊して客を沸かせるためのコンクリの壁や障害物もなし。
これはできねぇってのとは違う。リングの模様替えは当たり前にやってることだ。試合の合間に作業用の機獣や、場合によっちゃ超獣も使って、次の準備を大がかりに行うのは、それ自体がイベントに組み込まれたショーになってることもある。
やれるし、やっておかしくないことを、やらねぇ。
――どうにもきな臭ぇな。
プロの公式戦でアホみてぇな仕込みはないはずだが、こういうところも含めて、レティアは「裏があるに決まっている」と言ったんだろう。
ま、こんなことは試合当日、現地入りした後に考えたって、どうにもなんねぇ。
俺は超獣運搬用のキャリアに横たえていた身を起こした。
そろそろ時間だ。
スリープモードが解除されたってことは、すでにお嬢はリング入場ゲート脇に設置された、セコンドブースの中だ。
リングを照らすライトと、四方の巨大な屋外ディスプレイが眩しい。
耳朶を打つのは――俺に耳たぶはねぇが――ハードでサイケなロック。モンテス系列のモンテレイ・エンターテイメントがプロデュースする人気シンガー、マリア・ハリスがオープニングを務めていた。
マリアとバンドが演奏するステージを大型トレーラーが牽引して、広々としたリング内をゆっくり、ぐるりとめぐる。どの客席からもステージを正面で観る機会があるように、って主催の粋なはからいだ。
今やってんのは、ドアーズの『ハートに火をつけて』のカバーか。
いいねぇ。
アレンジを効かせちゃいるが、オルガンの音色がパノラマみてぇに広がる、長い長い間奏も入れてんのは、だいぶん“わかってる”ぜ、マリア。この間奏はドアーズのシングル盤じゃ、ほぼほぼカットで、アルバムじゃねぇと聴けねぇんだが、やっぱりこれがねぇとな。こんな古典ロック、バウト・ファンに受けがいいのかは知らんがね。
〈白竜システム、リンク起動〉
リンクは正常。俺の視界の隅にワイプが現れ、そこに中継映像が映し出された。
とっくにテレビ中継は始まっている。
よくあるバウト・イベントはメインに加えて前座ふたつで計三試合ってメニューなんだが、今夜はマリア・ハリスのミニライブで開幕、そんで俺の出る前座十回戦、シメにタイトルマッチ十二回戦って構成よ。たとえタイトルマッチありの興行でも、全世界生中継はメイン・イベントのみってのはざらなんだが、売れっ子アーティストのライブとあっちゃ、そりゃオープニングから放送するわな。
おかげで会場チケットも完売御礼。
普段なら、ひいきの人気超獣が張るメイン直前にようやく来場するようなミーハーファンも、このイベントばかりは最初から詰めかけている。まったく、マリア様々ってとこだ。
ありがてぇことに、お嬢はこの大入りの舞台を前にしても落ち着いているようだった。
灰色の金属の、卵を倒して置いたような形の密閉されたブースの中で、お嬢は静かに正面のモニターを見つめている。
俺はそれを中継映像とは別の、視界の隅っこのワイプで見ながら立ち上がる。キャリアはキャタピラ音を立てながらゲートをくぐって出ていった。
マリア・ハリスもアンコールまで歌い終えて退場だ。
人気シンガーとバンドメンバーたちは移動ステージを牽いていたトレーラーに乗り込み、歓声の上がる客席に向かって笑顔で手を振りながら撤収。ステージはリング中央に置きっぱなしだが、こりゃどうすんだ? と思ったら、上空にヘリが現れた。そしてリング内に待機していた身長六メートルほどの機獣数体が集まって作業を始める。
ははん、ヘリで吊るしてどかすのか。
本当はマリアたちをステージに載せたまま、空に浮かべてリングアウトさせたかったんだろうな。なんなら演奏している状態で飛ばしたかったに違ぇねぇ。でも、事故が起きたらどうするんだ! ってモンテレイ・エンターテイメントが首をたてに振らなかった。そんなところじゃねぇかな。しっかし、なんだ。最近は入退場をヘリでやんのがイベントの流行りなんかね?
ステージもなくなって平らなリングが広がる。
これで中にいるのは超獣と、ゲート脇のブースに収まっているセコンドだけだ。
お嬢はブースの横に立っている俺をモニター越しに見上げていた。
「勝ちたいな……」
それでいい。
超獣バウトのセコンドがやらなきゃいけねぇのは、勝つことだからな。
俺たち超獣の人格は、無気力試合や八百長の防止も兼ねて、全力で戦うように組まれてる。ガチンコ勝負以外に選択の余地はねぇ。
ところが、だ。
自動的に全力出すからって、投げっぱで超獣の好きにやらせると、バイタルと性能に任せた駆け引きもクソもねぇ戦いになる。超獣ってのは、ただただ力と技を振るうばかりの存在で、本当の意味じゃ「勝ち」を狙えねぇのさ。作り物の人格に仕込まれた「勝て、そのために戦え」ってコマンドに従ってるだけ。こいつぁ真の意思じゃねぇ。
だからセコンドのハートが必要なんだ。
セコンドが心の底から勝ちてぇって思って、リンクを介して超獣に指示を飛ばす。最後に勝利をもぎ取るために、このラウンドはあえて攻撃の手数を減らすとか、逃げや防御に徹するとか、対戦相手の疲れるタイミングを見極めて、リスクがあってもラッシュをかけるとか、そうしたセコンドの勝つための意思と技量が試合の結果を左右するのさ。
「……父さんは、わたしが馬鹿みたいに悩んでいると、
“心配するな、俺とカーンが何とかする!”
って、いつも笑ってた」
お嬢は小さな声で呟いていた。
「父さんはもちろんだけど、あなたにもいっぱい助けてもらった。
今度はわたしの番――あなたを勝たせる」
殊勝なこったぜ。これまで育てていただいた、ご恩をお返ししますってか? 感謝するなら父親のヘンリーに対してだけでいいのに。
ま、それで試合に向かうモチベが上がって、集中できてるみてぇだから文句はねぇけどよ。
――俺を見つめるお嬢の瞳の奥に、星が輝いている。
小さな、小さな戦うための意思の光。
こいつをもっと輝かせるには、自分で何とかするしかねぇ。
ハートに火をつけて、やるんだよ。
俺は助けられねぇ。
できることと言ったら、精一杯戦うことと、せめて苦痛や恐怖を丸ごとお嬢にゃ渡さねぇことくらい。
兄貴ヅラしたところで、俺があげられるものは何にもねぇんだよ、お嬢。
俺の次の試合が決まった。
決まったんだが、シニア・マネージャーのレティアは、そりゃもうおかんむりだ。
「何がだ?」
そっけないジミーの返答にレティアは、すうっと目を細める。
いけねぇ。完全にドタマにきてやがる。ジミーが瞬間湯沸かし器だとすれば、レティアは急速冷凍装置だ。こっちもまた頭に血が上りやすいが、怒れば怒るほど顔面は固くこわばって無表情に、声は抑揚に乏しく低くなる。オペレートルームの空気も一気に冷えるってもんだ。
「何が? ではありません。いちいち言わなくてもよいことを言わせないでください。
独断でカーンの試合を組みましたね? これはいったい、どういうつもりなのか、と聞いているんです」
ジミーは片方の親指をサスペンダーにかけ、引っ張りながら唇を歪める。
「どうもこうもあるか。指名があったから受けた。それだけのことだ!
前回のノックアウト負けで通告された、出場停止期間二ヶ月が明けた直後にはなるが、もうとっくにカーンは回復している。汎世界超獣バウト協会タイトルマッチの前座だぞ? 契約内容もこの上なく好条件だ」
「それはようございましたね」
機械音声のように淡々とした口調。
「ジミー・レムリは、頼んでもいない好条件を出す相手に尾を振るようなプロモーターでしたか? 裏があるに決まっているでしょう。
このタイトルマッチはK2インダストリー所属のチャンピオン超獣、トルネード・グリフォンの防衛戦で主催もK2イベント事業部。うちを体のいい景気づけにするつもりなのが見え見えじゃありませんか。それもカーンとミス・カーロフの商品価値があるうちに利用したいと言わんばかり。本当に浅ましい」
ジミーはサスペンダーから親指を離して、パチンと鳴らした。
「レティア……お前、私情が入ってないか?」
K2ことコーンケン&カヤマ・インダストリーは火星に本社がある大企業だ。
重工業機械、コンピュータ機器、バイオ製品と何でも開発して作り、売る。その“何でも”にはご想像どおり超獣も含まれていて、世界的な超獣メーカーのひとつでもある。自らが開発した超獣を多数保有、プロモートして、バウト・イベントも積極的に打つ。
レティア・クラークは、かつてK2の社員だった。
K2イベント事業部の超獣バウト担当チームに籍をおいていた頃、何があったのかはわからねぇ。とにかくレティアは以前の職場で鬱憤を溜め込んでいて、それをジミーが自分の右腕としてヘッドハントしたってこった。俺がヘンリーに買われてジミーの会社にくるよりも一、二年前の話だ。
レティアの青い瞳が冷たく光り、ジミーの言葉を無視して続ける。
「K2の会議の様子が私には手に取るようにわかりますよ。
これはいい性能テストだ。顧客の反応も上々と予想される。主目的は最新超獣のプレゼンテーションになるが、対戦カードとしても魅力がある。イベントを前座から全世界生中継にするコストは充分にペイするだろう――それで最後に火星住みの重役がモニター越しに、
“いずれにしても、相手には気の毒だがね”
とか気取ったコメントを付け加える。
本心では相手がどうなろうと知ったことではないくせに!
自社技術の過剰なアピールで、よそ様の超獣が再起不能になっても、試合の上での“不幸な事故”で済ませて、後日のうのうとK2保険の営業員を送ってくるような連中ですよ。それはあなたもご存知のはずじゃありませんか」
言葉を切った次の瞬間、レティアは細くしていた目を大きく見開いた。
「ジミー、あなた、まさか――」
苦虫を噛み潰したような顔で、ジミーは言った。
「事故でも起きなきゃ、嬢ちゃんはバウトをやめん」
レティアはジミーをにらみつけて、あえいだ。
「信じられない。よくもまあ、そんなまねを……。オーナーに対する背任です。超獣を手放させるために、危険な試合を組むなんて!
だいたいミス・カーロフはセコンドとしてまだ二戦しかしてないんですよ?
どうしてもう少し見守ってやれないんです」
「見守る? これ以上、嬢ちゃんがお涙頂戴のさらし者になるのをか!」
ジミーは被っていたソフト帽をつかみ、床に叩きつけた。
「カーンは昔から嬢ちゃんのお気に入りだ。父親との思い出もある。せめて一戦くらいは、と親心を出して、デビュー戦に送り出したのが間違いだった。
今じゃイベント屋やテレビ屋が嬢ちゃんを悲劇のヒロインに仕立てようと舌舐めずりしてやがる。最近、おかしなヤツらがうちを嗅ぎ回ってるのは、お前も知ってるだろうが! どいつもこいつも、美味しいネタになるうちは無遠慮にいじり倒して、これはもう使いものにならんと見たら、すぐさま用済みだ。
そんなみじめな思いを嬢ちゃんにさせるわけにはいかん!」
「それでも」とレティアは子をたしなめる親みてぇに言った。
「カーン・ベヒモスのオーナーはミス・カーロフで、セコンドをすると決めたのは本人の意思です。
そのためにセコンド免許まで取得して、うちにきたんですから」
免許と聞いてジミーは表情を曇らせた。
「……レティア、おかしいと思わないか?
嬢ちゃんはヘンリーが生きていた時から、もう勉強を始めていたと言っちゃいたが、それは独学だ。うちでヘンリーや他のセコンドの手ほどきを受けていたわけでも、ジムに通っていたわけでもない。白竜システムも学校の実習用やクラブのもので、小型の機獣とリンクしたのがせいぜいだろう。
それでなぜ、取得可能年齢ぎりぎり、満十七歳になったばかりの嬢ちゃんが、超獣バウトのセコンド免許を一発で取得できた? プロ試験に不正があったとは言わん。だが、審査会のアホどもが手心を加えた疑いはある。
バウトが商業イベントである以上、常にスターは必要だ。亡き父のワールドクラス超獣を受け継ぎ、弱冠十七歳でバウト界入りした娘――何も事情を知らん無責任な連中が、芸能スカウト気取りで引っ張りたがる“金の卵”じゃないか……」
試験の実態はともかく、お嬢は抜かりねぇことに、合格したら超獣バウトに出場してもいいと、父の死後、自分の保護者になった叔母――ヘンリーの妹だ――を説得して認めさせていた。
超獣の所有にセコンド免許、保護者の許可って豪華三点セットを武器に、未成年ながら堂々とレムリ・プロモーションにマッチメイクを依頼したってわけだ。恐れ入ったぜ。
ジミーはてっきり、一年で心の整理もついたお嬢が、俺の処分を頼みにきたんだと思ってたから、そりゃもう泡を食って、なだめたり、すかしたり、怒鳴ったりして、何とかあきらめさせようとしたが、お嬢は頑としてバウト・デビューの意思を曲げなかった。
言っちゃ何だが、ジミーはお嬢を舐めてたと思うぜ? 一戦すりゃ気が済む、敗戦したのを叱りつけりゃ尾っぽを丸めて退き下がる……そんなふうに高をくくってたんだろうさ。それが蓋を開けてみりゃ、二戦して二連敗でも、お嬢はまだ退かねぇ。
「このまま勝ちの見込みもなく続けていれば、“美女と野獣”はクズどもにさんざん食い物にされたあげく、ろくに試合も組めなくなる。それでも嬢ちゃんはカーンを手放さないだろうが、稼げない超獣のお守りなんぞしていたら、せっかくヘンリーが遺してくれた蓄えを使い果たしてしまいかねん!
いいか、本当なら嬢ちゃんは、その蓄えで何不自由なく高校生活を送ってだな、プロムで女王に選ばれて、一流大学に進学して、卒業後の就職先で火星企業の御曹司に見初められる――そんな人生を送っておかしくないんだ」
「ジミー……あなた、いつの時代のひとですか?」
レティアは呆れ返り、怒りも失せたようだった。
「だいたいミス・カーロフが負けっぱなしとは限らないでしょう。見た目は小さくて華奢ですけども、何しろ、あのヘンリーの娘なんですからね」
「バウトの才能が遺伝するなら世話はない!」
ジミーは床のソフト帽を拾い上げる。
「実戦未経験でワールドクラスのリングにデビューして、二戦とも後半のラウンドまでもたせたのは、素直に褒めてやっていいだろう。ガードにかまけて有効打のチャンスを逃したり、攻勢に出ながら詰めきれなかったりするのは仕方がない。
だが、ラッシュを浴びると立て直せないのは致命的だ! 攻め込まれると、たちまち気力が萎えて折れるようでは、超獣を活かせるセコンドにはなれん!」
俺はゴロゴロと喉を鳴らした。
そいつはちょっと違うぜ、ジミー。
お嬢はキツく攻められるとぺしゃんこになるが、それは相手の攻撃で萎えちまうからじゃねぇんだ。
お嬢は臆病じゃねぇ。戦う根性は残ってる。ああなっちまうのは、気力や意思とは別の問題よ。
ああいう時、お嬢はどうしたらいいのか、わからなくなっちまうんだ。
ヘタに頭が回るもんだから、俺が立て続けに大きなダメージを食らうと、超獣に気をつかったまま、相手の攻撃を見極めて、次の一手を考えて……と何もかもを一斉にやろうとして頭がパンクする。真面目な優等生ちゃんらしい反応だぜ。自分で全部やろうとして、いったん超獣に任せて、ひと呼吸置くってことができてねぇ。自分で仕事をしんどくしてんだ。落ち着けば、出せる手もあるってぇのによ。
結果、戦う気はあるのに、頭ン中は真っ白になって立ち往生。
それが情けなくって、自分を責めて、ハートが潰れちまう。
リンクしてる、俺にゃわかる。
わかっちゃいるんだが――超獣の俺には、例によってそれをジミーやレティアにはもちろん、試合中、お嬢に伝えることすらできねぇ。やきもきするぜ。今も格納庫でスリープモードのまま、喉を鳴らすばかりなのさ。
俺の立てる音には気づかずに、レティアは呟いた。
「こんな試合、カーンにも恨まれますよ」
いや、別に。
「K2は自社製品の優位性を誇示するためなら、平気で対戦相手の超獣を潰す。そうなるのがお望みなんでしょうけど、それではあまりにカーンが――」
「わかっている!」
ジミーは手にしていたソフト帽をぐしゃぐしゃに潰した。
「わかっている……。俺はカーンに死んでくれと言ってるようなもんだ。嬢ちゃんにも、カーンにも恨まれるだろう。あの世に行ったらヘンリーにぶん殴られるかもしれん。
それでも、こうするのがいいんだ」
あのなぁ、ジミー。
盛り上がってるところに悪りぃが、お嬢の話に、そうやっていちいち俺のことを勘定に入れなくていいんだよ。
何があろうと超獣は全力でバウトすることしかできねぇんだ。組まれた試合にゃ出るのが当然。こっちのことはほどほどにして、人間は人間のことを気にしてりゃいい。それで万事うまくいく。
死ぬかもしれねぇって?
そりゃ恐怖はあるがね。
だが、ジミーもレティアも超獣保護団体じゃあるまいし、超獣が死ぬのを深く考えすぎだ。
超獣の死なんてのはな、機械が壊れるのと変わらねぇ。
メンテナンスモードに入ったみてぇに眠くなって、眠くなって、眠くなって――。
眠るのさ。
イベント当日。
前座で上がるリングは一番オーソドックスなタイプだった。
傾斜のないフラットな土の地面。障害物なし。それを高いフェンスと観客席がぐるりと丸く囲む。
古式ゆかしい超円形闘技場だな。
このシンプルなリングになった理由は、たぶん、後に行われるメインのタイトルマッチで、チャンピオンサイドとチャレンジャーサイドの綱引きがあったせいだろう。
どっちも自分のとこの超獣に有利なリングでやりてぇ。たいていはチャンピオンがやや有利にセッティングされるもんなんだが、そこはイベント主催やテレビ屋の興行的な思惑も絡むし、両陣営の企業規模やバウト界での政治力も大きく影響する。
チャンピオン、K2インダストリーのトルネード・グリフォンに対して、チャレンジャーのスティンガー・スコルピオが所属するのは、モンテスことモンテレイ・エンタープライゼス。
モンテスはK2に勝るとも劣らぬ大企業で、汎世界超獣バウト協会にも役員を送り込んでいる、業界じゃ老舗中の老舗だ。
このタイトルマッチはK2とモンテスの力関係からすりゃ、両社の共同開催が妥当だと思うんだが、K2の単独主催ってこたぁ、代わりにモンテスの「リングは有利も不利もないイーブンなセット」って条件を飲んだってこったろうぜ。
ただ、わからねぇのは、前座もまったく同セッティングだってところだな。
悲しいかな、レムリ・プロモーションは、K2のご指名でイベントにいっちょ噛みさせてもらってる立場だ。ちびのジミーがどんだけ背伸びしたって、ガチで渡り合う金も力もねぇ。後に控えているタイトルマッチと同じリングを使うにしても、相手がそこに障害物やら何やら設置するって言ってきたら、こっちは仰せのままにするしかねぇんだ。
実際、俺みたいにノロマなデカブツと対戦するって話になると、相手陣営は足場が悪かったり、建物で高低差があったりするようなリングを使いたがる。たいていの超獣が俺より身軽で、そういうリングのほうが有利だからな。
なのに、今回はまんまフラット。
派手にぶっ壊して客を沸かせるためのコンクリの壁や障害物もなし。
これはできねぇってのとは違う。リングの模様替えは当たり前にやってることだ。試合の合間に作業用の機獣や、場合によっちゃ超獣も使って、次の準備を大がかりに行うのは、それ自体がイベントに組み込まれたショーになってることもある。
やれるし、やっておかしくないことを、やらねぇ。
――どうにもきな臭ぇな。
プロの公式戦でアホみてぇな仕込みはないはずだが、こういうところも含めて、レティアは「裏があるに決まっている」と言ったんだろう。
ま、こんなことは試合当日、現地入りした後に考えたって、どうにもなんねぇ。
俺は超獣運搬用のキャリアに横たえていた身を起こした。
そろそろ時間だ。
スリープモードが解除されたってことは、すでにお嬢はリング入場ゲート脇に設置された、セコンドブースの中だ。
リングを照らすライトと、四方の巨大な屋外ディスプレイが眩しい。
耳朶を打つのは――俺に耳たぶはねぇが――ハードでサイケなロック。モンテス系列のモンテレイ・エンターテイメントがプロデュースする人気シンガー、マリア・ハリスがオープニングを務めていた。
マリアとバンドが演奏するステージを大型トレーラーが牽引して、広々としたリング内をゆっくり、ぐるりとめぐる。どの客席からもステージを正面で観る機会があるように、って主催の粋なはからいだ。
今やってんのは、ドアーズの『ハートに火をつけて』のカバーか。
いいねぇ。
アレンジを効かせちゃいるが、オルガンの音色がパノラマみてぇに広がる、長い長い間奏も入れてんのは、だいぶん“わかってる”ぜ、マリア。この間奏はドアーズのシングル盤じゃ、ほぼほぼカットで、アルバムじゃねぇと聴けねぇんだが、やっぱりこれがねぇとな。こんな古典ロック、バウト・ファンに受けがいいのかは知らんがね。
〈白竜システム、リンク起動〉
リンクは正常。俺の視界の隅にワイプが現れ、そこに中継映像が映し出された。
とっくにテレビ中継は始まっている。
よくあるバウト・イベントはメインに加えて前座ふたつで計三試合ってメニューなんだが、今夜はマリア・ハリスのミニライブで開幕、そんで俺の出る前座十回戦、シメにタイトルマッチ十二回戦って構成よ。たとえタイトルマッチありの興行でも、全世界生中継はメイン・イベントのみってのはざらなんだが、売れっ子アーティストのライブとあっちゃ、そりゃオープニングから放送するわな。
おかげで会場チケットも完売御礼。
普段なら、ひいきの人気超獣が張るメイン直前にようやく来場するようなミーハーファンも、このイベントばかりは最初から詰めかけている。まったく、マリア様々ってとこだ。
ありがてぇことに、お嬢はこの大入りの舞台を前にしても落ち着いているようだった。
灰色の金属の、卵を倒して置いたような形の密閉されたブースの中で、お嬢は静かに正面のモニターを見つめている。
俺はそれを中継映像とは別の、視界の隅っこのワイプで見ながら立ち上がる。キャリアはキャタピラ音を立てながらゲートをくぐって出ていった。
マリア・ハリスもアンコールまで歌い終えて退場だ。
人気シンガーとバンドメンバーたちは移動ステージを牽いていたトレーラーに乗り込み、歓声の上がる客席に向かって笑顔で手を振りながら撤収。ステージはリング中央に置きっぱなしだが、こりゃどうすんだ? と思ったら、上空にヘリが現れた。そしてリング内に待機していた身長六メートルほどの機獣数体が集まって作業を始める。
ははん、ヘリで吊るしてどかすのか。
本当はマリアたちをステージに載せたまま、空に浮かべてリングアウトさせたかったんだろうな。なんなら演奏している状態で飛ばしたかったに違ぇねぇ。でも、事故が起きたらどうするんだ! ってモンテレイ・エンターテイメントが首をたてに振らなかった。そんなところじゃねぇかな。しっかし、なんだ。最近は入退場をヘリでやんのがイベントの流行りなんかね?
ステージもなくなって平らなリングが広がる。
これで中にいるのは超獣と、ゲート脇のブースに収まっているセコンドだけだ。
お嬢はブースの横に立っている俺をモニター越しに見上げていた。
「勝ちたいな……」
それでいい。
超獣バウトのセコンドがやらなきゃいけねぇのは、勝つことだからな。
俺たち超獣の人格は、無気力試合や八百長の防止も兼ねて、全力で戦うように組まれてる。ガチンコ勝負以外に選択の余地はねぇ。
ところが、だ。
自動的に全力出すからって、投げっぱで超獣の好きにやらせると、バイタルと性能に任せた駆け引きもクソもねぇ戦いになる。超獣ってのは、ただただ力と技を振るうばかりの存在で、本当の意味じゃ「勝ち」を狙えねぇのさ。作り物の人格に仕込まれた「勝て、そのために戦え」ってコマンドに従ってるだけ。こいつぁ真の意思じゃねぇ。
だからセコンドのハートが必要なんだ。
セコンドが心の底から勝ちてぇって思って、リンクを介して超獣に指示を飛ばす。最後に勝利をもぎ取るために、このラウンドはあえて攻撃の手数を減らすとか、逃げや防御に徹するとか、対戦相手の疲れるタイミングを見極めて、リスクがあってもラッシュをかけるとか、そうしたセコンドの勝つための意思と技量が試合の結果を左右するのさ。
「……父さんは、わたしが馬鹿みたいに悩んでいると、
“心配するな、俺とカーンが何とかする!”
って、いつも笑ってた」
お嬢は小さな声で呟いていた。
「父さんはもちろんだけど、あなたにもいっぱい助けてもらった。
今度はわたしの番――あなたを勝たせる」
殊勝なこったぜ。これまで育てていただいた、ご恩をお返ししますってか? 感謝するなら父親のヘンリーに対してだけでいいのに。
ま、それで試合に向かうモチベが上がって、集中できてるみてぇだから文句はねぇけどよ。
――俺を見つめるお嬢の瞳の奥に、星が輝いている。
小さな、小さな戦うための意思の光。
こいつをもっと輝かせるには、自分で何とかするしかねぇ。
ハートに火をつけて、やるんだよ。
俺は助けられねぇ。
できることと言ったら、精一杯戦うことと、せめて苦痛や恐怖を丸ごとお嬢にゃ渡さねぇことくらい。
兄貴ヅラしたところで、俺があげられるものは何にもねぇんだよ、お嬢。
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