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Ⅰ 小説家の俺が映画のシナリオを書くことになった
映画は終わったのに、俺はまだ、夢の中にいる気分だった。
俺が書いた小説が原作の映画。カントクに招待されたのだが、正直、来たくなかった。高三の貴重な夏休み、わざわざ都内まで暑い中出るのも億劫だ。
というのも言い訳で、小心者の俺は、正直、映画館に来るまでは不安を抱えていた。はっきり言って怖かった。小説がベストセラーになっても、テレビドラマ化されて視聴率がものすごい事になっていると聞かされても、俺はまだ、お客さんの反応を生で見た事はない。だから、怖かった。
映画館がガラガラだったら映画が始まる前に180度ターンして帰ろう。映画が始まって、映画館にしらけた空気が漂い始めたらどうすればいいんだ。もう、座席の上で貝になろう、耳を塞いで、目を閉じて、90分耐えるしかないじゃないか。ああ、怖い、怖い。
それがどうだ。
映画館は満員だった。最近では珍しくなった、シネコンではない、1000席の大スクリーンひとつだけの映画館。カントクにチケットをもらった時は、イジメを疑った。空いた席を見せつけてくる気かと思った。それが、満員。
1000人のお客さんが、俺が書いたストーリーに夢中になっていた。俺が創り出したキャラクターと一緒になって、笑って、泣いて、声援を送ってくれた。
それは、本当に、まるで夢のような体験で。
広いロビーでは、たくさんのお客さんが映画の余韻をまだ楽しんでいた。
俺が書いた「女護ヶ島」は、武家社会になってからの日本に、今は知られていないが女性だけの戦闘民族、人呼んで女護ヶ島があった、という設定の小説。戦国の乱世の裏で暴れ回ったのも今は昔の江戸時代、可憐で最強のニの姫が、「男を見てみたい」と言い出して、三人の少女戦士をお供に東海道で諸国漫遊の世直し旅をする、というのがメインストーリー。まあぶっちゃけ、「水戸黄門」+「ワンダーウーマン」だ。
これをテレビドラマ化したときに「戦国ワルキューレ」というタイトルになった。いや戦国時代じゃねーよ江戸時代だよ、ワルキューレって何でここで北欧神話、と最初は思ったが。
原作は時代小説と言われるジャンルだから、中高年のファンが多い。ドラマのカントクは、実写にするにあたって、美少女戦士達に、ゲームのような派手で可憐な演出でアクション成分を十倍くらいにパワーアップしたから、きれいなお姉さんの活躍に子供達も大喜び、今は、等身大POPの横での記念撮影に大興奮中だ。カメラ担当のお父さんお母さんも、もちろん楽しそう。それを、老夫婦が微笑ましげに見守っている。
老若男女、みんなが、俺の創った物語に満足してくれている。ホント、なんだよこれ。天国かよ。
俺と一緒に隣で映画を観ていたカントクは、なぜかでかいクーラーボックスを抱えている。顎をしゃくって促すので、後を追って階段を二階に上がる。清掃を始めているスタッフが手を止めてカントクに頭を下げる。
「伺ってますよ。どうぞごゆっくり」
「悪いな、1時間くらい貸しといてくれ」
カントクは、スクリーンの2階席に通じる、両開きのドアを押し開いて、その左に下がり、右手で仰々しく、俺を招き入れる。
「さ、センセイ。パーティを始めようぜ」
2階席からは、巨大なスクリーンと観客席が見渡せた。今は無人だが、ついさっきまでは1000人を飲み込んでいた大劇場。さっきまでそこにいて、『戦国ワルキューレ』の興奮を1000人と共有していたんだ。あと半日くらいは、その熱気はここに残っているだろう、そんな気がする。
カントクはクーラーボックスを開いて、缶ビールとジュースのPETボトルを取り出す。
「センセイは顔出しNGだろ? だから二人っきりで色気も無しだけどよ、お疲れ様、ってやるのが俺の流儀なんだ。大入り満員の後、これやるのはたらねェぜ。極上だ。
付き合ってくれよ、センセイ」
「付き合えってんなら、俺もそっちが欲しいですね」
アルコールって意味なのは当たり前に通じる。
「高校生だろ? センセイは」
「そのでかいクーラーボックス、一人で呑むつもりだってのは無理があるでしょ」
カントクはニカッと笑って、クーラーボックスの中をごそごそと探る。
「ああ、まあ、色々持って来ちゃいるんだよ、もちろん……。やっぱ、これか」
と、取り出したのは、上がすぼまった、ワイングラス? なのかあれは?
「グラスだけ渡されても困るなー」
「もちろん違う。これはな、ブランデーグラスで、そこに注ぐのは」
逆に、末広がりに下が太いどっしりとしたボトル。
「なんだっけ、フランス語は読めねェけど、これはりんごのブランデーな。カルヴァドスっつーんだ。ぶどうからワインを作って蒸留するとブランデー、りんごで酒を作って蒸留すればカルヴァドス、ってな」
「へー。これが」
聞いた事だけはあった。ブランデーグラスに深い紅色の液体が注がれる。とたんに広がる強い匂い。
「なるほど、りんごだ。とってもりんごだ」
カントクはプシッと開けた缶ビールを掲げる。
「じゃ、乾杯だ」
「ん」
俺はブランデーグラス越しに一階を見下ろす。臙脂色のシートがたくさん、紅色のカルヴァドスの向こうで揺れている。そこに、お客さんを重ねてみる。笑って、はらはらして、泣いて、満足して帰っていったお客さん。
「じゃあ、まずカントクに」
「ああ。センセイに」
缶とグラスを合わせる。
「「そして、お客さんに」」
なるほど、これは確かに。
「極上っすね、カントク」
「だろー?」
カルヴァドスは甘そうな匂いのくせにしっかりアルコールだった。ちびちびとなめるようにして、風味と香りを楽しむ。呑む前から夢見心地だったので、酔いみたいなものはあまり感じない。
「酔った勢いで言いますけど、シナリオ、やっぱりやりすぎ。詰め込みすぎ。だけど勢いでなんとかなっちゃいましたねー。カントクはお客さんのノリの良さに感謝すべきだと思うな。いや、俺、別に酔ってないけどね」
「そう言う奴は酔ってるんだよ」
苦笑いしながら、カルヴァドスを追加してくれる。グラスの底をひたひたにするくらい。
映画のあそこが良かった、ここはお客さんの反応が予想外だった、次があればこうしよう、なんて話をしている。
「次かァ。まあ、この入りなら予算は出るよな。かー、毎週テレビやりながら映画撮るのは大変なんだぞ? スケジュールとかさ。やるけど。嬉しい悲鳴だな」
「スケジュールもだけど、ネタはどうすんです? 今回は旅の始まり、テレビの第1話を膨らました感じだったけど」
「そりゃーセンセイが考えてくれるよな? スペシャルで極上な、映画に相応しいやつを」
「いや……」
カルヴァドスのグラスを包み込むように持って、ゆっくり揺らして、温まったカルヴァドスから立ち上る香りを楽しむ。そうやって飲む酒らしい。
「何度も言ってるでしょ。俺は小説は書ける。でも、映像のシナリオは書けない。カントクの創ったテレビドラマ版の第1話を観てそう思ったし、今日、映画を観てはっきりしっかり、わからせられちゃいましたよ」
カルヴァドスをもうひと舐め。
「カントク。あなたはすごいよ。俺だったらやらない事をやってお客さんを楽しませている。俺にはできない事をやってお客さんを湧かせている。だから、映画はお任せしたい。俺は小説家なんだよ」
「またそれか……」
カントクは頬を掻いた。
「これも何度も言うけどな、俺がやっているのは絵造りだ、ビジュアルの設計とアクションの演出をしただけなんだ。センセイの創ったキャラ達による、センセイの考えた物語、それをキャストとスタッフを使って再現する、それだけなんだぜ」
うん、それは何度も聞いたからわかっている。
「俺は『戦国ワルキューレ』がデビュー作ってわけじゃない。今までに何本も撮ってきた。それとやり方を変えてないし、同じくらいの熱意で創ってきた。でもな、ここまで大ヒットしたのは、お客さんが盛り上がってくれたのは、これが初めてなんだ。それはセンセイの『女護ヶ島』のキャラだったり、物語だったり、なんつーか、そう、『オリジナル』だよ、その『センセイのオリジナル』があったからだって考え方は、そんなに間違ってるかい?
今日のお客さんを見ただろ? 俺の創ったもので満足してくれた、そういう誇りを感じたんだろ? 極上の気分だったんだろ? それは間違ってないんだよ。みんな、センセイが創ったキャラが、物語が好きなんだよ、こんな幸せな事が他にあるかい?」
「わかってる、それはわかってる。俺はすげえ欲張りで、贅沢なことを言ってる。お客さんは確かに俺のキャラを、俺の物語を観てくれているんだろう、でもそれは」
グラスを持つ手に力が入る。
「カントクの演出が、アクターさんの演技が、それを魅せている。俺が書いたより魅力的に、俺が書いたよりわかりやすく、俺が書いたより……格好良く!」
カントクが用意してくれたせっかく「パーティ」で、こんな風に絡むなんて。まるでガキだな。まあいいか。俺は高校生なんだ。酔ってるらしいし。
「そうだよ、俺は嫉妬してるんだ! 俺には書けない! あんなキャラは!
俺はね、カントク、『格好良く戦う女の子』が書きたかったんすよ! 書けたと思った! それが『女護ヶ島』だ! 読んだ人から褒めてもらった、格好いいって言ってもらった! 「小説家になろう」から拾ってもらって、本になって売れた、もっとたくさんの人が読んでくれた! ああ、あんたの言う極上だよ、幸せだよ! けど!」
グラスを持ったまま、人差し指だけ伸ばしてカントクに突きつける。
「あんただ! あんたが壊した! 『戦国ワルキューレ』が! ヒロイン達のコスチュームをあんな派手にしてさ! アクションシーンが始まると一瞬で衣装替えって、ヘンシンかよ! トクサツものじゃねーんだよ! 俺、散々反対したのに結局やってくれちゃってさあ! やったらウケたよ、子供、大喜びだよ! お年寄りも笑ってたけどスルーだよ驚くよ! 何より、俺も格好いいと思っちゃったのが驚きだよ!」
「そこまで言われると照れるな」
「照れてんじゃねーよ、俺は責めてんだよ!
アレができるんだから、あんたがやれよ! あんたが出来なくても、アクターさんがいるだろ! みんな、格好良くてさ、キリッとしてて、コスはエロイのに媚びてなくてさ、もう最高だよ! 羨ましいよ、あんたが、妬ましいんだよ! 俺にはいないんだよ、あんな格好いいアクターさんは! 全部、自分で書かないといけなんいんだよ! あんたがやったみいたに格好良く、凛々しいキャラを俺も書きたいよ! でも書けないよあんなの!」
わめいて疲れた。グラスを両手で包んでうつむく。
「だからさ。俺抜きでさ、やってくれよ。書けない俺なんかが何言っても、カントクやアクターさんの邪魔するだけなんだよ。それじゃあ、お客さんは喜んでくれない。それじゃダメだ」
「こじらせてんなー」
カントクは呆れていた。そりゃそうだろう。
「そこまでこじれてんのは、やっぱり、アレか。体操部だっけ?」
そう。体操部の彼女。一級下の宮城芽宮。俺のキャラ、橘華そっくりな、彼女。
橘華は『女護ヶ島』のお助けキャラ、姫や女戦士がピンチになると現れる、正体不明の謎のくのいち。覆面キャラで「涼しげなその眼が」とかしか描写されていない。
『戦国ワルキューレ』では、カントクは橘華を台詞もないクールキャラにした。今は女児人気ではナンバーワンキャラなんだそうだ。アクションシーンでしか出番がないのに。いや、だからなのか?
どうして俺は、はきはきと明るくしゃべる芽宮と、『戦国ワルキューレ』の橘華を重ねてしまうんだろう。
これは、カントクに嫉妬した俺の逃避、代償とかそういうのなんだ、とわかっているのに。
俺は芽宮の事が頭から離れない。『戦国ワルキューレ』の橘華の事もそうだ。
ふたりを見ていると、自分の力の足りなさを思い知らされるから。俺の表現は、創作は、所詮、現実には敵わないことを突きつけられるから。
芽宮を初めて見たのは、一ヶ月前。高校の新聞部員としての活動中。
体操部の部長に、部活レポートの原稿を依頼する、そんな仕事。休み時間ではなく、放課後、体操部の練習中を選んだのは、まあ下心アリだ。だって体操部だよ? 練習、見たいじゃん。
キュッ、タン、タタンという音がリズミカルに響く練習場に入ろうとした俺の前に、立ちはだかってくれたのが芽宮だった。
「部活中なんで、関係者以外立ち入り禁止です」
顔はちょっと幼い感じだから下級生か? でも背が高い。俺より少し低いくらい。レオタードからすらっと伸びた脚がきれいだ。
それが、芽宮だった。
「新聞部だ。俺も部活中」
芽宮の表情がまだ硬い、警戒しているっぽいので、俺はおどけてみせる。
「覗きとか、盗撮とか、そういうんじゃないから。俺は3Cの布留田。部長、いる?」
「あっ……」
口に手を当てる芽宮。
「ごめんなさい、ヘンな人かと思って、いや、センパイがヘンに見えるって意味じゃなくて! 部長ですね、今呼んできます!」
キュッと音を立てて踵を返して。タタンと走っていく芽宮。
その後ろ姿。
ドカンと頭を殴られた感じがした。
橘華だと思った。俺の『女護ヶ島』の橘華じゃなくて、カントクの『戦国ワルキューレ』の橘華。
何が違うかって、小説では「覆面のくのいち」ってだけで、コスチュームの細かい描写はしていない。テレビドラマ化にあたってカントクは、3Dモデルみたいにリアル寄りのタッチが印象的なデザイナーさんにコスチュームデザインをさせた。鎖帷子みたいなディテールが入ったぴっちりスーツ。いや、スーツじゃないな、腕も脚もむき出し、そう、ワンピース水着の布面積しかなくて肩も、腿も、あとは、なんだ、その……
そう、お尻! 畜生、言ってやるぜ、お尻だよ! むっちりとした太股があって、お尻の肉が上に乗っている、その境目はもちろん、お尻の肉も下1/4、ふっくら柔らかそうで、触れてみたくなる、それが締め付ける布地からはみ出してのぞいている、それが、『女護ヶ島』の橘華とは違う、『戦国ワルキューレ』の橘華だ。女児人気ナンバーワンの。
そんな、スクリーンの中にしかいない橘華が。
現実に、そこにいた。
その後の事はあまりよく覚えていない。呼ばれてきた部長に原稿の依頼はしたと思う。いや、した。新聞部のアドレスにちゃんと原稿が送られてきたから。あと、名前とクラスも聞き出した。あくまでさりげなく。「さっきの子、二年生?」「ミヤギちゃんね」「ミヤギ?」「ミヤギメグ」みたいな感じ。
体操部の名簿で確認する。宮城芽宮。2Dだ。
翌日、用もないのに二年生のフロアをうろつくこと3回目、ついに彼女を発見する。ストーカーかよ。いや別に、偶然だ、偶然。「や、昨日はどうも」なんて声をかけると、芽宮は一瞬、怪訝そうな顔をした後、「あ、昨日の」と思い出してくれた。ペンケースとバインダーをひとまとめにして右手に持っている。
「どっか行くの?」
「移動教室なんですよ」
「ああ、じゃあ急がなきゃ。悪いね声かけて」
「いえいえー。それじゃ失礼します」
そう言って背を向けて歩き出す。
その背中が。凛と伸ばした背中が。他の女子の半分くらいと同じ、ウチの学校のセーラー服を着た背中に、ワンピース鎖帷子を着たくのいち、『戦国ワルキューレ』の橘華の背中がだぶって見えてしまって。
その背中に俺はまたもう一度、ドカンと頭を殴られてしまったんだ。
「その話、聞かされるの12回目なんだけど」
「あんたが蒸し返すからでしょ。俺だって繰り返したくないよ、こんな情けない話」
「情けないの? 今の話? ずいぶんナイーブだなとは思ったけど」
げふ、とゲップをもらして、新しい缶ピールを手に取るカントク。
「いいじゃん高校生が羨ましいよ、センセイ。後輩のレオタードのお尻にドキドキしちゃったんだろ? 忘れられなくなっちゃったんだろ? 青春だねえ」
「TLとかエロコメの話にするんじゃねーよ、これは現実なんだよ! あの時感じたのはそんなんじゃない。俺はね、あの瞬間……
目の前が真っ暗になるかと思った。そこには、絶望の淵が底なしの穴を開けていた、と言ってもいい」
「急にホラーサスペンスの話になってびっくりだよ俺は」
思い出す。
『戦国ワルキューレ』の橘華。体操部の芽宮。背中。お尻。『女護ヶ島』の橘華を書こうとしても、『戦国ワルキューレ』が、芽宮が頭に浮かんでしまう。書こうとしている理想の前に、あの二人が立ち塞がる。
『戦国ワルキューレ』の橘華。スクリーンの中で踊る強くて華麗な姿。子供が夢中になるのも当然だ。CGも入ってるけど、現実のアクターには小説では届かない存在感がある。加えてカントクがいる。カントクは「格好よく戦う女の子」を考えて考えて考え抜いて、『戦国ワルキューレ』の橘華を創造した。そしてみんなが夢中になった。羨ましいけど、相手は映像のプロだ。俺も一応プロだけど、小説のプロだ。映像のプロに負けるのは、まあ、仕方ない。
でもな。
芽宮はフツーの体操部員だ。そんな芽宮の魅力に、俺は負けてしまった。頑張っても勝てる気がしない。あの、特にお尻には。小説には小説の強みがある。そんなことは当然俺だってわかっている。『戦国ワルキューレ』の橘華とか芽宮の格好良さとは別の格好良さを、文章で表現する自信はある。そうやって、俺はお客さんに喜んでもらってきたんだから。
でも、俺にはカントクの撮る橘華、体操部の芽宮と同じ事は出来ない。芽宮はプロじゃないのに。俺はプロなのに。なんで俺は芽宮に勝てない?
わかっている、芽宮だって、カントクと同じように、いろいろ悩んで、考えて、工夫して、そういう努力みたいなことをして、体操を頑張っているから、演技をする自分をどう魅せるか、そういうのを真剣にやっているから今があるわけで。才能とかそういうもののせいにするつもりはない。
でも俺だって頑張って、努力して、真剣だったんだ。格好よく戦う女の子のために。でも、負けてるってのはさ、やりきれないだろ。
そんな事を、俯いたままグダグダと、愚痴って。顔を上げると。
カントクはへらへら笑いながらスマホで誰かと話していた。
「聞けよ!」
「いや、センセイこじらせすぎだよ。俺もいろいろ考えてたんだけどさあ、もう面倒くさくなっちゃったから、サプライズのつもりだったけど段取り無視してネタバラシしちゃうけどいいよな? もう準備できたろそっちも。衣装OK? そう、それでいいの……いやいいんだよ、そうじゃなきゃいけないんだって、カントク命令! だから、大丈夫! なんとかなるって、たぶんだけどー!
じゃ橘華、後はよろしく!」
カントクがスマホの通話を切ると同時に、後ろのドアが左右に開かれて。
橘華が現れた。
スクリーンの中では見た事がない、怒ったような、困ったような表情で。
見た事がない、そりゃそうだ、橘華は覆面キャラだ。でも今は、いつものくのいちコスだが、覆面をしていない。
芽宮だ。
そこにいたのは橘華で、芽宮だった。
「『戦国ワルキューレ』橘華役の、宮城芽宮、です」
いつの間にか立ち上がっていた俺の目の前で、舞台挨拶のような自己紹介。
「センパイが、新田武蔵センセイだったんですね。驚きました。すごいですね、高校生なのに、あんな小説が書けるなんて」
そう言って笑う。初めて会った時みたいに。
芽宮が、橘華だった。
今までギチギチに締め付けられていた枷が弾けて飛んでいった、そんな感じ。全身が空気に溶けてしまいそうな解放感、とてつもない安堵感。芽宮はフツーじゃなかった。橘華だった。俺が見たくて見たくてたまらなくて、情熱を注ぎ込んで創造した「格好良く戦う女の子」。それが今、目の前に立っていた。現実だった。存在したんだ、この世に。
「ありがとう」
「え?」
俺が書く小説ならここは、跪いて、その腰の辺りにしがみついて、ずっと確かめたかったお尻の感触を確かめるぐらいのことはしているシーンだ。でも、現実にはそれはいろいろマズイだろうというくらいの理性は俺にだってあるから、芽宮の肩に両手を置くだけにする。たぶん合皮製の肩紐の固さと、素肌の暖かさ。ああ、やっぱり現実だ。手の平の感触だけで、俺は満たされてしまう。
「君は、俺が書こうとしていたものを形にしてくれた。橘華になってくれた。だから、ありがとう」
芽宮は、一瞬目を見開いて。
すぐに俺から視線を外して、唇を歪めてしまう。何だ? 何でそんな顔をする?
「わたしは、橘華じゃありません」
「わかってる。宮城芽宮だ。でも」
「わたしは!」
キッとした目に戻って、俺をまっすぐに見てくる芽宮。
「まだ未熟なんです!
この役を初めてもう一年近くになるのに、撮影の度にカントクからは怒鳴られて、怒られて! センパイの観た橘華は、わたしじゃないんです! カントクの橘華なんです! わたしだって頑張ってるけど、センパイの書いた橘華には全然なれなくて、だから、そんな事言わないでください!
って、センパイ! 笑ってますね!? ひどいですよ! 笑うなんて!!」
そりゃあ笑うさ。
なんだ、そんな事で悩んでいたのか。まあ、仕方ない。芽宮はすごい役者だけれど、橘華を完璧に演じられるくらいとてつもない才能を持っているけど、まだ高校二年生、俺より一歳下の後輩なんだ。不安があったり、自分を信じ切れなかったりするのは仕方がない。
こういう時は、センパイとして、橘華の創造主として、俺がアドバイスをしてあげるべきだろう。と言ってもとっさには気の利いたアドバイスが浮かばないので、さっき聞いたばかりのような気がする文句をとりあえず並べてみることにする。
足りない説得力を補うべく、芽宮の肩に置いた手に力を込める。引き寄せて、フツーやらないくらいの距離に顔を近づける。
「さっきまでここに1000人のお客さんがいたんだぜ。それがみんな、夢中になってた。もちろん、俺やカントクの力もあるだろう。でもさ、君は君だ、スクリーンの中には俺もカントクもいなかった、君だけだ、三人の中でそこにいたのは君、芽宮だけなんだ。そう、『君のオリジナル』にみんなが夢中になったって考え方は、そんなに間違ってるかい? 今日のお客さんを見ただろ? 俺の演じた橘華で満足してくれた、そういう誇りを感じたんだろ? 極上の気分だったんだろ? それは間違ってないんだよ。みんな、芽宮が創ったキャラが、物語が好きなんだよ、こんな幸せな事が他にあるかい?」
「え、あ、でも」
芽宮の顔が真っ赤だ。そんな顔もするんだ。可愛いな。
「わたしにはセリフもなくて、身体表現しかなくて、でもCGだってあったし。て言うかセンパイ、顔近い」
ああ、本当、バカ可愛いなぁ。こんな事もわからないなんて。
「セリフがなしでお客さんを魅了する。これがどれだけすごい事か。わかって言ってるんだろ? 自慢話かい? ああ、俺にはできないよ。誇ればいいさ」
「いや違くて!?」
なぜか、真っ赤になった芽宮が顔を覆って蹲ってしまって、カントクと、後で芽宮のマネージャーだと紹介された人に、強制的に引き離される。
五分後。カントクから差し出された契約書に、俺はサインをした。
「映画二本目のシナリオ、書くんだな? 言っとくが、〆切来月だからな? 書けるんだよな、つかホントに書くのか? 俺は書かないとか言ってたよな、さっきまで!?」
え? 何? 俺、そんな事言ってたの? 困るなあ、俺。こじらせすぎだろ。たかが、芽宮の演技が完璧だからってさ。俺の創作欲が削られるなんて、そんな事があるわけないじゃないか。
そう言ったら、カントクはため息をつく。
「まあ、いいけど。結果オーライだけど。
で、芽宮よ、まだ言いたい事あるんじゃなかったっけ? 俺、トシヨリだから、もう、高校生の面倒見るのは終わりにしたいんだけど」
覆っていた両手で顔を乱暴に、ごしごしっと擦って、蹲っていた芽宮は立ち上がった。
「わたしは! センパイに! センセイに、もっと橘華のことを聞きたいです! センパイが、書いた、書きたかった橘華に、もっと近付きたいから! いつか、わたしも『格好良く戦う女の子』になりたいから! だから、お願いします!」
ああ、格好いいなあ。ごちそうさま、だよ、芽宮。
「……光栄だよ。そこまで言ってもらえるなんて。俺も、頑張ってシナリオ書くよ。橘華がさ、思いっ切り格好いいのをさ」
と言いつつ。困ったな。
具体的には、どうしたらいいんだ? シナリオね。書くけどさ。どういう話にしようか?
俺の横で、カントクがスマホをいじっていた。
「とりあえずな、お前等に送っといたから、お互いのケーバンとアドレス。あとは好きにやれよ。あーメンドくせ。ここもそろそろ時間だからな。もう夜中なんだよ勘弁してくれよ! はい、解散! お疲れ様でしたーぁ!」
そうか、芽宮ともっと話し合えばいいのか。原作者と役者として。小説について、映画について、演技について、そして、橘華というキャラクターについて。
わくわくしてきたぞ。書きたくて書けなかった、今までにないすごい小説が、シナリオが書けそうな気がしてきた。いい気分だ。
「よろしくな、芽宮」
「こちらこそです、センパイ。……あ、センセイ、とかの方がいいですか?」
「いや、学校でそれはまずいな」
おっと、彼女は最初に名乗ってくれたのに、俺はまだちゃんと彼女に自己紹介もしていない。今さらだがやっておこう。
「俺は布留田永斗。ペンネームは新田武蔵で『女護ヶ島』の作者だ。本名の方なら名字でも名前でも好きに呼んでくれ」
結局無難に「センパイ」呼びになった。
俺が書いた小説が原作の映画。カントクに招待されたのだが、正直、来たくなかった。高三の貴重な夏休み、わざわざ都内まで暑い中出るのも億劫だ。
というのも言い訳で、小心者の俺は、正直、映画館に来るまでは不安を抱えていた。はっきり言って怖かった。小説がベストセラーになっても、テレビドラマ化されて視聴率がものすごい事になっていると聞かされても、俺はまだ、お客さんの反応を生で見た事はない。だから、怖かった。
映画館がガラガラだったら映画が始まる前に180度ターンして帰ろう。映画が始まって、映画館にしらけた空気が漂い始めたらどうすればいいんだ。もう、座席の上で貝になろう、耳を塞いで、目を閉じて、90分耐えるしかないじゃないか。ああ、怖い、怖い。
それがどうだ。
映画館は満員だった。最近では珍しくなった、シネコンではない、1000席の大スクリーンひとつだけの映画館。カントクにチケットをもらった時は、イジメを疑った。空いた席を見せつけてくる気かと思った。それが、満員。
1000人のお客さんが、俺が書いたストーリーに夢中になっていた。俺が創り出したキャラクターと一緒になって、笑って、泣いて、声援を送ってくれた。
それは、本当に、まるで夢のような体験で。
広いロビーでは、たくさんのお客さんが映画の余韻をまだ楽しんでいた。
俺が書いた「女護ヶ島」は、武家社会になってからの日本に、今は知られていないが女性だけの戦闘民族、人呼んで女護ヶ島があった、という設定の小説。戦国の乱世の裏で暴れ回ったのも今は昔の江戸時代、可憐で最強のニの姫が、「男を見てみたい」と言い出して、三人の少女戦士をお供に東海道で諸国漫遊の世直し旅をする、というのがメインストーリー。まあぶっちゃけ、「水戸黄門」+「ワンダーウーマン」だ。
これをテレビドラマ化したときに「戦国ワルキューレ」というタイトルになった。いや戦国時代じゃねーよ江戸時代だよ、ワルキューレって何でここで北欧神話、と最初は思ったが。
原作は時代小説と言われるジャンルだから、中高年のファンが多い。ドラマのカントクは、実写にするにあたって、美少女戦士達に、ゲームのような派手で可憐な演出でアクション成分を十倍くらいにパワーアップしたから、きれいなお姉さんの活躍に子供達も大喜び、今は、等身大POPの横での記念撮影に大興奮中だ。カメラ担当のお父さんお母さんも、もちろん楽しそう。それを、老夫婦が微笑ましげに見守っている。
老若男女、みんなが、俺の創った物語に満足してくれている。ホント、なんだよこれ。天国かよ。
俺と一緒に隣で映画を観ていたカントクは、なぜかでかいクーラーボックスを抱えている。顎をしゃくって促すので、後を追って階段を二階に上がる。清掃を始めているスタッフが手を止めてカントクに頭を下げる。
「伺ってますよ。どうぞごゆっくり」
「悪いな、1時間くらい貸しといてくれ」
カントクは、スクリーンの2階席に通じる、両開きのドアを押し開いて、その左に下がり、右手で仰々しく、俺を招き入れる。
「さ、センセイ。パーティを始めようぜ」
2階席からは、巨大なスクリーンと観客席が見渡せた。今は無人だが、ついさっきまでは1000人を飲み込んでいた大劇場。さっきまでそこにいて、『戦国ワルキューレ』の興奮を1000人と共有していたんだ。あと半日くらいは、その熱気はここに残っているだろう、そんな気がする。
カントクはクーラーボックスを開いて、缶ビールとジュースのPETボトルを取り出す。
「センセイは顔出しNGだろ? だから二人っきりで色気も無しだけどよ、お疲れ様、ってやるのが俺の流儀なんだ。大入り満員の後、これやるのはたらねェぜ。極上だ。
付き合ってくれよ、センセイ」
「付き合えってんなら、俺もそっちが欲しいですね」
アルコールって意味なのは当たり前に通じる。
「高校生だろ? センセイは」
「そのでかいクーラーボックス、一人で呑むつもりだってのは無理があるでしょ」
カントクはニカッと笑って、クーラーボックスの中をごそごそと探る。
「ああ、まあ、色々持って来ちゃいるんだよ、もちろん……。やっぱ、これか」
と、取り出したのは、上がすぼまった、ワイングラス? なのかあれは?
「グラスだけ渡されても困るなー」
「もちろん違う。これはな、ブランデーグラスで、そこに注ぐのは」
逆に、末広がりに下が太いどっしりとしたボトル。
「なんだっけ、フランス語は読めねェけど、これはりんごのブランデーな。カルヴァドスっつーんだ。ぶどうからワインを作って蒸留するとブランデー、りんごで酒を作って蒸留すればカルヴァドス、ってな」
「へー。これが」
聞いた事だけはあった。ブランデーグラスに深い紅色の液体が注がれる。とたんに広がる強い匂い。
「なるほど、りんごだ。とってもりんごだ」
カントクはプシッと開けた缶ビールを掲げる。
「じゃ、乾杯だ」
「ん」
俺はブランデーグラス越しに一階を見下ろす。臙脂色のシートがたくさん、紅色のカルヴァドスの向こうで揺れている。そこに、お客さんを重ねてみる。笑って、はらはらして、泣いて、満足して帰っていったお客さん。
「じゃあ、まずカントクに」
「ああ。センセイに」
缶とグラスを合わせる。
「「そして、お客さんに」」
なるほど、これは確かに。
「極上っすね、カントク」
「だろー?」
カルヴァドスは甘そうな匂いのくせにしっかりアルコールだった。ちびちびとなめるようにして、風味と香りを楽しむ。呑む前から夢見心地だったので、酔いみたいなものはあまり感じない。
「酔った勢いで言いますけど、シナリオ、やっぱりやりすぎ。詰め込みすぎ。だけど勢いでなんとかなっちゃいましたねー。カントクはお客さんのノリの良さに感謝すべきだと思うな。いや、俺、別に酔ってないけどね」
「そう言う奴は酔ってるんだよ」
苦笑いしながら、カルヴァドスを追加してくれる。グラスの底をひたひたにするくらい。
映画のあそこが良かった、ここはお客さんの反応が予想外だった、次があればこうしよう、なんて話をしている。
「次かァ。まあ、この入りなら予算は出るよな。かー、毎週テレビやりながら映画撮るのは大変なんだぞ? スケジュールとかさ。やるけど。嬉しい悲鳴だな」
「スケジュールもだけど、ネタはどうすんです? 今回は旅の始まり、テレビの第1話を膨らました感じだったけど」
「そりゃーセンセイが考えてくれるよな? スペシャルで極上な、映画に相応しいやつを」
「いや……」
カルヴァドスのグラスを包み込むように持って、ゆっくり揺らして、温まったカルヴァドスから立ち上る香りを楽しむ。そうやって飲む酒らしい。
「何度も言ってるでしょ。俺は小説は書ける。でも、映像のシナリオは書けない。カントクの創ったテレビドラマ版の第1話を観てそう思ったし、今日、映画を観てはっきりしっかり、わからせられちゃいましたよ」
カルヴァドスをもうひと舐め。
「カントク。あなたはすごいよ。俺だったらやらない事をやってお客さんを楽しませている。俺にはできない事をやってお客さんを湧かせている。だから、映画はお任せしたい。俺は小説家なんだよ」
「またそれか……」
カントクは頬を掻いた。
「これも何度も言うけどな、俺がやっているのは絵造りだ、ビジュアルの設計とアクションの演出をしただけなんだ。センセイの創ったキャラ達による、センセイの考えた物語、それをキャストとスタッフを使って再現する、それだけなんだぜ」
うん、それは何度も聞いたからわかっている。
「俺は『戦国ワルキューレ』がデビュー作ってわけじゃない。今までに何本も撮ってきた。それとやり方を変えてないし、同じくらいの熱意で創ってきた。でもな、ここまで大ヒットしたのは、お客さんが盛り上がってくれたのは、これが初めてなんだ。それはセンセイの『女護ヶ島』のキャラだったり、物語だったり、なんつーか、そう、『オリジナル』だよ、その『センセイのオリジナル』があったからだって考え方は、そんなに間違ってるかい?
今日のお客さんを見ただろ? 俺の創ったもので満足してくれた、そういう誇りを感じたんだろ? 極上の気分だったんだろ? それは間違ってないんだよ。みんな、センセイが創ったキャラが、物語が好きなんだよ、こんな幸せな事が他にあるかい?」
「わかってる、それはわかってる。俺はすげえ欲張りで、贅沢なことを言ってる。お客さんは確かに俺のキャラを、俺の物語を観てくれているんだろう、でもそれは」
グラスを持つ手に力が入る。
「カントクの演出が、アクターさんの演技が、それを魅せている。俺が書いたより魅力的に、俺が書いたよりわかりやすく、俺が書いたより……格好良く!」
カントクが用意してくれたせっかく「パーティ」で、こんな風に絡むなんて。まるでガキだな。まあいいか。俺は高校生なんだ。酔ってるらしいし。
「そうだよ、俺は嫉妬してるんだ! 俺には書けない! あんなキャラは!
俺はね、カントク、『格好良く戦う女の子』が書きたかったんすよ! 書けたと思った! それが『女護ヶ島』だ! 読んだ人から褒めてもらった、格好いいって言ってもらった! 「小説家になろう」から拾ってもらって、本になって売れた、もっとたくさんの人が読んでくれた! ああ、あんたの言う極上だよ、幸せだよ! けど!」
グラスを持ったまま、人差し指だけ伸ばしてカントクに突きつける。
「あんただ! あんたが壊した! 『戦国ワルキューレ』が! ヒロイン達のコスチュームをあんな派手にしてさ! アクションシーンが始まると一瞬で衣装替えって、ヘンシンかよ! トクサツものじゃねーんだよ! 俺、散々反対したのに結局やってくれちゃってさあ! やったらウケたよ、子供、大喜びだよ! お年寄りも笑ってたけどスルーだよ驚くよ! 何より、俺も格好いいと思っちゃったのが驚きだよ!」
「そこまで言われると照れるな」
「照れてんじゃねーよ、俺は責めてんだよ!
アレができるんだから、あんたがやれよ! あんたが出来なくても、アクターさんがいるだろ! みんな、格好良くてさ、キリッとしてて、コスはエロイのに媚びてなくてさ、もう最高だよ! 羨ましいよ、あんたが、妬ましいんだよ! 俺にはいないんだよ、あんな格好いいアクターさんは! 全部、自分で書かないといけなんいんだよ! あんたがやったみいたに格好良く、凛々しいキャラを俺も書きたいよ! でも書けないよあんなの!」
わめいて疲れた。グラスを両手で包んでうつむく。
「だからさ。俺抜きでさ、やってくれよ。書けない俺なんかが何言っても、カントクやアクターさんの邪魔するだけなんだよ。それじゃあ、お客さんは喜んでくれない。それじゃダメだ」
「こじらせてんなー」
カントクは呆れていた。そりゃそうだろう。
「そこまでこじれてんのは、やっぱり、アレか。体操部だっけ?」
そう。体操部の彼女。一級下の宮城芽宮。俺のキャラ、橘華そっくりな、彼女。
橘華は『女護ヶ島』のお助けキャラ、姫や女戦士がピンチになると現れる、正体不明の謎のくのいち。覆面キャラで「涼しげなその眼が」とかしか描写されていない。
『戦国ワルキューレ』では、カントクは橘華を台詞もないクールキャラにした。今は女児人気ではナンバーワンキャラなんだそうだ。アクションシーンでしか出番がないのに。いや、だからなのか?
どうして俺は、はきはきと明るくしゃべる芽宮と、『戦国ワルキューレ』の橘華を重ねてしまうんだろう。
これは、カントクに嫉妬した俺の逃避、代償とかそういうのなんだ、とわかっているのに。
俺は芽宮の事が頭から離れない。『戦国ワルキューレ』の橘華の事もそうだ。
ふたりを見ていると、自分の力の足りなさを思い知らされるから。俺の表現は、創作は、所詮、現実には敵わないことを突きつけられるから。
芽宮を初めて見たのは、一ヶ月前。高校の新聞部員としての活動中。
体操部の部長に、部活レポートの原稿を依頼する、そんな仕事。休み時間ではなく、放課後、体操部の練習中を選んだのは、まあ下心アリだ。だって体操部だよ? 練習、見たいじゃん。
キュッ、タン、タタンという音がリズミカルに響く練習場に入ろうとした俺の前に、立ちはだかってくれたのが芽宮だった。
「部活中なんで、関係者以外立ち入り禁止です」
顔はちょっと幼い感じだから下級生か? でも背が高い。俺より少し低いくらい。レオタードからすらっと伸びた脚がきれいだ。
それが、芽宮だった。
「新聞部だ。俺も部活中」
芽宮の表情がまだ硬い、警戒しているっぽいので、俺はおどけてみせる。
「覗きとか、盗撮とか、そういうんじゃないから。俺は3Cの布留田。部長、いる?」
「あっ……」
口に手を当てる芽宮。
「ごめんなさい、ヘンな人かと思って、いや、センパイがヘンに見えるって意味じゃなくて! 部長ですね、今呼んできます!」
キュッと音を立てて踵を返して。タタンと走っていく芽宮。
その後ろ姿。
ドカンと頭を殴られた感じがした。
橘華だと思った。俺の『女護ヶ島』の橘華じゃなくて、カントクの『戦国ワルキューレ』の橘華。
何が違うかって、小説では「覆面のくのいち」ってだけで、コスチュームの細かい描写はしていない。テレビドラマ化にあたってカントクは、3Dモデルみたいにリアル寄りのタッチが印象的なデザイナーさんにコスチュームデザインをさせた。鎖帷子みたいなディテールが入ったぴっちりスーツ。いや、スーツじゃないな、腕も脚もむき出し、そう、ワンピース水着の布面積しかなくて肩も、腿も、あとは、なんだ、その……
そう、お尻! 畜生、言ってやるぜ、お尻だよ! むっちりとした太股があって、お尻の肉が上に乗っている、その境目はもちろん、お尻の肉も下1/4、ふっくら柔らかそうで、触れてみたくなる、それが締め付ける布地からはみ出してのぞいている、それが、『女護ヶ島』の橘華とは違う、『戦国ワルキューレ』の橘華だ。女児人気ナンバーワンの。
そんな、スクリーンの中にしかいない橘華が。
現実に、そこにいた。
その後の事はあまりよく覚えていない。呼ばれてきた部長に原稿の依頼はしたと思う。いや、した。新聞部のアドレスにちゃんと原稿が送られてきたから。あと、名前とクラスも聞き出した。あくまでさりげなく。「さっきの子、二年生?」「ミヤギちゃんね」「ミヤギ?」「ミヤギメグ」みたいな感じ。
体操部の名簿で確認する。宮城芽宮。2Dだ。
翌日、用もないのに二年生のフロアをうろつくこと3回目、ついに彼女を発見する。ストーカーかよ。いや別に、偶然だ、偶然。「や、昨日はどうも」なんて声をかけると、芽宮は一瞬、怪訝そうな顔をした後、「あ、昨日の」と思い出してくれた。ペンケースとバインダーをひとまとめにして右手に持っている。
「どっか行くの?」
「移動教室なんですよ」
「ああ、じゃあ急がなきゃ。悪いね声かけて」
「いえいえー。それじゃ失礼します」
そう言って背を向けて歩き出す。
その背中が。凛と伸ばした背中が。他の女子の半分くらいと同じ、ウチの学校のセーラー服を着た背中に、ワンピース鎖帷子を着たくのいち、『戦国ワルキューレ』の橘華の背中がだぶって見えてしまって。
その背中に俺はまたもう一度、ドカンと頭を殴られてしまったんだ。
「その話、聞かされるの12回目なんだけど」
「あんたが蒸し返すからでしょ。俺だって繰り返したくないよ、こんな情けない話」
「情けないの? 今の話? ずいぶんナイーブだなとは思ったけど」
げふ、とゲップをもらして、新しい缶ピールを手に取るカントク。
「いいじゃん高校生が羨ましいよ、センセイ。後輩のレオタードのお尻にドキドキしちゃったんだろ? 忘れられなくなっちゃったんだろ? 青春だねえ」
「TLとかエロコメの話にするんじゃねーよ、これは現実なんだよ! あの時感じたのはそんなんじゃない。俺はね、あの瞬間……
目の前が真っ暗になるかと思った。そこには、絶望の淵が底なしの穴を開けていた、と言ってもいい」
「急にホラーサスペンスの話になってびっくりだよ俺は」
思い出す。
『戦国ワルキューレ』の橘華。体操部の芽宮。背中。お尻。『女護ヶ島』の橘華を書こうとしても、『戦国ワルキューレ』が、芽宮が頭に浮かんでしまう。書こうとしている理想の前に、あの二人が立ち塞がる。
『戦国ワルキューレ』の橘華。スクリーンの中で踊る強くて華麗な姿。子供が夢中になるのも当然だ。CGも入ってるけど、現実のアクターには小説では届かない存在感がある。加えてカントクがいる。カントクは「格好よく戦う女の子」を考えて考えて考え抜いて、『戦国ワルキューレ』の橘華を創造した。そしてみんなが夢中になった。羨ましいけど、相手は映像のプロだ。俺も一応プロだけど、小説のプロだ。映像のプロに負けるのは、まあ、仕方ない。
でもな。
芽宮はフツーの体操部員だ。そんな芽宮の魅力に、俺は負けてしまった。頑張っても勝てる気がしない。あの、特にお尻には。小説には小説の強みがある。そんなことは当然俺だってわかっている。『戦国ワルキューレ』の橘華とか芽宮の格好良さとは別の格好良さを、文章で表現する自信はある。そうやって、俺はお客さんに喜んでもらってきたんだから。
でも、俺にはカントクの撮る橘華、体操部の芽宮と同じ事は出来ない。芽宮はプロじゃないのに。俺はプロなのに。なんで俺は芽宮に勝てない?
わかっている、芽宮だって、カントクと同じように、いろいろ悩んで、考えて、工夫して、そういう努力みたいなことをして、体操を頑張っているから、演技をする自分をどう魅せるか、そういうのを真剣にやっているから今があるわけで。才能とかそういうもののせいにするつもりはない。
でも俺だって頑張って、努力して、真剣だったんだ。格好よく戦う女の子のために。でも、負けてるってのはさ、やりきれないだろ。
そんな事を、俯いたままグダグダと、愚痴って。顔を上げると。
カントクはへらへら笑いながらスマホで誰かと話していた。
「聞けよ!」
「いや、センセイこじらせすぎだよ。俺もいろいろ考えてたんだけどさあ、もう面倒くさくなっちゃったから、サプライズのつもりだったけど段取り無視してネタバラシしちゃうけどいいよな? もう準備できたろそっちも。衣装OK? そう、それでいいの……いやいいんだよ、そうじゃなきゃいけないんだって、カントク命令! だから、大丈夫! なんとかなるって、たぶんだけどー!
じゃ橘華、後はよろしく!」
カントクがスマホの通話を切ると同時に、後ろのドアが左右に開かれて。
橘華が現れた。
スクリーンの中では見た事がない、怒ったような、困ったような表情で。
見た事がない、そりゃそうだ、橘華は覆面キャラだ。でも今は、いつものくのいちコスだが、覆面をしていない。
芽宮だ。
そこにいたのは橘華で、芽宮だった。
「『戦国ワルキューレ』橘華役の、宮城芽宮、です」
いつの間にか立ち上がっていた俺の目の前で、舞台挨拶のような自己紹介。
「センパイが、新田武蔵センセイだったんですね。驚きました。すごいですね、高校生なのに、あんな小説が書けるなんて」
そう言って笑う。初めて会った時みたいに。
芽宮が、橘華だった。
今までギチギチに締め付けられていた枷が弾けて飛んでいった、そんな感じ。全身が空気に溶けてしまいそうな解放感、とてつもない安堵感。芽宮はフツーじゃなかった。橘華だった。俺が見たくて見たくてたまらなくて、情熱を注ぎ込んで創造した「格好良く戦う女の子」。それが今、目の前に立っていた。現実だった。存在したんだ、この世に。
「ありがとう」
「え?」
俺が書く小説ならここは、跪いて、その腰の辺りにしがみついて、ずっと確かめたかったお尻の感触を確かめるぐらいのことはしているシーンだ。でも、現実にはそれはいろいろマズイだろうというくらいの理性は俺にだってあるから、芽宮の肩に両手を置くだけにする。たぶん合皮製の肩紐の固さと、素肌の暖かさ。ああ、やっぱり現実だ。手の平の感触だけで、俺は満たされてしまう。
「君は、俺が書こうとしていたものを形にしてくれた。橘華になってくれた。だから、ありがとう」
芽宮は、一瞬目を見開いて。
すぐに俺から視線を外して、唇を歪めてしまう。何だ? 何でそんな顔をする?
「わたしは、橘華じゃありません」
「わかってる。宮城芽宮だ。でも」
「わたしは!」
キッとした目に戻って、俺をまっすぐに見てくる芽宮。
「まだ未熟なんです!
この役を初めてもう一年近くになるのに、撮影の度にカントクからは怒鳴られて、怒られて! センパイの観た橘華は、わたしじゃないんです! カントクの橘華なんです! わたしだって頑張ってるけど、センパイの書いた橘華には全然なれなくて、だから、そんな事言わないでください!
って、センパイ! 笑ってますね!? ひどいですよ! 笑うなんて!!」
そりゃあ笑うさ。
なんだ、そんな事で悩んでいたのか。まあ、仕方ない。芽宮はすごい役者だけれど、橘華を完璧に演じられるくらいとてつもない才能を持っているけど、まだ高校二年生、俺より一歳下の後輩なんだ。不安があったり、自分を信じ切れなかったりするのは仕方がない。
こういう時は、センパイとして、橘華の創造主として、俺がアドバイスをしてあげるべきだろう。と言ってもとっさには気の利いたアドバイスが浮かばないので、さっき聞いたばかりのような気がする文句をとりあえず並べてみることにする。
足りない説得力を補うべく、芽宮の肩に置いた手に力を込める。引き寄せて、フツーやらないくらいの距離に顔を近づける。
「さっきまでここに1000人のお客さんがいたんだぜ。それがみんな、夢中になってた。もちろん、俺やカントクの力もあるだろう。でもさ、君は君だ、スクリーンの中には俺もカントクもいなかった、君だけだ、三人の中でそこにいたのは君、芽宮だけなんだ。そう、『君のオリジナル』にみんなが夢中になったって考え方は、そんなに間違ってるかい? 今日のお客さんを見ただろ? 俺の演じた橘華で満足してくれた、そういう誇りを感じたんだろ? 極上の気分だったんだろ? それは間違ってないんだよ。みんな、芽宮が創ったキャラが、物語が好きなんだよ、こんな幸せな事が他にあるかい?」
「え、あ、でも」
芽宮の顔が真っ赤だ。そんな顔もするんだ。可愛いな。
「わたしにはセリフもなくて、身体表現しかなくて、でもCGだってあったし。て言うかセンパイ、顔近い」
ああ、本当、バカ可愛いなぁ。こんな事もわからないなんて。
「セリフがなしでお客さんを魅了する。これがどれだけすごい事か。わかって言ってるんだろ? 自慢話かい? ああ、俺にはできないよ。誇ればいいさ」
「いや違くて!?」
なぜか、真っ赤になった芽宮が顔を覆って蹲ってしまって、カントクと、後で芽宮のマネージャーだと紹介された人に、強制的に引き離される。
五分後。カントクから差し出された契約書に、俺はサインをした。
「映画二本目のシナリオ、書くんだな? 言っとくが、〆切来月だからな? 書けるんだよな、つかホントに書くのか? 俺は書かないとか言ってたよな、さっきまで!?」
え? 何? 俺、そんな事言ってたの? 困るなあ、俺。こじらせすぎだろ。たかが、芽宮の演技が完璧だからってさ。俺の創作欲が削られるなんて、そんな事があるわけないじゃないか。
そう言ったら、カントクはため息をつく。
「まあ、いいけど。結果オーライだけど。
で、芽宮よ、まだ言いたい事あるんじゃなかったっけ? 俺、トシヨリだから、もう、高校生の面倒見るのは終わりにしたいんだけど」
覆っていた両手で顔を乱暴に、ごしごしっと擦って、蹲っていた芽宮は立ち上がった。
「わたしは! センパイに! センセイに、もっと橘華のことを聞きたいです! センパイが、書いた、書きたかった橘華に、もっと近付きたいから! いつか、わたしも『格好良く戦う女の子』になりたいから! だから、お願いします!」
ああ、格好いいなあ。ごちそうさま、だよ、芽宮。
「……光栄だよ。そこまで言ってもらえるなんて。俺も、頑張ってシナリオ書くよ。橘華がさ、思いっ切り格好いいのをさ」
と言いつつ。困ったな。
具体的には、どうしたらいいんだ? シナリオね。書くけどさ。どういう話にしようか?
俺の横で、カントクがスマホをいじっていた。
「とりあえずな、お前等に送っといたから、お互いのケーバンとアドレス。あとは好きにやれよ。あーメンドくせ。ここもそろそろ時間だからな。もう夜中なんだよ勘弁してくれよ! はい、解散! お疲れ様でしたーぁ!」
そうか、芽宮ともっと話し合えばいいのか。原作者と役者として。小説について、映画について、演技について、そして、橘華というキャラクターについて。
わくわくしてきたぞ。書きたくて書けなかった、今までにないすごい小説が、シナリオが書けそうな気がしてきた。いい気分だ。
「よろしくな、芽宮」
「こちらこそです、センパイ。……あ、センセイ、とかの方がいいですか?」
「いや、学校でそれはまずいな」
おっと、彼女は最初に名乗ってくれたのに、俺はまだちゃんと彼女に自己紹介もしていない。今さらだがやっておこう。
「俺は布留田永斗。ペンネームは新田武蔵で『女護ヶ島』の作者だ。本名の方なら名字でも名前でも好きに呼んでくれ」
結局無難に「センパイ」呼びになった。
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