6.満を持しての大技
試合前半、第二ラウンド以降も打撃の応酬になった。
二ラウンド目からスキッド・シャドウはキックも使う――これは予想どおり。
俺とスキッドは元より体格に差があるし、俺がパンチでくり出す腕は極端に長いから、スキッドが蹴りを駆使するようになっても、まだリーチは俺に分がある。
とはいえ、このイカ野郎の反射とスピードで、両腕プラス両脚と、武器が倍になっただけでも脅威だ。うかうかしてっと攻撃の嵐――いや、こいつの二つ名からすりゃ“漆黒の悪夢”か――に飲まれちまう。
そうだよな。お前本来の打撃技はパンチじゃなくてキックだ。
確かにスキッド・シャドウは拳の使い方も堂に入っている。そのパンチは速く、鋭い。しかしキックはそこに“強さ”と“重さ”も加わる。腕ほど器用に動かせないかもしれねぇが、破壊力はダンチで上だ。どう考えたって、こいつのメインウェポンは長い脚で放つキックだぜ。
俺はと言えば、雨あられと降ってくるパンチやキックをガードしつつ、ジャブを差し込んで応戦だ。
左!
左! 左!
左! 左! 左!
ま、これだけじゃ芸がないな。
だったら、こういうのはどうよ?
ガードして左と見せかけて、俺はその手で相手の肩をつかもうとした、が――。
――痛ッ。
スキッドは俺の左腕をショートアッパーで跳ね上げて、つかみを拒否。そして、がら空きになった左脇腹めがけてミドルキック!
俺は引き戻した左腕で、その蹴りを何とか受け止める。
「ぎりぎりのガードぉ! 今のは危なかったですね、スチュワートさん」
声を弾ませるパッキーに、フレッド翁はうなずいて答えた。
「はい。よくガードしました。持ち前のタフさに頼りきらないのが、カーンのいいところです。巨体とパワーが注目されますが、この超獣は意外に技巧派なんですよ」
「暴れん坊の“狂牛”が技巧派ですか」
「そもそもの話、カーンが大きくて力持ちなだけの超獣なら、パンチ主体のボクシング戦術を使いこなせません。体当りして押し潰す、つかみ上げて投げ飛ばす、殴るにしても豪快な振り回し……そういう迫力はあるが単調な攻撃に終始するんじゃないですかね。
しかしカーンはこれまで、そして今も、ガードを固めてのジャブを基本に、丁寧なパンチの打ち分けを主な武器に戦ってきました。あれほど長く太い腕で、小さく速いジャブを打てること自体が並の技ではないのです! この技術は先代のセコンド、ヘンリー・カーロフがじっくりと熟成させ、馴染ませたものでしょう」
「おお! そうした、いぶし銀な技術が父から娘へ、エルザ・カーロフにも受け継がれたわけですね」
バッキーのヤツ、お嬢に話をつなげられたからって、露骨にうれしそうにしやがって。
ひょっとして、実況でお嬢の名前を出すたびに局からボーナスが支給されるとかじゃねぇよな?
「そうですね」
と、パッキーの言葉をいちおう肯定してフレッド翁は微笑んだ。
「おかげで大変に見応えのある打撃戦になっておりますよ!
スキッドは投げるも極めるもこなせるオールラウンダーですが、カーンに組みつく気はないようです。危険ですからね。相手が完全に弱るまで投げには入らず、倒れた後でなければ極めにも持ち込まないと思います」
だろうな。
スキッドはパワーも充分で、タイミングを合わせれば俺をぶん投げられる。絡みついてスタンディングのままで極め技に入ることだってできる。だが、それを見越して俺がデカい図体で勢いよく倒れかかり、ヤツを潰しにかかったら? 場合によっちゃあ、大怪我するだろうさ。だから様子見の第一ラウンドでは牽制で投げや極めの素振りを見せたが、二ラウンド目からはそれがねぇ。さっきみてぇに俺のほうからつかもうとするのも、きっちり警戒して、はねのける気満々だ。
――強い上に用心深いぜ、こいつ!
俺はパンチを、スキッドはパンチに加えてキックもくり出しながら、ふたりで向き合ったままリングをクルクル回った。
まるでダンスするみてぇに。
しかし、まいったな……。
ノンストップなバチバチの殴り合いにお客さんは喜ぶが、こりゃ踊らされてる。フレッド翁も褒めてくれたボクシング戦術のおかげで、体の向きをクイックに回してスキッドの左右移動に食らいつけちゃいるが、ステップワークは相手のほうが巧みで、先手を取られっぱなしだ。
対戦相手が自分より速えぇなんてのは、デカブツの俺にゃ日常茶飯事なんだが、今夜はいつもと様子がちっと違う。
イカ野郎のスピードは俺より完全に上。普通ならもっと大きく派手に左右に動いて、ヒット&アウェイを狙うだろう。ところがスキッドは俺を揺さぶり、振り回して打ち合いを有利にするためにしか動かねぇ。あくまで“打ち合う”って前提を崩さねぇんだ。
そして、二ラウンド、三ラウンドと試合が進むうちに、K2インダストリーが特にギミックのない、このシンプルなリングを選んだ理由が俺にも飲み込めてきた。
何のこたぁねぇ。スキッド・シャドウが最も強みを発揮できるのは、こういうタイプのリングだってこった。
フラットな地面だからこそ、素早く精密なステップを刻める。
障害物がないからこそ、思うがままに動き回れて、途切れることなく拳や蹴りを打ち続けられる。
「スキッドの飛び膝蹴りィ! 助走なしで恐るべき跳躍力です」
ちっ、連打のテンポが落ちると、すぐにこれだ!
機敏に、正確に下がって軽く距離を取り、強烈な蹴り技を飛ばしてきやがる。伊達に立派なふくらはぎをしてねぇぜ。しっかりした足場なのをいいことに、存分に脚力を発揮するじゃねぇか。
左右はまだしも、この電光石火の前後動にゃ、鈍重な俺じゃ対応しきれねぇ。
壁でもありゃあ、それがイカ野郎の背後になるように誘導して、バックステップを封じるって手もあるんだが……ない袖は振れねぇな。
ラウンド中、俺もスキッドも白竜システムの設定で、リング外周のフェンスに一定以上は近づけねぇようになってる。お客さんやセコンドブースの安全のためさ。おかげ様でリング際まで追い詰めるって戦法も取れやしねぇ。
自由自在に動くニンジャを相手にするってのは、本当にたまらんぜ。
「スチュワートさん。私はマイナークラスでの二戦の映像から、スキッド・シャドウはサブミッション系の技が本命なのだと思っておりました。どちらの試合も絡みつき、絞めてのフィニッシュでしたから。しかし。それは浅い見解だったようです」
スキッドの見事な立ち回りにパッキーも感嘆し、それにフレッド翁も同意を示した。
「これがワールドクラスで解禁された、“漆黒の悪夢”の真の姿なのでしょう。
対戦相手を高機動の戦いに巻き込んで、容赦なく拳や蹴りを浴びせる。休む隙は一切与えない。並の超獣ではあっという間に火だるまにされます。
やられるほうにとっては、まさに“悪夢”。
この素晴らしい反応速度と正確無比な挙動、純粋な格闘性能だけで言えば――」
フレッド翁は後の言葉を濁したが、続きは容易に想像できる。
――チャンピオンのトルネード・グリフォン以上だ。
現役時代のフレッド・スチュワートは、バスター・ウルフを始めとする超獣たちを、牙や爪、角、棘のついた尾といった武装や、特殊な機能を抜きにした格闘だけでも勝たせるセンスとスキルで名高いセコンドだったからな。スキッドに高得点を付けるのもわかるってもんだ。
「スキッドの性能はスチュワートさんも太鼓判ですか!
しかし、それに応じて戦えるカーン・ベヒモスも大したものですね。キャリアの厚みを感じます。今のところ両者は拮抗しているようです!」
「ええ。確かに大したものですよ」
とフレッド翁はにっこりする。が、その後、厳しい顔つきになって付け加えた。
「とはいえ、拮抗は……していないかもしれませんね」
ちぇっ、伝説の名セコンドの肥えた目は、さすがにごまかせねぇか。
〈左肩部装甲、脱落〉
キックをガードした次の瞬間、ガァンッ! と派手な音を立てて、俺の左肩の装甲が剥がれ落ちた。
ほらな。
そろそろ、やせ我慢もたいがいになり始めた。正直言って、このままだと俺はジリ貧なんだが、前から言ってるとおり、超獣は全力でやるしかないんでね。
それにお嬢の指示も「連打を続行」だ。
やるしかねぇだろ。
くたばってもな。
「打たれすぎました」
ドリンクパックを手に、目を大きく開いて正面のメインモニターを見つめたまま、お嬢は言った。
興奮状態だな。
超獣とリンクして、休みなく殴り殴られを続けてりゃ、そうもなるさ。
入れ込みすぎるのは決していいことじゃねぇんだが、気持ちが落ちて縮こまっちまうよりゃ、はるかにマシだ。お嬢みたいに、あれこれ難しく考えがちなタイプの場合、このくらい頭に血が上って前のめりになってるほうがプラスかもしれねぇ。
「多少の被弾は気にするな。あれほどの相手と真っ向からやり合って、打たれもしないなんてムシのいい話が転がってるわけがない。
ガードはできている。パンチも出ている。一方的に攻められてはおらん」
ジミーは噛んで含めるように言い、タオルでお嬢の顔の汗を拭く。
第四ラウンド終了後のインターバル。
この試合で何が起きてんのか、正確にわかってるヤツはそう多くないだろう。
――スキッド・シャドウは守る時も俺にダメージを負わせてる。
第二ラウンドに、俺のつかもうとする腕をカチ上げたショートアッパー。
あれがヒントだ。
イカ野郎はあの手のテクニックを、より速く、より目立たせず、より執拗に、こっちの攻撃に対して使ってくる。
俺がパンチするたび、突き出した腕、前のめりになった上体、踏み込んだ脚に、スキッドの拳や肘、膝といった硬てぇところがカウンター気味にねじ込まれる。時には俺の右ストレートをショルダーガードしたと思ったら、素早く腕を絡めて、肩と腕で挟んでテコの原理で関節を痛めつけてきたりもする。こちとら打てば打つほど、身を削られるって寸法よ。
そりゃパワー偏重な俺じゃ、どんだけ気張ったって、パンチスピードも連打の回転も標準的な超獣と比べりゃ遅せぇわな。
でもよ。だからって、待って迎え撃つスタイルならともかく、スキッドは自分も激しく攻めながら、それをよどみなくやれんだから、感心するぜ――くそったれが!
んなわけで、俺ぁ打たれた数以上に傷を負ってるわけだが、このからくりに気づいてんのは、まずは俺自身とスキッド。そしてスキッドのセコンドのパヤクァルン。加えてフレッド翁みてぇな一流のバウト関係者。
当然、ジミーも見抜いてる。
チームにいっそう派手に冷却剤をスプレーさせて、霧で俺の傷ついた姿をできるだけ隠し、しきりにお嬢に話しかけているのは、お嬢に俺がズタボロだって悟らせないためだ。すまねぇがお嬢には、自分の指示がぬるくて「打たれすぎた」と勘違いしといてもらいてぇ。
下手に起きてることを理解された日にゃ、お嬢は攻撃の手数を減らしかねねぇからな。
バウト歴二十年で兄貴分の俺から言わせりゃ、そいつは悪手中の悪手だ。
手数を減らしゃあ、イカ野郎は今まで以上に好き放題に攻撃を浴びせてくるだろう。俺の長く太い腕は矛だが盾でもある。相手にとっちゃ、俺に拳と腕を出し続けられんのは邪魔もいいところだ。ちいせぇパンチをビシバシ出してくのは攻撃であり、防御でもあんのよ。そいつをやめて、まともにボコボコにされるよりゃ、お返しのダメージをもらったほうがなんぼかマシっつうことさ。
ブザーが鳴って、五ラウンド目が始まった。
――想定よりも、しんどいことになっちまった。
最初のうちは、スキッドはキックボクシングかムエタイをベースにした総合格闘技の使い手だと思ってたんだがな。しかし、こいつの連続攻撃と返し技を組み合わせた攻防一体のスタイルは、過去二十年ぶつかってきた、どの対戦相手とも違う。厄介なこと、この上ねぇ。
「カーン・ベヒモス、ラウンド開始と同時に攻勢に出ます!」
はっ! 出るしかねぇんだよ。
少しでも退いたら、イカ野郎にされるがままじゃねぇか。
まるで激流を相手にしてるみてぇだ。手を休めたら暗い水底に沈められる。自分からぶつかるしかねぇが、こっちの攻撃は防がれるのと同時に痛い目をみさせられる。なんつぅ技を使うんだよ!
スキッドのヤツ、本当にニンジャなんじゃねぇか?
知ってるぜ。ニンジャってのは、数千年前から光の軍団と闇の軍団に分かれて、歴史の裏で戦い続けてるって話だ。ヘンリーが飯を食いながら見てた、古いアクション映画でそう言っていた。ヤツらは厳しい鍛錬で門外不出の体術と武術を修め、絶え間なく命を奪い合う環境に身を置き、非情な密命を果たすために日夜、暗躍するのだという。光か闇かはわからんが、そういうニンジャ伝来の秘技を、スキッドが身に着けてるとすりゃ合点がいく。
解説のフレッド翁は鋭く目を光らせてコメントした。
「両者とも第一ラウンドからほとんど休みなく打ち続けています。
ダメージも疲労もあるでしょう。ここからはいつ、どちらかのペースが目に見えて落ち、一気に崩れてもおかしくありません。こういう真正面での打ち合いほど、勝敗が決するのは一瞬というのはよくあることです」
仰せのとおりさ。
ここで「先に崩れるのはカーンだ」ってフレッド翁が言いきらねぇのは、熱いバウトに夢中のお客さんに水をささねぇためか、それともまだ多少は俺に期待してくれてんのか。
どっちにしたって、今や俺は肉体的に、お嬢は精神的にいっぱいいっぱいなのに変わりはねぇ。
俺の体が痛めつけられすぎて、バイタルが危険領域に入れば、システムは躊躇なく試合続行不能の判定を下す。そうなりゃ俺もスキッドもスリープモードに移行して、問答無用で俺のTKO負けだ。お嬢の気力が尽きちまって、セコンドの指示が飛ばなくなったら、俺の動きはみるみる悪くなり、イカ野郎に好きなように料理されて、やっぱりおしまい。
――戦況をひっくり返すなら、このラウンドしかねぇ。
確かに俺は、こうして頭ン中で軽口を叩いての――スキッドみてぇにはしゃべれねぇからな――“効いてないふり”で、お嬢に苦痛を丸ごと渡さねぇようにしてる。が、これはダメージやプレッシャーをなかったことにする魔法じゃねぇんだ。本当は苦しいのを強がって、なるたけお嬢にゃ気づかせないようにしてるだけ。この、ヘンリー言うところのメンタル・コントロールと、高めに設定されたフィルター強度のおかげで、お嬢はまだバテちゃいないが、それも時間の問題だ。
お嬢は自分の気力がどんだけ削れてるのか、興奮しすぎてわかってねぇ。
もう近いうちに、先送りにしてきた限界がやってきて、どっと噴き出す疲労を自覚した瞬間――お嬢のハートはぺしゃんこに潰れるだろう。
そうなる前に、カタをつける!
「ここでカーンの猛連打! しかしスキッド・シャドウは見事な防御と回避でさばきます!」
だろうな。
左のジャブはモーションもタイミングも完全に盗まれてる。さんざん見せつけてるからな。もう体で覚えちまったろうよ。左右のコンビネーションも、右のストレートやフックもな。
それでも、左!
そしてワンツーの「ン」で、いつもより早いタイミングの右!
ま、この程度じゃダメだよな。この右に当たってくれるヤツもけっこういるんだが、イカ野郎は上体を反らして最低限のスウェーでかわす。
――待ってたぜぇ、その反応。
俺は大きく、強く一歩踏み込んだ。
ワンツーの右を引っ込めたら、即座にまた右のボディアッパー!
「あーッ! これは入ったぁ! 強烈なボディが炸裂ゥッ!」
そう大声出すなよ、パッキー。
当たるのも道理なのさ。
スキッドも四ラウンド半、打ち続けてる。それにたとえ浅かろうが、ガードの上からだろうが、俺に何十発、いやさ百発、二百発と殴られてる。疲れてねぇわけでも、身を削られてねぇわけでもねぇんだ。どっかで必ず、体力を温存するために、無意識に動作がコンパクトになる時がやってくる。ぎりぎりの動きで避けたら、そこに右の大砲だ。
ここまで耐えて、時間をかけて、スキッドにゃ俺のジャブと右単発のタイミングを覚えてもらった。けどよ、右の二連打は見せてねぇ! この時のために、な。
単純な仕掛けだが、こっちもダメージを食らいすぎていて、反撃の前に倒れちまうかもしれなかった。危ねぇ賭けだったが、こうでもしなきゃ、鈍重な俺じゃこいつにデカいパンチは当てられねぇんだよ。
「とんでもないパワー! スキッド、一撃で後方に吹き飛ばされる!」
でも倒れねぇだろ。
今のボティは相当効いただろうが、ダウンしたら、そこに俺がボディプレスをかましてきて、巨体で押し潰す寝技に持ち込む算段だってことくらいお見通しのはずさ。
――だったら、倒すまでだ。
俺は咆哮を上げ、一直線に駆け出した。
スキッド・シャドウ、お前は速えぇ。俺じゃ、とても捕まえられねぇ。
だが、それは反応速度とフリーに動くステップワークの話だ。“狂牛”の突進を舐めるなよ? この勢いとスピードは馬鹿にしたもんじゃねぇぜ。
それでも単なる体当たりなら、闘牛士みてぇにかわすんだろうが、そうはさせるかよ!
俺は走り込んだ勢いのまま、両手を地面に突いた。
〈左肩部、損傷大〉
くそっ! 衝撃で左肩がイッちまった! が、かまうもんか。チャンスなんだ。地面を蹴って浮かんだ体を長い両腕で支え、スキッドめがけて両脚を投げ出す。
食らいな、ニンジャボーイ。
カーン様のブランコ式ロケット・ドロップキックを――!
二ラウンド目からスキッド・シャドウはキックも使う――これは予想どおり。
俺とスキッドは元より体格に差があるし、俺がパンチでくり出す腕は極端に長いから、スキッドが蹴りを駆使するようになっても、まだリーチは俺に分がある。
とはいえ、このイカ野郎の反射とスピードで、両腕プラス両脚と、武器が倍になっただけでも脅威だ。うかうかしてっと攻撃の嵐――いや、こいつの二つ名からすりゃ“漆黒の悪夢”か――に飲まれちまう。
そうだよな。お前本来の打撃技はパンチじゃなくてキックだ。
確かにスキッド・シャドウは拳の使い方も堂に入っている。そのパンチは速く、鋭い。しかしキックはそこに“強さ”と“重さ”も加わる。腕ほど器用に動かせないかもしれねぇが、破壊力はダンチで上だ。どう考えたって、こいつのメインウェポンは長い脚で放つキックだぜ。
俺はと言えば、雨あられと降ってくるパンチやキックをガードしつつ、ジャブを差し込んで応戦だ。
左!
左! 左!
左! 左! 左!
ま、これだけじゃ芸がないな。
だったら、こういうのはどうよ?
ガードして左と見せかけて、俺はその手で相手の肩をつかもうとした、が――。
――痛ッ。
スキッドは俺の左腕をショートアッパーで跳ね上げて、つかみを拒否。そして、がら空きになった左脇腹めがけてミドルキック!
俺は引き戻した左腕で、その蹴りを何とか受け止める。
「ぎりぎりのガードぉ! 今のは危なかったですね、スチュワートさん」
声を弾ませるパッキーに、フレッド翁はうなずいて答えた。
「はい。よくガードしました。持ち前のタフさに頼りきらないのが、カーンのいいところです。巨体とパワーが注目されますが、この超獣は意外に技巧派なんですよ」
「暴れん坊の“狂牛”が技巧派ですか」
「そもそもの話、カーンが大きくて力持ちなだけの超獣なら、パンチ主体のボクシング戦術を使いこなせません。体当りして押し潰す、つかみ上げて投げ飛ばす、殴るにしても豪快な振り回し……そういう迫力はあるが単調な攻撃に終始するんじゃないですかね。
しかしカーンはこれまで、そして今も、ガードを固めてのジャブを基本に、丁寧なパンチの打ち分けを主な武器に戦ってきました。あれほど長く太い腕で、小さく速いジャブを打てること自体が並の技ではないのです! この技術は先代のセコンド、ヘンリー・カーロフがじっくりと熟成させ、馴染ませたものでしょう」
「おお! そうした、いぶし銀な技術が父から娘へ、エルザ・カーロフにも受け継がれたわけですね」
バッキーのヤツ、お嬢に話をつなげられたからって、露骨にうれしそうにしやがって。
ひょっとして、実況でお嬢の名前を出すたびに局からボーナスが支給されるとかじゃねぇよな?
「そうですね」
と、パッキーの言葉をいちおう肯定してフレッド翁は微笑んだ。
「おかげで大変に見応えのある打撃戦になっておりますよ!
スキッドは投げるも極めるもこなせるオールラウンダーですが、カーンに組みつく気はないようです。危険ですからね。相手が完全に弱るまで投げには入らず、倒れた後でなければ極めにも持ち込まないと思います」
だろうな。
スキッドはパワーも充分で、タイミングを合わせれば俺をぶん投げられる。絡みついてスタンディングのままで極め技に入ることだってできる。だが、それを見越して俺がデカい図体で勢いよく倒れかかり、ヤツを潰しにかかったら? 場合によっちゃあ、大怪我するだろうさ。だから様子見の第一ラウンドでは牽制で投げや極めの素振りを見せたが、二ラウンド目からはそれがねぇ。さっきみてぇに俺のほうからつかもうとするのも、きっちり警戒して、はねのける気満々だ。
――強い上に用心深いぜ、こいつ!
俺はパンチを、スキッドはパンチに加えてキックもくり出しながら、ふたりで向き合ったままリングをクルクル回った。
まるでダンスするみてぇに。
しかし、まいったな……。
ノンストップなバチバチの殴り合いにお客さんは喜ぶが、こりゃ踊らされてる。フレッド翁も褒めてくれたボクシング戦術のおかげで、体の向きをクイックに回してスキッドの左右移動に食らいつけちゃいるが、ステップワークは相手のほうが巧みで、先手を取られっぱなしだ。
対戦相手が自分より速えぇなんてのは、デカブツの俺にゃ日常茶飯事なんだが、今夜はいつもと様子がちっと違う。
イカ野郎のスピードは俺より完全に上。普通ならもっと大きく派手に左右に動いて、ヒット&アウェイを狙うだろう。ところがスキッドは俺を揺さぶり、振り回して打ち合いを有利にするためにしか動かねぇ。あくまで“打ち合う”って前提を崩さねぇんだ。
そして、二ラウンド、三ラウンドと試合が進むうちに、K2インダストリーが特にギミックのない、このシンプルなリングを選んだ理由が俺にも飲み込めてきた。
何のこたぁねぇ。スキッド・シャドウが最も強みを発揮できるのは、こういうタイプのリングだってこった。
フラットな地面だからこそ、素早く精密なステップを刻める。
障害物がないからこそ、思うがままに動き回れて、途切れることなく拳や蹴りを打ち続けられる。
「スキッドの飛び膝蹴りィ! 助走なしで恐るべき跳躍力です」
ちっ、連打のテンポが落ちると、すぐにこれだ!
機敏に、正確に下がって軽く距離を取り、強烈な蹴り技を飛ばしてきやがる。伊達に立派なふくらはぎをしてねぇぜ。しっかりした足場なのをいいことに、存分に脚力を発揮するじゃねぇか。
左右はまだしも、この電光石火の前後動にゃ、鈍重な俺じゃ対応しきれねぇ。
壁でもありゃあ、それがイカ野郎の背後になるように誘導して、バックステップを封じるって手もあるんだが……ない袖は振れねぇな。
ラウンド中、俺もスキッドも白竜システムの設定で、リング外周のフェンスに一定以上は近づけねぇようになってる。お客さんやセコンドブースの安全のためさ。おかげ様でリング際まで追い詰めるって戦法も取れやしねぇ。
自由自在に動くニンジャを相手にするってのは、本当にたまらんぜ。
「スチュワートさん。私はマイナークラスでの二戦の映像から、スキッド・シャドウはサブミッション系の技が本命なのだと思っておりました。どちらの試合も絡みつき、絞めてのフィニッシュでしたから。しかし。それは浅い見解だったようです」
スキッドの見事な立ち回りにパッキーも感嘆し、それにフレッド翁も同意を示した。
「これがワールドクラスで解禁された、“漆黒の悪夢”の真の姿なのでしょう。
対戦相手を高機動の戦いに巻き込んで、容赦なく拳や蹴りを浴びせる。休む隙は一切与えない。並の超獣ではあっという間に火だるまにされます。
やられるほうにとっては、まさに“悪夢”。
この素晴らしい反応速度と正確無比な挙動、純粋な格闘性能だけで言えば――」
フレッド翁は後の言葉を濁したが、続きは容易に想像できる。
――チャンピオンのトルネード・グリフォン以上だ。
現役時代のフレッド・スチュワートは、バスター・ウルフを始めとする超獣たちを、牙や爪、角、棘のついた尾といった武装や、特殊な機能を抜きにした格闘だけでも勝たせるセンスとスキルで名高いセコンドだったからな。スキッドに高得点を付けるのもわかるってもんだ。
「スキッドの性能はスチュワートさんも太鼓判ですか!
しかし、それに応じて戦えるカーン・ベヒモスも大したものですね。キャリアの厚みを感じます。今のところ両者は拮抗しているようです!」
「ええ。確かに大したものですよ」
とフレッド翁はにっこりする。が、その後、厳しい顔つきになって付け加えた。
「とはいえ、拮抗は……していないかもしれませんね」
ちぇっ、伝説の名セコンドの肥えた目は、さすがにごまかせねぇか。
〈左肩部装甲、脱落〉
キックをガードした次の瞬間、ガァンッ! と派手な音を立てて、俺の左肩の装甲が剥がれ落ちた。
ほらな。
そろそろ、やせ我慢もたいがいになり始めた。正直言って、このままだと俺はジリ貧なんだが、前から言ってるとおり、超獣は全力でやるしかないんでね。
それにお嬢の指示も「連打を続行」だ。
やるしかねぇだろ。
くたばってもな。
「打たれすぎました」
ドリンクパックを手に、目を大きく開いて正面のメインモニターを見つめたまま、お嬢は言った。
興奮状態だな。
超獣とリンクして、休みなく殴り殴られを続けてりゃ、そうもなるさ。
入れ込みすぎるのは決していいことじゃねぇんだが、気持ちが落ちて縮こまっちまうよりゃ、はるかにマシだ。お嬢みたいに、あれこれ難しく考えがちなタイプの場合、このくらい頭に血が上って前のめりになってるほうがプラスかもしれねぇ。
「多少の被弾は気にするな。あれほどの相手と真っ向からやり合って、打たれもしないなんてムシのいい話が転がってるわけがない。
ガードはできている。パンチも出ている。一方的に攻められてはおらん」
ジミーは噛んで含めるように言い、タオルでお嬢の顔の汗を拭く。
第四ラウンド終了後のインターバル。
この試合で何が起きてんのか、正確にわかってるヤツはそう多くないだろう。
――スキッド・シャドウは守る時も俺にダメージを負わせてる。
第二ラウンドに、俺のつかもうとする腕をカチ上げたショートアッパー。
あれがヒントだ。
イカ野郎はあの手のテクニックを、より速く、より目立たせず、より執拗に、こっちの攻撃に対して使ってくる。
俺がパンチするたび、突き出した腕、前のめりになった上体、踏み込んだ脚に、スキッドの拳や肘、膝といった硬てぇところがカウンター気味にねじ込まれる。時には俺の右ストレートをショルダーガードしたと思ったら、素早く腕を絡めて、肩と腕で挟んでテコの原理で関節を痛めつけてきたりもする。こちとら打てば打つほど、身を削られるって寸法よ。
そりゃパワー偏重な俺じゃ、どんだけ気張ったって、パンチスピードも連打の回転も標準的な超獣と比べりゃ遅せぇわな。
でもよ。だからって、待って迎え撃つスタイルならともかく、スキッドは自分も激しく攻めながら、それをよどみなくやれんだから、感心するぜ――くそったれが!
んなわけで、俺ぁ打たれた数以上に傷を負ってるわけだが、このからくりに気づいてんのは、まずは俺自身とスキッド。そしてスキッドのセコンドのパヤクァルン。加えてフレッド翁みてぇな一流のバウト関係者。
当然、ジミーも見抜いてる。
チームにいっそう派手に冷却剤をスプレーさせて、霧で俺の傷ついた姿をできるだけ隠し、しきりにお嬢に話しかけているのは、お嬢に俺がズタボロだって悟らせないためだ。すまねぇがお嬢には、自分の指示がぬるくて「打たれすぎた」と勘違いしといてもらいてぇ。
下手に起きてることを理解された日にゃ、お嬢は攻撃の手数を減らしかねねぇからな。
バウト歴二十年で兄貴分の俺から言わせりゃ、そいつは悪手中の悪手だ。
手数を減らしゃあ、イカ野郎は今まで以上に好き放題に攻撃を浴びせてくるだろう。俺の長く太い腕は矛だが盾でもある。相手にとっちゃ、俺に拳と腕を出し続けられんのは邪魔もいいところだ。ちいせぇパンチをビシバシ出してくのは攻撃であり、防御でもあんのよ。そいつをやめて、まともにボコボコにされるよりゃ、お返しのダメージをもらったほうがなんぼかマシっつうことさ。
ブザーが鳴って、五ラウンド目が始まった。
――想定よりも、しんどいことになっちまった。
最初のうちは、スキッドはキックボクシングかムエタイをベースにした総合格闘技の使い手だと思ってたんだがな。しかし、こいつの連続攻撃と返し技を組み合わせた攻防一体のスタイルは、過去二十年ぶつかってきた、どの対戦相手とも違う。厄介なこと、この上ねぇ。
「カーン・ベヒモス、ラウンド開始と同時に攻勢に出ます!」
はっ! 出るしかねぇんだよ。
少しでも退いたら、イカ野郎にされるがままじゃねぇか。
まるで激流を相手にしてるみてぇだ。手を休めたら暗い水底に沈められる。自分からぶつかるしかねぇが、こっちの攻撃は防がれるのと同時に痛い目をみさせられる。なんつぅ技を使うんだよ!
スキッドのヤツ、本当にニンジャなんじゃねぇか?
知ってるぜ。ニンジャってのは、数千年前から光の軍団と闇の軍団に分かれて、歴史の裏で戦い続けてるって話だ。ヘンリーが飯を食いながら見てた、古いアクション映画でそう言っていた。ヤツらは厳しい鍛錬で門外不出の体術と武術を修め、絶え間なく命を奪い合う環境に身を置き、非情な密命を果たすために日夜、暗躍するのだという。光か闇かはわからんが、そういうニンジャ伝来の秘技を、スキッドが身に着けてるとすりゃ合点がいく。
解説のフレッド翁は鋭く目を光らせてコメントした。
「両者とも第一ラウンドからほとんど休みなく打ち続けています。
ダメージも疲労もあるでしょう。ここからはいつ、どちらかのペースが目に見えて落ち、一気に崩れてもおかしくありません。こういう真正面での打ち合いほど、勝敗が決するのは一瞬というのはよくあることです」
仰せのとおりさ。
ここで「先に崩れるのはカーンだ」ってフレッド翁が言いきらねぇのは、熱いバウトに夢中のお客さんに水をささねぇためか、それともまだ多少は俺に期待してくれてんのか。
どっちにしたって、今や俺は肉体的に、お嬢は精神的にいっぱいいっぱいなのに変わりはねぇ。
俺の体が痛めつけられすぎて、バイタルが危険領域に入れば、システムは躊躇なく試合続行不能の判定を下す。そうなりゃ俺もスキッドもスリープモードに移行して、問答無用で俺のTKO負けだ。お嬢の気力が尽きちまって、セコンドの指示が飛ばなくなったら、俺の動きはみるみる悪くなり、イカ野郎に好きなように料理されて、やっぱりおしまい。
――戦況をひっくり返すなら、このラウンドしかねぇ。
確かに俺は、こうして頭ン中で軽口を叩いての――スキッドみてぇにはしゃべれねぇからな――“効いてないふり”で、お嬢に苦痛を丸ごと渡さねぇようにしてる。が、これはダメージやプレッシャーをなかったことにする魔法じゃねぇんだ。本当は苦しいのを強がって、なるたけお嬢にゃ気づかせないようにしてるだけ。この、ヘンリー言うところのメンタル・コントロールと、高めに設定されたフィルター強度のおかげで、お嬢はまだバテちゃいないが、それも時間の問題だ。
お嬢は自分の気力がどんだけ削れてるのか、興奮しすぎてわかってねぇ。
もう近いうちに、先送りにしてきた限界がやってきて、どっと噴き出す疲労を自覚した瞬間――お嬢のハートはぺしゃんこに潰れるだろう。
そうなる前に、カタをつける!
「ここでカーンの猛連打! しかしスキッド・シャドウは見事な防御と回避でさばきます!」
だろうな。
左のジャブはモーションもタイミングも完全に盗まれてる。さんざん見せつけてるからな。もう体で覚えちまったろうよ。左右のコンビネーションも、右のストレートやフックもな。
それでも、左!
そしてワンツーの「ン」で、いつもより早いタイミングの右!
ま、この程度じゃダメだよな。この右に当たってくれるヤツもけっこういるんだが、イカ野郎は上体を反らして最低限のスウェーでかわす。
――待ってたぜぇ、その反応。
俺は大きく、強く一歩踏み込んだ。
ワンツーの右を引っ込めたら、即座にまた右のボディアッパー!
「あーッ! これは入ったぁ! 強烈なボディが炸裂ゥッ!」
そう大声出すなよ、パッキー。
当たるのも道理なのさ。
スキッドも四ラウンド半、打ち続けてる。それにたとえ浅かろうが、ガードの上からだろうが、俺に何十発、いやさ百発、二百発と殴られてる。疲れてねぇわけでも、身を削られてねぇわけでもねぇんだ。どっかで必ず、体力を温存するために、無意識に動作がコンパクトになる時がやってくる。ぎりぎりの動きで避けたら、そこに右の大砲だ。
ここまで耐えて、時間をかけて、スキッドにゃ俺のジャブと右単発のタイミングを覚えてもらった。けどよ、右の二連打は見せてねぇ! この時のために、な。
単純な仕掛けだが、こっちもダメージを食らいすぎていて、反撃の前に倒れちまうかもしれなかった。危ねぇ賭けだったが、こうでもしなきゃ、鈍重な俺じゃこいつにデカいパンチは当てられねぇんだよ。
「とんでもないパワー! スキッド、一撃で後方に吹き飛ばされる!」
でも倒れねぇだろ。
今のボティは相当効いただろうが、ダウンしたら、そこに俺がボディプレスをかましてきて、巨体で押し潰す寝技に持ち込む算段だってことくらいお見通しのはずさ。
――だったら、倒すまでだ。
俺は咆哮を上げ、一直線に駆け出した。
スキッド・シャドウ、お前は速えぇ。俺じゃ、とても捕まえられねぇ。
だが、それは反応速度とフリーに動くステップワークの話だ。“狂牛”の突進を舐めるなよ? この勢いとスピードは馬鹿にしたもんじゃねぇぜ。
それでも単なる体当たりなら、闘牛士みてぇにかわすんだろうが、そうはさせるかよ!
俺は走り込んだ勢いのまま、両手を地面に突いた。
〈左肩部、損傷大〉
くそっ! 衝撃で左肩がイッちまった! が、かまうもんか。チャンスなんだ。地面を蹴って浮かんだ体を長い両腕で支え、スキッドめがけて両脚を投げ出す。
食らいな、ニンジャボーイ。
カーン様のブランコ式ロケット・ドロップキックを――!
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