4.独占映像に激怒
「紳士淑女の皆様、大変お待たせいたしました!
これより超獣バウト・ノンタイトル十回戦の試合が行われます」
会場を照らしていた照明が消え、俺にスポットライトが当たる。
俺はゆっくりとリング中央に歩み出た。
かかる音楽は……なんだ、こりゃ? ずいぶんと大仰な、ドアーズよりもさらにクラッシックな、大昔のカイジュー映画のサントラみてぇな曲だ。ひっかくように耳障りなストリングス、地を震わせるティンパニ。いつもならハードなギターロックが選曲されるんだがな。これはこれで悪くねぇか。
「東ゲートから入場はご存知、スーパーヘビーなパワーモンスター超獣!
“金目の狂牛”カーン・ベヒモスゥーッ!」
俺は地面に拳が届くほど長く太い両腕を振り上げ、天に向かって咆哮した。
こいつはお客さんへのサービスだ、取っときな。
気合、入れてくぜ。
俺が腕を下ろすと同時に、もうひとつのスポットライトが対戦相手を照らした。
その体型は俺よりもずっと人間に近いフォルムだ。身長は十八メートルプラスアルファってところか。
俺が身長二十メートル超、角を二本生やした水牛のようなデカい頭で、体の横幅も広くてゴツく、ゴリラみてぇに極端な前傾姿勢なのに対して、相手はずっと細身で、まっすぐに背を伸ばし、全体の輪郭や手足の長さの比率は鍛え上げられた人間のそれとほとんど変わらねぇ。
音楽は、こりゃまた古臭い、チャンバラ映画のサントラみてぇなやつだ。三味線がジャカジャカかき鳴らされ、甲高い笛の音が耳をつんざく。おいおい、サムライのお出ましか?
「西ゲートから入場は、このたびワールドクラス十回戦の大舞台に初見参!
“漆黒の悪夢”スキッド・シャドォーウッ!」
サムライじゃねぇ。ニンジャだ。
スキッド・シャドウは静かに腕組みした。
仕草まで人間っぽい――なるほど、これがK2の采配なのか、テレビ屋の意向なのかはわからねぇが、この試合は“カイジュー対ニンジャ”って趣向でいくわけね。いいじゃねぇか。カイジュー上等、ニンジャ上等よ。
名前がスキッドってこたぁ、こいつのモチーフはイカなんだろうが、あまりそれっぽさはねぇな。
三角に尖った頭がイカらしいかもしれねぇが、どちらかと言えば頭巾に見える。目は細くつり上がっていて、口は鳥のくちばしのようだ。腕や胴体はほぼ人間型で、腹筋は何重にもバキバキに割れている。脚は長く、ふくらはぎが左右に張り出すほど発達してやがる。
知ってるぜ。キャハンっていうサムライやニンジャが履くゲートルを模してるんだろ?
それで全身は各部の金属装甲まで含めて光沢のある黒。
体の表面がのっぺりしてるのはイカっぽいが、他はどこをとってもニンジャ感が満載だな。
スポットライトが消え、再びリングと客席を照らすライトが点いた。
「いよいよ始まる、今夜の超獣バウト! マリア・ハリスの歌声の熱も冷めやらぬ中、連続二試合を全世界生中継! 実況アナウンサーは私、パトリック・ウォーレンが務めさせていただきます」
うへぇ、パッキーかよ。
こいつはキャリアもあるし、悪くねぇアナウンサーなんだが、すぐに紋切り型の台詞を口走るクセがあってな。超獣がちょっとガードに徹してるのを見るとすぐに、
「これはカウンターを狙っているのか!」
とか見当違いなことを抜かすし、倒れりゃスリップかダウンかの区別もなしに、
「立て、立つんだァーッ!」
とか、わめき散らすしで、年季の入ったバウト・ファンからは「パッキー・“馬鹿のひとつ覚え”ウォーレン」って呼ばれて煙たがられてる。
俺も正直、うるせぇ黙ってろ! と思うこともしばしばなんだが、こういうビッグ・イベントでは下手すっと、バウトに興味のかけらもない人気アナが実況にあてがわれちまうこともある。それに比べりゃ、はるかにマシだ。
「なお、こちらの実況席には解説として、スチュワート・ジム会長のフレッド・スチュワートさんをお招きしております。スチュワートさんには本試合に続くタイトルマッチでも解説をお願いしております。
スチュワートさん、本日はよろしくお願いいたします!」
「はい。よろしく」
おっと、こいつぁすげぇな。
フレッド・スチュワートと言やぁ、あの“破れざる王者”バスター・ウルフを始め、数多の超獣をチャンピオンにした伝説の名セコンドだ。引退後はジムを経営して後進の育成に勤しみ、業界トップランクのセコンドを何十人も輩出してる。ここにヘンリーがいたら泣いて喜んだだろうし、ジミーなんて今頃、サインが欲しくて色紙を準備してるかもしれねぇ。
見た目は、孫が焼いてくれたジンジャークッキーをうれしそうにかじって、コーヒーをちびちび飲んでそうな、縮んだジィさんだけどな。
「それではリング中央で向き合う、両雄をご覧ください。
まずは東サイドのカーン・ベヒモス。この超獣はバウト・ファンにはお馴染みでしょう。規格外の巨体とパワーを誇り、そのキャリアも現役二十年と、活躍期間もこれまた規格外の古豪です! 彼を知らないようでは、モグリのそしりを受けるのもやむなし、といったところではないでしょうか?」
水を向けられたフレッド翁は笑顔で答えた。
「もちろん私もカーンのことは存じておりますよ。
超獣の入れ替わりが激しいバウト界で、これほど長期に、しかも中の下のランキングとはいえワールドクラスで戦い続けている例は稀有と言えます。これはただのタフネスで説明できるものではありません。セコンドはもちろん、これまでカーンにかかわってきた、すべての人がバウトを愛し、この超獣を愛護的に扱ってきたからこその活躍でしょう」
よかったな、ヘンリー、ジミー。褒められてるぜ。
実況のパッキーも、我が意を得たりとばかりにうなずく。
「なるほど。カーン・ベヒモスはデビュー以来、オーナーのヘンリー・カーロフがセコンドを務め続けていました。カーロフは“熱血ダイナマイト男”として知られ、王座に輝いたグリズリー・パンツァーを始め、数多くの超獣のセコンドに就きましたが、カーンのセコンドを他に委ねることはありませんでした。きっと、この超獣に対して格別の思いがあったのでしょうね。
しかし、何とも惜しいことに、そのヘンリー・カーロフは病で急逝してしまいました――」
「ええ。本当に残念なことです。
実は私、彼とは直接会って、話したことがありましてね」
「ほう!」
そりゃ初耳だな。
「古い話です。カーンがデビューするよりも前、彼はまだ駆け出しの若者で、私も今よりはもう少し若かった。PWGAのレセプションで声をかけられて、サインを求められました。それで意気投合しましてね。夜の街にくり出して、ふたりで飲みました。
血気盛んで気持ちのいい男でした。若くしてすでに超獣バウトに一家言持っていました」
そしてフレッド翁は茶目っ気たっぷりに付け加えた。
「――が、ダーツは下手でしたな」
実況席は和やかな笑いに包まれる。
さすがは伝説の名セコンド。トークもこなすぜ。
「そうしますとスチュワートさんは、この試合のカーンのセコンド、エルザ・カーロフのこともご存知で?
ヘンリー・カーロフ没後、カーン・ベヒモスは一年以上、エキシビション含めてバウトに未出場でした。
圧倒的タフネスで知られる“狂牛”もさすがに引退――。そう思われておりましたが、半年前、予告なしに再始動! なんとヘンリー・カーロフの実の娘が十七歳の若さで、カーンのセコンドとしてワールドクラスのリングに登場したわけです」
パッキーめ。フレッド翁からお嬢の話を引き出せないか、探りを入れてるな。
だが、そうはうまくいくもんか。
「彼に娘がいるというのは風の噂で耳に入っておりましたよ。
しかしセコンドになるとか、なろうとしているといった話は聞いたことがありませんでした。
いや、これは素晴らしいことです! 十七歳ですか? 学校に通いながら免許を? 恥ずかしながら私など、ろくに学校にも行かずに暴れていたのを、街の教会の牧師様がそりゃあ親切にしてくださったおかげで身を持ち直しまして、十九の時に何とかセコンド免許を取ったのです」
ほら見ろ。お嬢が免許を取るなんて、俺たちでも知らなかったんだぞ。いかにフレッド・スチュワートが業界の重鎮中の重鎮だからって、何でもかんでも知ってるわきゃねぇよ。
「いやぁ、おっしゃるとおり、本当に素晴らしいですね!
エルザ・カーロフは父の超獣を継ぎ、弱冠十七歳で見事にデビューを果たしたことになります。
それでは、ここで我々が入手した独占映像をご覧ください」
独占映像?
俺の視界のワイプに、小さなお嬢を肩車して満面の笑みを浮かべるヘンリーの姿が映し出された。
――やられた!
「これは職場のパーティーでしょうか。十五年ほど前のホームビデオだそうです。
カーロフ親子の美しい絆が、こちらにも伝わってくるではありませんか」
うるせぇ、殺すぞ、パッキー!
ヘンリーの、お嬢のプライベートだぞ! 大事な思い出だぞ!
こんなもの、お嬢やジミー、レティアや、その他のレムリ・プロモーションの社員がテレビ屋に渡すはずがねぇ。お嬢の保護者の叔母だってそうだ。ジミーが必死こいて周囲の人間に、お嬢を嗅ぎ回る連中には何も話すな! って重々、言い含めてるからな。
今頃、ジミーはリングの外で怒髪天を衝き、被っていたソフト帽を成層圏まで吹き飛ばしてるだろう。それか、パッキーをぶちのめそうと実況席に駆け込もうとして、警備員にとっ捕まってるか。
映像をテレビ屋に渡したのは、俺が思うにレムリを辞めた元社員だ。すぐに怒鳴り散らすジミーと反りが合わなくて、喧嘩別れで退社したヤツも何人かいる。おおかた、そんなヤツのうちの誰かが持ってたファイルを売り飛ばしたんだろうよ……。
俺は深呼吸した。
落ち着け。せっかくデカい鼻の穴してるんだ。ゆっくり息を吸って吐け。
俺がカッカしたら、それがリンクしてるお嬢に伝わる。怒りは戦う力になるが、あらぬ方向に暴発させちゃ意味がねぇんだ。対戦相手とぶつかる直前に集中を切らすんじゃねぇ。
集中できねぇなら、何か別のことを考えろ。
――超獣開発の黎明期。
世界初の“完成された超獣”、白竜が生まれる前は、こうした不意の怒りや憎しみがとんでもない事故を引き起こしたって話だ。
初期も初期のシステムは超獣と操者――バウトで言えばセコンド――を、ほぼダイレクトにリンクさせてたらしい。そんなだから、つながっているどちらか一方でも激情にとらわれたら最後、あっという間に双方が飲み込まれる。憤怒や憎悪を感じているのは超獣なのか操者なのか、もはや区別がねぇ。かくして超獣も操者も我を失って大暴れ! んで、死傷者多数の地獄絵図が展開したってわけよ。
いくつもの失敗を重ねて確立されたリンク――それを含む白竜システムは現在、直接の害がない閾値内でしか超獣と操者の間で意識や感覚をやりとりさせねぇ。その範囲でフィルタリングの強度調整も可能。
こいつがなかったら、俺、そして俺の怒りに飲まれたお嬢は適当な場所を実況席だと当たりをつけて、パッキーかもしれない誰かめがけて右ストレートをぶち込んでたところだ。
そうしてやってもよかったがな!
俺が暴れ出さなくてすんだのは白竜システムと、お嬢のおかげだ。
お嬢は思いの外、冷静だった。
リンクを介して、フィルターで弱められてはいても、俺の怒りが多少は届いているはずだが、それで心がかき乱されることはなかったらしい。お嬢はブースのサブモニターで流される、画質のよくないビデオの中継映像をじっと見ていた。
肩車された小さなお嬢は大はしゃぎしていて、ヘンリーは時々ビールをあおったり、フォークで好物のクンパオチキンを口に運んだりしている。奥ではジミーが何やら悦に入った表情でワインボトルの栓を抜こうとしているし、テーブルにてきぱきとポテトやピザを並べるレティアの姿もあった。そしておしゃべりに興じる社員たち。
それを見るお嬢から伝わってくる感情は、俺にはうまく説明できねぇが、悪いもんじゃなかった。
熱くも冷たくもねぇ。まるで自分の足元の地面を踏み固めているような何か。
ありがとよ――。
その何かが、俺の怒りを鎮めてくれた。
これより超獣バウト・ノンタイトル十回戦の試合が行われます」
会場を照らしていた照明が消え、俺にスポットライトが当たる。
俺はゆっくりとリング中央に歩み出た。
かかる音楽は……なんだ、こりゃ? ずいぶんと大仰な、ドアーズよりもさらにクラッシックな、大昔のカイジュー映画のサントラみてぇな曲だ。ひっかくように耳障りなストリングス、地を震わせるティンパニ。いつもならハードなギターロックが選曲されるんだがな。これはこれで悪くねぇか。
「東ゲートから入場はご存知、スーパーヘビーなパワーモンスター超獣!
“金目の狂牛”カーン・ベヒモスゥーッ!」
俺は地面に拳が届くほど長く太い両腕を振り上げ、天に向かって咆哮した。
こいつはお客さんへのサービスだ、取っときな。
気合、入れてくぜ。
俺が腕を下ろすと同時に、もうひとつのスポットライトが対戦相手を照らした。
その体型は俺よりもずっと人間に近いフォルムだ。身長は十八メートルプラスアルファってところか。
俺が身長二十メートル超、角を二本生やした水牛のようなデカい頭で、体の横幅も広くてゴツく、ゴリラみてぇに極端な前傾姿勢なのに対して、相手はずっと細身で、まっすぐに背を伸ばし、全体の輪郭や手足の長さの比率は鍛え上げられた人間のそれとほとんど変わらねぇ。
音楽は、こりゃまた古臭い、チャンバラ映画のサントラみてぇなやつだ。三味線がジャカジャカかき鳴らされ、甲高い笛の音が耳をつんざく。おいおい、サムライのお出ましか?
「西ゲートから入場は、このたびワールドクラス十回戦の大舞台に初見参!
“漆黒の悪夢”スキッド・シャドォーウッ!」
サムライじゃねぇ。ニンジャだ。
スキッド・シャドウは静かに腕組みした。
仕草まで人間っぽい――なるほど、これがK2の采配なのか、テレビ屋の意向なのかはわからねぇが、この試合は“カイジュー対ニンジャ”って趣向でいくわけね。いいじゃねぇか。カイジュー上等、ニンジャ上等よ。
名前がスキッドってこたぁ、こいつのモチーフはイカなんだろうが、あまりそれっぽさはねぇな。
三角に尖った頭がイカらしいかもしれねぇが、どちらかと言えば頭巾に見える。目は細くつり上がっていて、口は鳥のくちばしのようだ。腕や胴体はほぼ人間型で、腹筋は何重にもバキバキに割れている。脚は長く、ふくらはぎが左右に張り出すほど発達してやがる。
知ってるぜ。キャハンっていうサムライやニンジャが履くゲートルを模してるんだろ?
それで全身は各部の金属装甲まで含めて光沢のある黒。
体の表面がのっぺりしてるのはイカっぽいが、他はどこをとってもニンジャ感が満載だな。
スポットライトが消え、再びリングと客席を照らすライトが点いた。
「いよいよ始まる、今夜の超獣バウト! マリア・ハリスの歌声の熱も冷めやらぬ中、連続二試合を全世界生中継! 実況アナウンサーは私、パトリック・ウォーレンが務めさせていただきます」
うへぇ、パッキーかよ。
こいつはキャリアもあるし、悪くねぇアナウンサーなんだが、すぐに紋切り型の台詞を口走るクセがあってな。超獣がちょっとガードに徹してるのを見るとすぐに、
「これはカウンターを狙っているのか!」
とか見当違いなことを抜かすし、倒れりゃスリップかダウンかの区別もなしに、
「立て、立つんだァーッ!」
とか、わめき散らすしで、年季の入ったバウト・ファンからは「パッキー・“馬鹿のひとつ覚え”ウォーレン」って呼ばれて煙たがられてる。
俺も正直、うるせぇ黙ってろ! と思うこともしばしばなんだが、こういうビッグ・イベントでは下手すっと、バウトに興味のかけらもない人気アナが実況にあてがわれちまうこともある。それに比べりゃ、はるかにマシだ。
「なお、こちらの実況席には解説として、スチュワート・ジム会長のフレッド・スチュワートさんをお招きしております。スチュワートさんには本試合に続くタイトルマッチでも解説をお願いしております。
スチュワートさん、本日はよろしくお願いいたします!」
「はい。よろしく」
おっと、こいつぁすげぇな。
フレッド・スチュワートと言やぁ、あの“破れざる王者”バスター・ウルフを始め、数多の超獣をチャンピオンにした伝説の名セコンドだ。引退後はジムを経営して後進の育成に勤しみ、業界トップランクのセコンドを何十人も輩出してる。ここにヘンリーがいたら泣いて喜んだだろうし、ジミーなんて今頃、サインが欲しくて色紙を準備してるかもしれねぇ。
見た目は、孫が焼いてくれたジンジャークッキーをうれしそうにかじって、コーヒーをちびちび飲んでそうな、縮んだジィさんだけどな。
「それではリング中央で向き合う、両雄をご覧ください。
まずは東サイドのカーン・ベヒモス。この超獣はバウト・ファンにはお馴染みでしょう。規格外の巨体とパワーを誇り、そのキャリアも現役二十年と、活躍期間もこれまた規格外の古豪です! 彼を知らないようでは、モグリのそしりを受けるのもやむなし、といったところではないでしょうか?」
水を向けられたフレッド翁は笑顔で答えた。
「もちろん私もカーンのことは存じておりますよ。
超獣の入れ替わりが激しいバウト界で、これほど長期に、しかも中の下のランキングとはいえワールドクラスで戦い続けている例は稀有と言えます。これはただのタフネスで説明できるものではありません。セコンドはもちろん、これまでカーンにかかわってきた、すべての人がバウトを愛し、この超獣を愛護的に扱ってきたからこその活躍でしょう」
よかったな、ヘンリー、ジミー。褒められてるぜ。
実況のパッキーも、我が意を得たりとばかりにうなずく。
「なるほど。カーン・ベヒモスはデビュー以来、オーナーのヘンリー・カーロフがセコンドを務め続けていました。カーロフは“熱血ダイナマイト男”として知られ、王座に輝いたグリズリー・パンツァーを始め、数多くの超獣のセコンドに就きましたが、カーンのセコンドを他に委ねることはありませんでした。きっと、この超獣に対して格別の思いがあったのでしょうね。
しかし、何とも惜しいことに、そのヘンリー・カーロフは病で急逝してしまいました――」
「ええ。本当に残念なことです。
実は私、彼とは直接会って、話したことがありましてね」
「ほう!」
そりゃ初耳だな。
「古い話です。カーンがデビューするよりも前、彼はまだ駆け出しの若者で、私も今よりはもう少し若かった。PWGAのレセプションで声をかけられて、サインを求められました。それで意気投合しましてね。夜の街にくり出して、ふたりで飲みました。
血気盛んで気持ちのいい男でした。若くしてすでに超獣バウトに一家言持っていました」
そしてフレッド翁は茶目っ気たっぷりに付け加えた。
「――が、ダーツは下手でしたな」
実況席は和やかな笑いに包まれる。
さすがは伝説の名セコンド。トークもこなすぜ。
「そうしますとスチュワートさんは、この試合のカーンのセコンド、エルザ・カーロフのこともご存知で?
ヘンリー・カーロフ没後、カーン・ベヒモスは一年以上、エキシビション含めてバウトに未出場でした。
圧倒的タフネスで知られる“狂牛”もさすがに引退――。そう思われておりましたが、半年前、予告なしに再始動! なんとヘンリー・カーロフの実の娘が十七歳の若さで、カーンのセコンドとしてワールドクラスのリングに登場したわけです」
パッキーめ。フレッド翁からお嬢の話を引き出せないか、探りを入れてるな。
だが、そうはうまくいくもんか。
「彼に娘がいるというのは風の噂で耳に入っておりましたよ。
しかしセコンドになるとか、なろうとしているといった話は聞いたことがありませんでした。
いや、これは素晴らしいことです! 十七歳ですか? 学校に通いながら免許を? 恥ずかしながら私など、ろくに学校にも行かずに暴れていたのを、街の教会の牧師様がそりゃあ親切にしてくださったおかげで身を持ち直しまして、十九の時に何とかセコンド免許を取ったのです」
ほら見ろ。お嬢が免許を取るなんて、俺たちでも知らなかったんだぞ。いかにフレッド・スチュワートが業界の重鎮中の重鎮だからって、何でもかんでも知ってるわきゃねぇよ。
「いやぁ、おっしゃるとおり、本当に素晴らしいですね!
エルザ・カーロフは父の超獣を継ぎ、弱冠十七歳で見事にデビューを果たしたことになります。
それでは、ここで我々が入手した独占映像をご覧ください」
独占映像?
俺の視界のワイプに、小さなお嬢を肩車して満面の笑みを浮かべるヘンリーの姿が映し出された。
――やられた!
「これは職場のパーティーでしょうか。十五年ほど前のホームビデオだそうです。
カーロフ親子の美しい絆が、こちらにも伝わってくるではありませんか」
うるせぇ、殺すぞ、パッキー!
ヘンリーの、お嬢のプライベートだぞ! 大事な思い出だぞ!
こんなもの、お嬢やジミー、レティアや、その他のレムリ・プロモーションの社員がテレビ屋に渡すはずがねぇ。お嬢の保護者の叔母だってそうだ。ジミーが必死こいて周囲の人間に、お嬢を嗅ぎ回る連中には何も話すな! って重々、言い含めてるからな。
今頃、ジミーはリングの外で怒髪天を衝き、被っていたソフト帽を成層圏まで吹き飛ばしてるだろう。それか、パッキーをぶちのめそうと実況席に駆け込もうとして、警備員にとっ捕まってるか。
映像をテレビ屋に渡したのは、俺が思うにレムリを辞めた元社員だ。すぐに怒鳴り散らすジミーと反りが合わなくて、喧嘩別れで退社したヤツも何人かいる。おおかた、そんなヤツのうちの誰かが持ってたファイルを売り飛ばしたんだろうよ……。
俺は深呼吸した。
落ち着け。せっかくデカい鼻の穴してるんだ。ゆっくり息を吸って吐け。
俺がカッカしたら、それがリンクしてるお嬢に伝わる。怒りは戦う力になるが、あらぬ方向に暴発させちゃ意味がねぇんだ。対戦相手とぶつかる直前に集中を切らすんじゃねぇ。
集中できねぇなら、何か別のことを考えろ。
――超獣開発の黎明期。
世界初の“完成された超獣”、白竜が生まれる前は、こうした不意の怒りや憎しみがとんでもない事故を引き起こしたって話だ。
初期も初期のシステムは超獣と操者――バウトで言えばセコンド――を、ほぼダイレクトにリンクさせてたらしい。そんなだから、つながっているどちらか一方でも激情にとらわれたら最後、あっという間に双方が飲み込まれる。憤怒や憎悪を感じているのは超獣なのか操者なのか、もはや区別がねぇ。かくして超獣も操者も我を失って大暴れ! んで、死傷者多数の地獄絵図が展開したってわけよ。
いくつもの失敗を重ねて確立されたリンク――それを含む白竜システムは現在、直接の害がない閾値内でしか超獣と操者の間で意識や感覚をやりとりさせねぇ。その範囲でフィルタリングの強度調整も可能。
こいつがなかったら、俺、そして俺の怒りに飲まれたお嬢は適当な場所を実況席だと当たりをつけて、パッキーかもしれない誰かめがけて右ストレートをぶち込んでたところだ。
そうしてやってもよかったがな!
俺が暴れ出さなくてすんだのは白竜システムと、お嬢のおかげだ。
お嬢は思いの外、冷静だった。
リンクを介して、フィルターで弱められてはいても、俺の怒りが多少は届いているはずだが、それで心がかき乱されることはなかったらしい。お嬢はブースのサブモニターで流される、画質のよくないビデオの中継映像をじっと見ていた。
肩車された小さなお嬢は大はしゃぎしていて、ヘンリーは時々ビールをあおったり、フォークで好物のクンパオチキンを口に運んだりしている。奥ではジミーが何やら悦に入った表情でワインボトルの栓を抜こうとしているし、テーブルにてきぱきとポテトやピザを並べるレティアの姿もあった。そしておしゃべりに興じる社員たち。
それを見るお嬢から伝わってくる感情は、俺にはうまく説明できねぇが、悪いもんじゃなかった。
熱くも冷たくもねぇ。まるで自分の足元の地面を踏み固めているような何か。
ありがとよ――。
その何かが、俺の怒りを鎮めてくれた。
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