作家の異常な愛情

Ⅴ 俺が書きたかったもの。わたしが演じたかったもの

 「芽宮めぐ君の橘華きっかには俺も文句はないけどさー。布留田ふるだ、『戦国ワルキューレ』にはひとつだけ不満があるんじゃなかったかなー? 前にぐちぐち言ってたじゃないか」
 編集長が話を変えてくれる、のはありがたいが、そっちに変えられても困る。
 「いや、あれは芽宮に言ってもしょうがないだろう。それにグチグチなんか言ってないぞ。『女護ヶ島にょごがしま』のキモと言ってもいい要素だから、『戦国ワルキューレ』で観られないのは残念だ、と言っただけだ」
「え? そんな要素があったんですか?」
 ほら、芽宮が気にしちゃうじゃないか。仕方ない、説明するか。
「闇衆だよ。出てこないだろ?」
「ああ、そういえば」
 闇衆。
 前線で戦闘部隊として名を馳せた女護ヶ島の本隊とは別に、謀略や諜報を担当した別働隊が存在した。戦国の世では、戦いの表と裏で力を合わせて戦っていたが、太平の世になった時、裏の別働隊の一部は目的と存在意義を失ったと感じて女護ヶ島から離反する。血のにじむ想いで磨いた己の腕を奮う場を求めて、世界のあちこちに散らばっていったのだ。
 闇衆の名前が初めて出て来るのは、『女護ヶ島』の第4巻。とある藩のお家騒動の糸を引いていたのが、闇衆の凄腕剣士だった、というエピソードだ。5巻以降でも基本的には、巻をまたぐ大きなストーリーを締めるボスキャラ的な立ち位置として、闇衆が登場する。呪術を使って天災を起こそうとしたり、不和を煽って戦を起こそうとしたり、果ては徳川幕府を転覆して戦乱の世に戻そうしたりもする。ロクなことしてないな。
「ラストの山場に、とか考えているんじゃないですか、カントクは。確かにキモですもんね」
「いや、出ない。カントクは出さないって言ってた」
「ええ? どうしてです?」
「できる女優がなー。いないんだって」
 「あー……。それは、そうかもですね。一人目が、身の丈八尺、鎧のような肉で覆われた容貌魁偉ようぼうかいいの女戦士、でしたっけ。『女護ヶ島』では珍しく、外見の描写に力が入ってましたから覚えています。マンガとかアニメならできるでしょうけど実写だとちょっと。
 え、あれ? 時代小説にするときにマンガ的描写は削ったと仰ってましたよね? なんで闇衆だけマンガなんですか?」
「まあ、敵役だけマンガみたいなキャラ描写になるのは山田風太郎さんから続く時代活劇小説の由緒正しい伝統みたいなものだから、いいんだよ」
 忍法帖シリーズなんかすごいぞ。50年以上前の小説なのに、糸を吐くとか血を吸って相手を操るとか、くノ一ものなんか女のアソコに牙が生えてて敵を食いちぎるとか、今のジョジョとか超常能力バトルものでもできないようなエログロやっている。忍法と名をつければなんでもありなんだ。と言うか、山田さんの忍法帖シリーズこそが超常能力バトルものの元祖なんだよな。
「俺にとっての『格好良く戦う女の子』の原典はやっぱり『復讐のガンガール』だからさ。まあ、俺の妄想だった可能性が高いわけだけど、あのラストバトルがやりたかったんだ。女同士のガチの殺し合い、お互い殺意むき出しで素手で爪を立てるような勢いの、格好悪いけどそこが格好良い、みたいなさ。そういう欲しい迫力を出そうと思ったら、敵役は思い切り強そうで悪そうな方が盛り上がるだろ? ちょっとやり過ぎたかな、とも思ったから時代小説にするときに直そうかと迷ったけど、そのまま出して、受け入れられちゃったからやっぱり山田さんは偉大だよな。
 あ、『キック・アス2』のマザー・ロシア、あれに影響されたってのもある。大女と少女の血みどろの死闘、ヒット・ガールの攻撃が全て弾かれて力業でボロボロにされるんだけど、隙を突いて割れたガラスの破片を使って死角からの速効攻撃、そんな感じでさ、もう画面に釘付けだった。主演のクロエ・モレッツもがんばってたけど、マザー・ロシアの役者さんの存在感もすごかったよな。かなり俺の理想に近いアクションシーンだった」
「あの人確か、ウクライナのボディビルダーですよ。身長188㎝とかだったかな? そういう女優さんがいれば、できると思いますけど」
「いないよなー。でも、観てみたい気もするんだ、実写で、闇衆の強いボスキャラと戦う姫達四人をさ。四人はいつものように戦う、強い、しかし闇衆は超常パワーを使ってその四人をも圧倒する、苦戦、しかし最後は四人が息を合わせてのコンビネーションで大逆転! みたいなさ、どう?」
「観たいです! 第4巻のあの場面は読んでてわたしも好きです。私はひとりで生きて、ひとりで死ぬ、と最期に呟く闇衆を切なさを宿した目で看取る姫がいいんですよね。『戦国ワルキューレ』のラストではあの場面の橘華を演じるんだって、なんとなくですけど想像してわくわくしてたところもあるんですけど。そうか、闇衆を演じられる人がいないんじゃ、仕方ないのかな」
 とか、ふたりでちょっと盛り下がっていると、編集長。
「映画でやればいいだろー」
「いや、だからカントクがやらないって」
「テレビドラマの話だろ。映画は別なんじゃないか? 一本目が当たったんだから、二本目には時間も予算もそれなりに付くんだろうし」
「そりゃあ、そうかもだけどさあ。女優がいないんじゃ」
「それも時間と予算の範疇じゃね? 闇衆出してスペシャル感を出す、って、映画の話題造りとしては悪くないと思うけどなー」
 あれ? そう言われると、そうかも?
「まず、話題になりそうな俳優からさきに決めちゃう、スケジュール取っちゃうってのも手ッスよね。闇衆のキャラクターを女優の方にアテて作るってのもアリじゃないッスか」
「第7巻に出た、年齢不詳の妖艶な妖術使いとかならいいんじゃないかしら? けっこうなお歳なのに色気の褪せない女優さんっているわよね。あの闇衆が一番立ってたと思うし」
 福地や副編集長までぐいぐい押してくる。そうか、副編集長はああいうのが推しか。なるほど。
 「ちょっと驚いたけど、嬉しいよ。すごくいいアドバイスだ。ちょっと視野狭窄きょうさく気味だったかもな。ぜんぜん思いつかなかったけど、そうだよな、映画なんだし、特別感ってそういうことだよな。編集長も副編も、ついでに福地も、ありがとう」
 ついでかよー、とか福地が言ってるのを聞き流す。
「いくつかアイデア出して、カントクと相談してみる、か。うん、いいぞいいぞ」
 頭の中で、大勢の闇衆達の、わたしを出せ、いやわたしはこんな事が出来る、こんなストーリーはどうだ、とのアピールがうるさいぐらいに始まっていた。まあ落ち着け。編集長の言うように、映画は予算も時間も取ってスペシャルにできる。逆に言うと、スペシャルでなければならないんだ、わざわざ映画館まで来てくれたお客さんのために。
 俺が熟考に入ったのがわかるのか、みんなは黙って俺を見ている。
「映画としての特別感、か」
 そう、映画、としてのだ。俺は小説家だから、さっきから闇衆がしてくるアピールも確かにスペシャルではあるが、小説としてのスペシャルさに留まっている。小説としての能力描写、小説としてのストーリー、小説としてのドラマチックな場面演出。小説としては、どれも素晴らしいアイデアだが、映画にするとなると、違うアプローチが必要だ。
 カントクにもアイデア出してもらうか。いや、その前に。今、ここにもうひとり、ちゃんと人気を得ているプロがいるじゃないか。
「芽宮」
「はい?」
「映画でどんな闇衆が観たい? なんかアイデアない?」
「わたしが出すんですか!?」
「俺は、『復讐のガンガール』や『キック・アス2』が良かったから第4巻の闇衆を書けた。でも、やっぱり小説家としての視点から観て、小説としての面白さに翻案してあるんだ。映画にはそれじゃ足りない。役者の芽宮の視点で、いいと思う敵役と、映画で観てみたい敵役のイメージが聞きたい」
「ええっと」
 考え込む芽宮。
「考えすぎることはない。なんか一番最初の、原点みたいなものはない? 芽宮にとっての『復讐のガンガール』みたいなさ」
「ちょっと子供っぽすぎて恥ずかしいんですけど」
 照れたように笑う。
「ロールパンナちゃんって、知ってます?」
「ええと?」
 確か、『アンパンマン』のキャラだよな? 時には敵、時には味方、みたいなキャラだった気がする。
「観たのがいつだったのか覚えてないくらいちっちゃい頃なんですけど。オープニングの1カットがすごい印象に残っていて、動画サイトで繰り返しそこだけかけてたのだけは覚えてるんです。あれ、歌詞もいいじゃないですか。マーチなんだけど、勇ましいだけの行進曲じゃなくて、たとえ胸の傷がいたんでも、みたいな切なさ、もの悲しさみたいなのもあって。
 稲光に岩山の上っていう、もう絵に描いたようなおどろおどろしいバックで、まあ絵なんですけど、キャラが立ってるのを回り込みでぐるっと撮ってから、アンパンマンとバトルアクションが始まるんですよ。初めて見たときはアンパンマンも、ましてロールパンナの名前も知らなくて、でも、もうすごく格好良く見えて。ロールパンナの覆面とか、そこから覗くちょっときつい感じの目とか、女の子なのに主役っぽい男の子と対等に戦っちゃうとか、全部が全部、もう格好よさ、みたいなものを最初に感じたのはあれでしたね。
 本当、昔の話でずっと観てないから忘れていましたけれど、うん、思い出しました。あれはいいです。今、もう一度観ても格好いいと思えますよ、わたし」
「あ、ニコ動にまだあるみたいだよ。これじゃね?」
 福地がさっそく検索して、画面を芽宮に向ける。うわーこれこれ、どう、格好良くない? どう思う? とか芽宮が興奮している。どれどれ、ニコ動って言ってたな。
 検索してみる。これか。
 なるほど。何のために生まれたのかわからない、でも夢を忘れるな、涙をこぼすな、という歌に合わせて、覆面キャラがどん、とフィーチャーされる。これは、確かに格好いい。こいつが主役、って勢いがある。ロールパンナちゃんとやらがどんなキャラだか知らない俺にも、ぐっと訴えかけてくるじゃないか。素晴らしい。
「ジャムおじさんがメロンパンナちゃんの姉として作ったって設定らしいなー」
 編集長は設定を検索したようだ。
「ほいほい作り過ぎだよな、あのおじさん」
「作る途中でばいきんまんの邪魔が入って悪の因子が入ってしまった二面性のあるキャラってことらしい」
「キッズ向けなのにちょいちょいマニアックな設定混ぜてくるし」
 悪役、ではないけれど、闇を抱えて、主人公と時に敵対するキャラ、ということは理解した。
「アニメ本編での出番は少なくて、今週は出てこなくてがっかり、の繰り返しだったんですけれど。その分、見せ場があったときは本当に格好良く見えて。ああ、そうです、そうなんだ、わたしが橘華にすぐ感情移入できたのも、同じ覆面キャラだから、だったかもしれませんね。そういう意味でも、原点、でいいかもです」
 芽宮の強い思い入れ。使える、と思った。地質調査資料に手がかりを発見した山師の気分。まだ見ぬ鉱脈の、確かな手応え。
 ロールパンナ。芽宮の原点。善と悪の二面性。覆面キャラ。メロンパンナの姉。
 俺の頭の中で、何かが、かちり、かちりと組み立てられていく感覚。ああ、これだ。『ワンダーウーマン』と『水戸黄門』がフュージョンして、『女護ヶ島』が生まれたときの、あの感触。
 俺が、自分の発想とか才能とか、そういうものに自惚れたくなってしまうのはこの瞬間だ。空いていた穴を埋める、既にあるものを組み合わせてこれまで無かったものを造り上げていく。無から有を生み出すなんて、神様みたいなことは俺には出来ないが、俺をクリエイターにしてくれているのは、この組み合わせの発想なんだ。
「橘華にも、姉がいるんだ。橘華と同じ覆面キャラ。うん、そうだ、橘華の一門はもともとそういう部門なんだ、女護ヶ島の忍者部隊、諜報部門。闇衆なんてのが出来る前からそうだった。太平の世になって橘華の姉は闇衆に堕ちた。いや、橘華の一門が闇衆になって、橘華が裏切り者なのかもしれない。姫達は、そういう裏の事情はまだ知る地位にいないんだ」
 芽宮がぱん、と手を打った。
「なるほど! そういう設定があったんですか!?」
「今、考えた」
「ええ?」
「闇衆のお披露目が同時に、橘華の姉のお披露目だ。ダークサイドの橘華が、二本目の映画のもうひとりの主役だ。うん、これで行ける。女護ヶ島の存在意義を、姉が妹に、姫に対して問いかけるんだ。我々は何のために生きてきたのか、戦ってきたのか、こんな怠惰で腐った世の中のためなのか、と」
 いける、いける。これだけでも特別感満載だ、映画としての話題性は十分にある。だが、俺の発想はこんなモンじゃないぞ。
「姉役は芽宮、君がやるんだ。一人二役、そして、覆面を取った素顔も見せる。橘華は人気キャラだ。これで大人も子供もファンは飛び上がってくれるぞ」
「でっ……」
 息を呑む芽宮。
「できるんでしょうか、わたしに?」
「できる。俺が保障する。思いっ切り格好良くやってくれ」
 悪いが、それくらいしか言えない。今の俺には余裕がない。次から次へとダークサイド橘華についてのアイデアが湧いてきて、脳の処理が追いつかないんだ。格好いい台詞、格好いいシーン、格好いいアクション、すごい、どれも最高だ。
 だが。ああ、だが! だがしかし! ちくしょう!
 やっぱり俺は、小説家だ。どのアイデアも、小説としてのアイデアだ。台詞も、アクションも、シーンも、文字で書いて決まるけれど、声に出して、絵と音をつけて、動かしたときに、物足りない、パンチが足りない、違うアプローチが必要だ。
「芽宮、ダーク橘華、橘華の姉のファーストシーンだ。映画の山場になるだろう。ドラマ第2話の橘華のお尻、じゃなかった、橘華のファーストシーン、俺が痺れたあのシーンに匹敵するインパクトでやりたい。演じる君のイメージが欲しい。どんなシーンが格好いいと思う? こんなダーク橘華を演じたい、そういうなんとなくのイメージでいいから、聞かせてくれ」
「ええ、いいんでしょうか、わたしなんかが、いやでも、はい、せっかくだから考えます、ちょっと待ってくださいね」
 とん、とん、と額を叩いてから、芽宮は遠慮がちに希望を口にする。
「素顔で演技できるなら、最初から素顔を出したい、ですかね」
「えっ? いきなりネタバレになるんじゃね?」
「いいから、福地。細かいことは、俺が考える。最初は、ダーク橘華でも橘華でもない、新しいキャラとして登場するってことだな? 姫一行の旅先で騒動に巻き込まれるゲストヒロイン枠だ」
「そうそう、そんな感じです。で、例によって姫一行は騒動を解決しようとして、悪者のアジトに乗り込むと、そこにゲストヒイロンがいるんです、それまでは見せていなかった表情で、そう、妖しい笑み、みたいな。そして、戸惑う姫一行の前で、覆面をかぶる、橘華と同じ覆面で、橘華そっくりになるんです。そこで橘華が呟くんです、あ、これが橘華としての初めての台詞になりますね、

『まさか、姉上!?』

 はいここでカメラ派手に動いてダーク橘華アピールします! アンパンマンのオープニングのロールパンナちゃんみたいに!」
「いやいやいや、覆面かぶる前に、橘華はわからなきゃダメっしょ、お姉さんなら!」
「いいから黙ってろ福地!」
 すごい、すごいぞ、芽宮のイメージは。さすがプロの役者、インパクトたっぷりのイメージをベースに、アイデアが俺の頭の中に次から次へと湧いてくる。
「橘華の一門にとって、素顔なんてのは意味がない。自由に顔を作れる、隠密のための変装の達人揃いなんだ。だから橘華も、最初は姉に気付かなかった。しかし覆面には、一門の人間にしかわからない、それぞれ独特の意匠がある。だから橘華は気付けたんだ」
「それも今、考えたっしょ!? さすがに無理ありますって!」
 まあ俺も、絶対に思いつかないし、思いついたとしても小説で書こうとは思わないシーンだ。文章で書くと説得力皆無だからな。しかし。
「映像なら、勢いで説得できる」
「勢いって、そんなんで誤魔化せるわけないっしょ」
「おいおい、そんなん、なんて言ってくれるなよ。勢いって大事だぞ。お客さんのリズムと言ってもいい、小説と映画だとな、このリズムが違うんだ」
 俺も、自分の小説が映像化されるまでは、なんとなくってくらいの認識だったけど、『戦国ワルキューレ』を観た今ははっきりとわかる。理論化できる。
「小説は、自分のリズムで読める。読むというのは能動的な行為だ、目で文字を追わないと、ページをめくらないといけない、そのリズムを作ってあげるのが小説家の仕事だ。
 好きな所はじっくりと楽しんで、詰まらないと思ったところは容赦なく飛ばす。そういう緩急に合わせて書かないといけない。情報がみっちり詰まっていて1行も読み飛ばせない小説なんてのは、息苦しくなって誰も読んでくれない。逆に、適当につまんで読めばわかるような文章ばかりだと、読者は物足りなく感じる。シーンによって変えて、読者を飽きさせずに読ませる、ページをめくらせる、これが緩急だ、読む側の気持ちになるというのはこういうことだ。
 福地の言うような『無理』があると、小説の場合、そのリズムが壊れてしまうのは確かだ。1行でも違和感を覚えたり、詰まらなく感じると、そこで読むのが止まってしまう、ページをめくれなくなってしまう。だから俺は、小説ではそういう「無理」はやらない。
 でもな、映画なら、リズムは送り手が作れるんだ。映画の観客は受動的だ。座っているだけでいいんだ、何もしなくても目の前のスクリーンの中で話は進む。じっくり観せたいシーンはじっくりと四拍子の1カットで撮る、アクションシーンならさくさく短いテンポでシーンを切り替えて二拍子で撮る、とかな。もちろん、観客の気持ちを計算しながらなのは小説と変わらないけど、緩急のリズムは送り手が支配できる。
 勢いってのはつまりリズムで、映画にとって悪い意味じゃなく、大事な武器なんだ。詰まらない映画ってのは、この武器の使い方を間違っているのが原因ってことが多い。勢いのテンポが、観客の気持ちより遅かったり早かったりすると、退屈に感じたり、展開についていけなくなったりする。
 例えばさ、面白かった漫才を文章にしてみるととんでもなく詰まらなかったりする」
「そりゃ、あれは掛け合いの勢いあっての漫才ッスからね」
「だろ? 勢い、テンポが大事なんだ。コメディ映画で、妙に間延びしてたり、逆にドタバタしすぎてたりするのと同じだよ」
 芽宮めぐは頷いている。
「そうですね。このシーンでわたしがやりたいと思ったのは、

 『橘華きっかがもうひとりいる!? いやでもちょっと違う?』

 という、そっくりキャラ登場によるインパクト、勢いです。素顔をさらすとそっくり、なシーンなら今までたくさんありますが、それが逆だから、面白くなるんだと思いました」
「その通り。だから、さっき言ったような覆面の意匠が云々、みたいな理屈付けは映画では必要ない、むしろ勢いの邪魔になる。説明なんてしなくても、映画なら観客は、あれ? と思ってもとこで止まることはない、スクリーンの中では話が進んでいるから止まれない、むしろ、姉妹対決という見逃せない場面から離せなくなる、そういうシーンになる、しないといけないんだ。
 小説書きの俺には出来ない発想だ。さすがだよ芽宮。ありがとうな」
 照れたように笑う芽宮。
「わたしは、格好いい橘華の絵が欲しかっただけで。絵のイメージを聞いただけですぐに物語にしちゃえるセンパイがすごいんですよ」
「こんなのはただの理屈付けだ。勢いのためには説明なんてしなくてもいい理屈だ、そんなのよりも大事なのは『絵』だから、それを思いつく芽宮はすごいんだ。だからありがとう」
「うーん、よくわかりませんけど、やっぱり、『絵』の勢いは大事ですよね。それはわかります」
「いや、むしろ、勢いがないと、映像としては弱いんだ。さすが、芽宮はわかってるな」
「そ、そうですか?」
「映像ファーストで考えてるってことだろうな。俺もそっちで考えないと、シナリオにはならない。
 早着替えヘンシンの演出も、思いっ切り派手にしてもいいかもな。じゃんじゃんどんどん鳴るBGMとSEつけて、ゲストヒロインの姿が橘の無数の花弁の吹雪で隠されて、それが晴れるとそこにダーク橘華が、みたいな……いや、覆面を装着するだけ、のほうがむしろインパクトあるか?」
「わたしのイメージはそっちですね。橘華が、姉上、と呟いてからのカットがむしろ本番で、そこで、ダーク橘華をどん、と見せるんです。なんならセンパイの好きなお尻から」
「お尻は置いとこう、いややるかもだけど。それよりだな、今、台詞が気になった。姉上、でもいいんだけど、お姉さん、にしたり、いっそお姉ちゃん、とかにするだけで、橘華のキャラと、ダーク橘華との関係性が変わってくる。ここも重要だぞ」
「そうですね、わたしの演じ方も変わりますし」
 編集長が笑っている。
「さすがプロだなー。そういう話になると俺達じゃ口を挟めない」
「いやいや、さっきも言ったけど、『映画なんだから』ってアドバイスはありがたかったよ。まー、俺くらいじゃなきゃすぐにカタチにはできないけどな」
「すぐに調子に乗るところがお前らしいよ」
 苦笑いしてやがる。まあ、いいさ、俺は今、絶好調だからな。
「そうだ、副編も福地も、映画で観たいシーンがあったら言ってくれよ。イメージはいくらあったっていいんだ」
「私は妖術使いが好きって言ったわよね。アクションシーンの変化も付いていいと思うけど」
「あー……ダーク橘華は妖術に秀でてる、とかにするか? うん、なんか考えるよ。福地は?」
「ちょっと言いにくいンすけど」
 芽宮をちらちら見つつ福地が続ける。
「いや俺じゃなくて、同クラの温泉部のやつがね、言ってたンすけど」
「温泉部?」
 ウチの高校にいくつかあるヘンな部のひとつだ。活動内容はバイクで温泉ツーリング。十何年か前に、日本文化を愛する留学生が始めたとか聞いた事がある。温泉とバイクが日本文化って正しいような間違っているような。
「そいつは『戦国ワルキューレ』で温泉回やればいいのにって言ってて。せっかく可愛い女の子がいるんだから入浴シーンは鉄板だろって、俺じゃなくてそいつがね」
 その同クラの温泉部は実在するのか? お前の希望じゃないのか?
 まあ、内容自体は悪くはない。
 「有名な温泉には、昔の有名人が出て来るわれ話が一杯あるからな。そういうのと絡めるだけでエピソードは作れるよな。『水戸黄門』にもそういう回があったんじゃないかな」
 さあ、俺の発想の泉よ、出番だぞ。
 「あちこちの温泉に、いろいろな戦国武将の御座石ござのいしとかあるし。その中に女護ヶ島にょごがしまの武将がいてもおかしくはない。女護ヶ島の一族だけが知っている山奥の秘湯とかでもいいな。それだと関わるキャラが少なくてドラマが作りにくいか」
「今は有名になって観光地化してるとかッスかね?」
「あ、それいい! いただき! いや、ホントは女護ヶ島関係ないのに、『女護ヶ島縁の湯』とか宣伝に使ってて姫達が呆れる、とかのほうが、現代的要素もあって面白いかもな! 正月にやってた『暴れん坊将軍』の日本酒タワーみたいに」
「設定よりも映像ファーストっしょ、先輩の言うところの。大事なのはさりげない見せ方ッスよ、お色気は」
 福地君、自分が見たいだけじゃ? いやーあくまで同クラの温泉部がー、とかやっているのを聞き流しつつ、俺はまとまりはじめたシナリオの構想に確かな手応えを感じていた。
 見える、見えるぞ、お客さんの顔が。小説を書いているときと同じ感覚。俺には読者の、観客の、お客さんの顔が見える、心が読めるんだ。これを言うと、みんながホラだと言うんだが、本当なんだ。
 これは、絶対に面白いものになる。観客が、わくわくしてドキドキして笑って泣いて、スクリーンに夢中になる、そういう90分になる。
 きっと、カントクも驚くようなシナリオになる。そして映画は。
 また話題を作ってしまうだろうな、原作者自らのシナリオで人気のドラマが映画でパワーアップ、とか持ち上げられてさ。いやー困ったな。俺、まだ高校生なんだけど。こんなに才能あっていいのかねえ?

 1年後。
 ちょっと計算違いをしていた。映画撮ってる間に俺、大学生になってるよな。そりゃそうだ。留年とか浪人してなければ、当然そうなる。
 他は、ほぼ計算通りになった。芽宮と話してから半月もかからずに書き上がったシナリオにカントクは驚いていたし、芽宮の演技は乗りに乗っていたし、完璧な映画が仕上がって、そして大ヒットした。1本目の記録を塗り替えていまだに更新中。
 俺は劇場の2階席に立っていた。
 カントクと1本目の映画を観て、橘華としての芽宮と出会った1年前と同じ、あの大スクリーン、眼下も同じ、今は誰もいない千席のシートが並んでいる。さっきまで、そこを満員の観客が埋めていたのも同じ。そして手には、あのときと同じブランデーグラスのカルヴァドス。
 誰もいない無音の空間、だが、そこは無限の満足感で満ちていた。俺だけが味わう事が出来る極上の快楽。ちびりと舐めるカルヴァドスもまた極上だ。
 満足感に浸っているだけじゃないぞ。俺という男は、こんなときでも頭の半分で小説のことを考えている。
 俺は今、幸福な気分だ。この気分はどこから来ている? それを解析しろ、解析して、文章にしろ、表現にしろ、そして、小説に応用するんだ。
 ここにいたお客さんも幸福な気分だったはずだ。映画のどのシーンが、どの台詞がキモだったんだ? 解析しろ、その映像は文章に翻訳可能か? 不可能なら翻案しろ、小説に。
 そうやって、俺だけの物語を、小説を作るんだ。俺はそれが得意なんだから。
 後ろで、扉が開き、また閉まるのがわかった。ロビーを満たすパーティの喧噪が流れ込んできて、また静かになったから。
「センパイ、いないと思ったら。こんなところでなにをやっているんですか?」
 芽宮は、たった1年でずいぶん変わった。橘華役をやっていることを公表して、今は素顔でテレビのバラエティ番組なんかにも出演している。パパラッチまがいのマスコミから逃げながら高校生をやるのも大変らしい。役者としての貫禄と言うか、アイドルの輝きみたいなものをまとっているように見える。
「パーティの主役が抜け出しちゃ、ダメじゃないですか」
 俺も、『女護ヶ島』の作者だということを公表したから、カントクが映画関係者のパーティに呼んでくれんだ。1年前と同じように、上映終了後の劇場を借り切って。
「主役は俺じゃないよ。映画と同じ、君だ、芽宮」
「また、そんなこと言って」
「だってそうだろ」
 俺は芽宮と向かい合って、ブランデーグラスを掲げてみせる。琥珀色の向こうで笑う芽宮。
「大ヒット映画の主役に乾杯だ」
「センパイ、酔ってます?」
 困ったような笑顔の芽宮。1年前の芽宮と、その芽宮がかぶる。
 いつも小説のことを考え続けている頭の半分、その中で、かちり、となにかが噛み合う。
「来た」
「え?」
 だれか来たのか、と後ろを振り返る芽宮。
「違う。イメージが来た。小説の。いいのが書けそうだ。やっぱり、芽宮が主役だ」
「橘華が、ですか?」
「いや、芽宮だ。君本人が主役の小説を思いついた」
「ええっ!?」
 溢れる、溢れる、イメージが溢れてくる。素晴らしい。
「芽宮はさ、テレビドラマで役者デビューするんだ。ドラマは大ヒットして芽宮のやった役も人気になるんだけど、芽宮本人は役者としての自分にイマイチ自信が持てないでいる。見かねたカントクが、ドラマの原作を書いた小説家と芽宮の顔合わせをセッティングするんだ。
 小説家は、橘華に惚れ込んでいた。芽宮の演じる橘華にだ。だから芽宮に、自分が小説で橘華に込めた想いを語る。芽宮が演じた橘華の魅力を語る。橘華というキャラクターがどうやって生まれたのか、そして、芽宮がその演技によって生まれ変わらせた新しい橘華にどれだけ自分が魅入られているか。そして芽宮は自信を持って橘華を演じられるようになる」
「ちょ、ちょっと待ってください、小説の話ですよね? 本当の話とかじゃなくて」
「それはどっちでもいいんだ、面白ければ」
 面白ければなんでもアリなんだよ、小説は。映画だって同じだぞ、知らなかったかい、芽宮?
「そう、自信を得た芽宮は、橘華の新しいイメージを小説家に提示する。映画のシナリオを書いていた小説家には、そのイメージがとても素晴らしいものに感じられて、橘華が主役のシナリオを仕上げるんだ。完成した映画が大ヒットして、満員の劇場から出て来る芽宮の幸せそうな笑顔でエンディング」
「まあ、きれいにまとまってるとは思いますけど」
「あ、すまん、終わりじゃないわ。シナリオ書き上げてからもいろいろあっただろ? カントクがまだ飛び込みでムチャな注文してきたり、葵役の人に悩み相談されたり」
「ああ……センパイは小説のお仕事とかで忙しいのに申し訳なくて、って、あれもネタにして使うんですか? 全部?」
「全部じゃないかもだけど、使えるものは使わないともったいないだろ」
 そうだ、もったいない。この小説にぴったりの要素をまたひとつ、思いついてしまった。困るなあ俺の発想は天才過ぎて困る。
「この小説は、創作論にも出来る。いや、出来るなんてもんじゃない、すごい創作論になるぞ。小説や映画がどうやって作られるか、小説家や役者の目から語る事が出来る。前に言ったよな? 小説には歴史や洗練が足りないから、指南書的なものがまだないって」
「はい、覚えてますけど」
「俺には、書ける。大ヒットした小説がどういう発想から生まれて、どう磨かれて本になったのか、それを、他でもない俺が書くんだ。これはかなり強いアピールになるぞ」
「そんな教科書みたいな要素がアピールになるんですか? 例えば演劇論的な本が売れているとは聞かないんですけど」
「教科書と思うからいけない。ハウトゥものっていうのは、エンタメになるんだ。よくできた実用書、ビジネス書とかちょっとした智恵袋みたいな本は下手な小説より売れているし、マンガでもグルメものなら料理、アクションものなら格闘の細かいディテールそのものが魅力だったりするだろ? スポーツものに関しては言うまでもないよな? 最新のテクニックの紹介をしたりするし、ウソがあれば突っ込まれる。業界内幕ものなんかにもそういう要素がある。『推しの子』なんかは時事ネタを取り入れるタイミングが絶妙だったよな。
 自分とは縁が薄い世界のことであっても、詳しいことが知りたい、かじってみたい、ちょっとなら自分でもやってみたい、そういう欲求を刺激されれば嬉しいんだ、気持ちいいんだ」
「な、なるほど。それはわかります」
「そうだ、そうなんだ、小説だけじゃないぞ、ネットのおかげで、昔とは比べ物にならないぐらい『表現』の場は広がっている。自分を表現したい、自分を見てもらいたいって欲求はみんなにあるんだ。でも、その方法がわからないから、できない、やったとしてもうまくいかない。だれにも見てもらえなかったりトラブルになったり炎上したり困ったことになる。それで悩んでいる」
 でも、もう大丈夫だ。俺がいる、芽宮に笑いかけながら、両手を広げてみせる。コルコバードのキリスト像のように。
「いいだろう! 俺が教えてやる! 表現というものを! 芽宮が主役のこの小説を読めばいい! 救われたければこれを読め!」
「あの、センパイ、ちょっと悪役っぽいです」
 俺はキリストにはなれなかったようだ。右手に持ったままのブランデーグラスのせいだけではあるまい。
 まあ仕方ない、相手は、2000年近くにわたって新規読者を獲得し続けている史上最強のベストセラー、新訳聖書の作者様、じゃないか、でもまあ原案者の一人ではあるわけで。そんな人に勝てるとは、さすがの俺でもそこまでは思い上がっていない。
 でも、俺にだって神様は味方してくれていると思うんだよな。でなきゃ、こんなにいいアイデアが次から次へと湧いてきたりはしないだろう。
「カントクが探してましたよ。パーティに戻りましょう」
 芽宮の後を追いかける。
「タイトル、思いついたぞ。今。けっこう有名な映画と、福地が好きだって言ってた、あれを合わせた。

『作家の異常な愛情——または俺がいかにして一千万部作家になりテレビドラマ化されてヒロイン役の子がアイドルになったか』

 どう? 面白そうだろ?」
「……長過ぎじゃないですか? 表紙が文字だけになりますよ?」
 うーん、タイトルセンスだけは、俺にはないんだよなやっぱり。
「それにそれだと、わたしじゃなくてセンパイが主役の小説になりませんか?」
 確かに。
 俺が主役で考え直してみるか、タイトルを変えるか。どっちがいいかな?
 芽宮が扉を押し開く、パーティーの喧噪が溢れてくる。
「どこ行ってたんだよ、センセイ!?」
 カントク、かなり酔ってるな。
 だから俺も酔っ払いに合わせる。
「ちょっと呼ばれてさ。小説の神様に。俺の頭の中にいるんだ、いつも」

【完】


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