超獣バウト:ハートに火をつけて

7.ニンジャの奥の手

 全力で自分の巨体を浮かせた直後、俺は信じられねぇものを見た。
 何かが火を噴くような奇妙な音がして、スキッドは後ろへ、高く、飛翔する。
 ――後方宙返りだと!
 俺は渾身のドロップキックを外され、ズゥンッ! と地響きを立てて、無様に尻もちを突く形で地面に落下した。
「え……あ、ぎ、超獣ギガが、大きく後ろに跳んで、バク宙を……」
 パッキーは驚愕のあまり、ぼそぼそと言葉を吐くことしかできなくなってる。
 放送事故すれすれじゃねぇか。
 隣に座るフレッド翁も右手で口元を覆って考え込むようにうつむき、華麗に着地したスキッドを糸のように細くした目でにらんでいた。
 観客席は水を打ったように静まり返った後、爆発したみてぇに大騒ぎだ。
 目の前か中継で見てなかったら、誰も信じないぜ。
 スキッドは俺よりゃ軽いだろうが、それでも重量五十トンは余裕で超えるだろう。
 それがダイナミックに後ろに跳んで空中で一回転なんて、どう考えたって普通じゃありえねぇ。
 仕掛けは――ある。
 イカ野郎の左右に張り出した、ご立派なふくらはぎ。
 そこに内蔵式のブースターが仕込まれていやがった!
「ブースター・ジャンプ。
 身長十メートル以下の、一般に機獣メガと称される実用型の超獣ギガにはすでに実装されたモデルもありますが――」
 フレッド翁は口から手を離し、胸の前で両手の指を組んだ。
「それは壁や崖、高低差を乗り越えるために使う、作業時の移動手段です。
 スキッドの場合は、その技術を自身の運動性能をさらなる高みに引き上げる、補助動力として用いています。ブースターの出力もさることながら、跳躍の動作も、空中での姿勢も、着地時のバランスも、すべてを緻密に制御することで、今、私たちが目の当たりにしたようなアクロバティックな機動が可能になるのです」
 マジかよ……。最新のハイエンド超獣ギガは、そんなことまでアリなのか。
 呆然としてフレッド翁の解説に耳を奪われていると、お嬢からの指示が飛んできた。
 やべっ、何やってんだ、俺ぁ!
 スキッドが世界ビックリ新機能を見せるたび、お嬢のバウト歴の浅さに助けられてる。経験不足ゆえの先入観のなさで、お嬢が受けたショックは少なく、立ち直りも早かった。俺がポカンとしてる間もずっと、「攻撃」のサインを送り続けてくれた。
 ダウンしたままじゃ、こっちがとどめの大技を食らわせられちまう。
 本当はイカ野郎をキックでぶち倒して、俺のほうがボディプレスかフライングエルボーをかましてやるつもりだったんだが、まさかの宙返りで避けられちまった。
 今すぐ立って、もう一度、突進して距離を詰めるんだ。
 俺はお嬢より三歳年上なんだ。もっとカッコつけさせてくれよ!
 あわてて立ち上がる俺を、吊り上がった目で静かに眺めながら、スキッドはくちばしを動かした。
「あなどり難し」
 なんだよ、イヤミかよ。
 こっちは、とっておきの勝ち筋を台なしにされたってのに!
 俺はてめぇほど技の引き出しがねぇんだ。もう何ができんのか、わかりゃしねぇが、俺はまだ立てるし、お嬢のハートも潰れてねぇ。最後まであがいて、食らいついてやる。
「――やはり、おぬしは危険」
 嵐で大木がきしむような、ぞっとする響きの声。
 危険、ね。だったら、どうする?
 スキッド・シャドウから噴射音がした。
 またブースターか? と思ったが、違った。音がして、薄っすら白い排気が見えるのは脚じゃねぇ。腹だ。
 バキバキに割れた腹筋がほどける。
 いや、腹筋じゃねぇ。
 こいつ、ホースみてぇな触腕を腹部に巻きつけて、みっちり詰め込んでやがった!
 腕の下に左右一対の触腕を生やした、四本腕の化け物が襲いかかってくる。
 左パンチ――お嬢の指示は「右でガードして応戦」!
 だが、大股で踏み込むスキッドがくり出したのは、拳じゃなくて左の触腕だった。
 黒い触腕がうなりを上げて、俺の脇腹をしたたかに叩く。
 リーチが長げぇ! 射程が拳の倍近くある。打ち合いでせっかく覚えたスキッドとの距離感が、てんで通用しなくなっちまった。しかもホースみてぇな触腕は、しなやかなクセに充分な硬さもあって、それを自在に動かせるときた。
「まったく今夜は驚きの連続です! よもや、こんな武器まで隠し持っていたとは!」
 ようやく気を取り直したパッキーも、またぞろお口をアングリだ。
「ですが、スチュワートさん、これは公式レギュレーション的には……」
「ありですね」
 にべもなくフレッド翁は返した。
「スキッドが開放したのは、あくまでも自身の身体部位のひとつです。
 手持ち、もしくは装着した武器使用のレギュレーション違反には当てはまりません。あれは“武器”ではなく、“部位”なのです。カーンの頭の角と同様ですね」
 そうさな。長さも腕の二倍以内に収まってることからすりゃ、物言いは付かねぇだろ。長さだけで言や、この後のタイトルマッチのチャレンジャー、スティンガー・スコルピオの尾っぽみてぇに、もっと長げぇのも許されてるからな。これは反則じゃねぇ。
 それでやられるこっちは、たまったもんじゃねぇがな!
 くそぅ、予想しておくべきだったぜ。
 ニンジャにゃ伝来の体術と武術だけじゃなく、真の秘技、“ニンポー”がある。
 俺ぁ、すっかり忘れてたが、イカ野郎が文字どおりの奥の手を隠してたって、何の不思議もなかったのさ。それをついに使わせたってのは、誇っていいことなんだろうが、できれば御免被りたかった。
 スキッドはパンチとキックの連発に、巧みに触腕での攻撃も混ぜてくる。それは右から左から、俺の体に棒のように叩きつけられたかと思うと、鞭のように絡みつく。動きの軌道と範囲が、腕や脚とは丸っきり違っていて、対処がどうしても遅れちまう。
 ついでに言やぁ、こっちは左腕がうまく上がらねぇ。
 ジャブの回転は見る影もなくなっちまったし、ガードするのもようやくだ。さっきのドロップキック前のモーションで、肩をやっちまったからな。えれぇことになったぜ。
「カーン・ベヒモス、めった打ちにされています! これは厳しい!
 しかし、ここはカウンターを狙って――」
 出たよ、パッキーの“馬鹿のひとつ覚え”。「カウンター狙い」発言!
 んなもん、狙える余裕なんざねぇこたぁ、見りゃわかるじゃねぇか。
 なけなしの左を打ち出すが、スキッドはあっさり回避。
 そして俺の頭の左角に触腕を絡みつかせて引っ張り、つんのめった俺の鼻っ面に、岩をも砕くような飛び膝蹴りをぶち込んだ。
 
 ――!
 
 一瞬、気を失っちまった。
 我に返ると鼻血がドバドバ出てる。
 こっちのツラは血まみれのひでぇありさまだが、それに怒る暇もなく、今度は右手を触腕に引き寄せられ、バランスを崩したところにスキッドのボディブローが突き刺さる。
 俺は口から折れた歯を二、三本、吐き出した。
 覚えちゃいねぇが、さっき膝が直撃した時に折れちまったんだろう。
 脳ミソを揺らされて意識が飛んで、かえって助かったかもしれねぇ。運も実力のうち。これまでイカ野郎に食らわされた中で、一番ヤバい攻撃の苦痛を、お嬢にそのまま渡さずに済んだみてぇだ。一瞬でも気を失うほどの、飛び膝の一発に比べりゃ、今のボディはぬりぃ。屁でもねぇ。
「第五ラウンドも残りわずか! スキッド・シャドウ、まとめきれるか」
 させねぇよ!
 体ごとスキッドにぶち当たる。
 そっちのパンチが届くってこたぁ、俺の射程に入ってるってこった。左はガタガタだが、右はまだ出せる。デカい図体もまだ動く。
 俺ぁ、全身凶器のカーン・ベヒモス様だぜ。
 見ろよ。イカ野郎は本当に用心深けぇ。
 賭けてもいいが、こいつは俺が止まらなけりゃ、とどめの大技はくり出さねぇ。限界まで殴って蹴って弱りきるまで、なぶり続けるつもりだろうさ。まったくいい根性してやがる! が、その陰険さのせいで、今、てめぇが浴びせてくる攻撃は俺にゃ、効かねぇよ。
 こんなのは俺様にとっちゃ平常運転。
 顔を殴られようが、腹を蹴られようが、効いてねぇ!
 効いちゃいねぇのさ。
 
 ――なんて強がりも、このありさまじゃ説得力がねぇや。
 打たれに打たれた俺は、第五ラウンド終了のブザーに救われた。
「大変な試合マッチになりました!
 最新鋭の性能をまざまざと見せつけるスキッド・シャドウに、尋常ならざるタフさとパワーで応じるカーン・ベヒモスですが、未だかつてないほどの満身創痍! 目が離せない大熱狂のバウトも、これ以上は続行可能なのか、雲行きが怪しくなってまいりました」
 うるせぇ、パッキー。
 見りゃわかることをペラペラと……って、それが実況の仕事か。
 俺はフラつく足でゲートに向かう。キャリアはリングインするのと同時にジャッキアップして背板を立てて座椅子――いや、こりゃもう介護ベッド――のようになっていた。
 へっ、ありがてぇこった。
 ドッカリと座り込んで、背板に身を預ける。
 一度横になったら、立てなくなりそうだからな。座って休めるのは助かるぜ。
「ブラシと放水を準備! 止血が先、冷却剤は後だ!」
 ジミーは両腕をプロペラみてぇにブンブン振り回して、スタッフたちを指揮するのに必死だ。
 火がついたような大騒ぎだが、それも仕方ねぇ。やられ放題にされちまったからな。俺はバウトで腕や脚をメタメタにされたこともありゃ、はらわたをグチャグチャにされたこともある。だが、ここまで打ち続けられてボロボロにされたのは初めてだ。
 スキッド・シャドウ、恐ろしいヤツだぜ。
 こういう時、チームの経験値が高けぇってのは大きなプラスだな。
 ジミーの指示でスタッフたちはてきぱきと動く。ひとりが背板を立てたキャリア側面のラダーを登り、長い柄のついた綿棒みてぇなブラシを俺の鼻の穴に突っ込んで、奥に溜まった鼻血をかき出した。そうして粘っこい黒い血が塊でごっそり落ちるや、足元の別のスタッフがホースで水をぶっかけて洗い流す。
 痛ててっ、もう少し優しく頼むぜ。
 だが、おかげで息するのがだいぶん楽になった。
 顔面以外、派手に出血してるようには見えねぇが、あちこち擦過傷やら打撲で、体毛の下に血が流れている。外からは目立たねぇだけで、大きな裂傷になってるところもある。そこに水をかけ、わらわら群がるスタッフたちが大きく分厚いパッドで拭き取りつつ、押し当てて最低限の止血を試みていた。公式戦じゃ冷却剤の噴霧の他には、止血剤や抗炎症剤などの薬物の使用が認められてねぇからな。
 フレッド翁は固い表情で言った。
「東西ゲート前を見れば、どちらが優勢なのかは一目瞭然ですね。
 むしろ先のラウンド後半、カーン・ベヒモスはよくしのぎきったと思います。あれで終わっていて当然の流れでした。正直、すでに超獣ギガもセコンドも危ない状態でしょうが――」
 ――それでも、まだやんのかって?
 決まってんだろ、何しろ、お嬢がその気だからな。
「アドバイスをください」
 正面モニターで、俺の視界を介して西ゲート前の相手陣営のほうを見ながら、お嬢はハッチを開いたジミーに言った。
 くやしいが、あちらさんは静かなもんだ。スキッド・シャドウの周りにチームの者の姿は少なく、中継映像に時々映る、セコンドのマサツグ・パヤクァルンも無表情のまま目を閉じているだけだ。この結果は当然って顔だな。
 それに比べて、こっちはチーム総員てんてこ舞い。ジミーが駆けずり回って指揮をして、インターバルも終わり近くなってようやく、お嬢のところに飛び込んでくる始末だ。
 しかし、そこらの現場監督だったら、俺の手当にいったん区切りをつけることすら無理筋だったろうさ。
 ヘンリーみてぇなバウト馬鹿がジミーを信頼してたのは、単に腕利きのプロモーターだからってだけの話じゃねぇ。
 ジミー・レムリはな、汎世界超獣バウト協会PWGAからベスト・ディレクター賞を贈られたこともある、名指揮官なんだよ。でなけりゃ、こんなちびの瞬間湯沸かし器が、性格的にウマが合うヘンリーはともかく、超一流企業に勤めてたマネージャーのレティアや、自分まで冷却剤を浴びせられてるってのにパッドを全身で押し当ててカット――止血のことだ――を続けるチーフ・エンジニアみてぇな、有能なヤツらを社員に抱えられるわけがねぇ。
「嬢ちゃんもカーンも、よくやっている。前の二戦とは見違えた」
 ジミーはお嬢の肌が露出している部分、顔と両手、両足首をせっせとタオルで拭いながら言った。
 そりゃどうも。俺がしゃべれりゃ、礼のひとつも返してぇところだ。
 ……しかしよ、この期に及んでなんだが、やっぱりセコンドスーツがブカブカなのはマズかったと思うぜ?
 一見、超獣ギガバウトのセコンドは、ブース内の人型にヘコんだシートにすっぽり収まったまま、自分は動かずに戦えるように思える。まぁ、そのとおりではあるんだが、実のところ、超獣ギガの動作や感覚に無意識に反応して、体が反射的にビクンッと動いちまうもんなんだ。シートは反発性のフォーム張りなんだが、それでも試合マッチ終了後に確認すると、どこかに傷やアザができてることはザラにある。
 お嬢は汗まみれだ。いくらスーツが水分を外に逃がす吸湿・発散の高機能素材製だと言ったところで、内側は濡れたままだろう。それで不意に体が動くのを何ラウンドもやってりゃ、湿ったスーツに触れてる箇所の肌だけが集中的に擦れ、傷ができる。赤くなって、血がにじんでいてもおかしくねぇ。
 そんなこたぁジミーは百も承知だろうが、まさかこの場でスーツを脱がせるわけにもいかねぇからな。拭けるところを拭いて、スーツを引っ張って、生地がヒダになって擦れそうなところを平らに伸ばしてやるくらいが関の山だ。
「情けないが、俺にはディレクターとして出せるプランがない。
 カーンはない知恵絞ってドロップキックなんて策まで弄してくれたし、それをくり出せるタイミングまで嬢ちゃんも右の連打を温存して耐えてくれた」
 おい、“ない知恵”は余計だ。
「――が、相手が悪かった。あのキックが勝ちを取りにいく千載一遇のチャンスだったが、それをまんまと潰されたとなると打つ手がない。
 ギブアップするべきかもしれん。
 これだけのバウトだ。それをとがめるヤツなど、どこにもおらん」
 はぁ? 何言ってんだ、ジミー!
 俺はゴロゴロと喉を鳴らした。
 お前の算段からすりゃ、ここはお嬢の背中を押して続けさせて、スキッドに俺をぶっ壊させるところじゃねぇか。そもそも、そのためにマッチメイクしたってことを忘れたのかよ。
「ギブアップはしません」
 お嬢はきっぱりと返した。
「カーンはまだやれます。大丈夫です」
 言ってくれるぜ。
 そしてジミーも、そう返されるのは意外じゃなかったらしい。
「そうだな。チームが超獣ギガとセコンドを信じなければ勝てるものも勝てん。
 行ってこい――わかっとるだろうが、ここからは技もプランもへったくれもない気力勝負になるぞ」
 お嬢は真剣な眼差しでジミーを見つめて、うなずいた。
「勝つためのアドバイスはしてやれんが、こういう時に大事なことをひとつ教えてやろう。
 “声を出せ!”
 苦しい時や力を振り絞りたい時、自然に出る声を抑える必要はない。セコンドは黙って冷静に超獣ギガに指示を出すべきだと言うヤツも多いが、それでは気合が乗らない。一滴残らず気力を絞り尽くせない――。
 これはヘンリーが言っていたことだ」
 お嬢は少し微笑んだ。
 ジミーも口の端を上げて静かに笑う。
 ははっ、何のこたぁねぇ。事前にゃ、あんだけレティアにくどくど言ってたクセに、ジミーめ、いざ試合マッチが始まったらバウトのこと意外、頭になくなってるみたいだな。どうしたら勝てんだ、どうすりゃ最高のバウトになるんだってよぉ。本当に馬鹿だぜ。
 ブザーが鳴って、ジミーはハッチを閉めた。
 俺は立ち上がり、リング中央に向かって走り出す。
 観客席がどよめいた。
 こんなになって、なぜ、まだやろうとする? 挽回の策があるわけでもないだろうに……。
 観客席や中継してるテレビの向こうのお客さんから見たら、馬鹿丸出しだろう。
 でもなぁ、やるんだよ!
 お嬢も、ジミーも、それにレティアやエンジニア、社員たちみんな、レムリ・プロモーションは馬鹿ぞろいだ。超獣ギガバウトなんかに入れ込むヤツぁ、馬鹿しかいねぇ。
 もう仕事じゃねぇ――こっからは大馬鹿決定戦だ。
 誰が一番の馬鹿なのか、俺が目にもの見せてやるぜ。
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