作家の異常な愛情

Ⅲ 小説のメソッド、商業出版、カテエラの罠! ……出版社のお仕事は売れる本を作る事ではない!?
【後編】

「出版社ってややこしい世界なんだな」
『出版社だけじゃないぞ。会社とは、組織とはそういうものだ。仲良しサークルではない、目的のために動機を同じくして結成されたチームにもなれない、それぞれに事情と思惑がある人間が集まって給料をもらうために与えられた仕事をするだけの、組織というのもおこがましいような寄り合い集団だ。合わない歯車を無理矢理合わせてぎくしゃく回っている機械、常に見張って、しょっちゅう油を差して、しょっちゅう歯車を入れ替えないと止まってしまう、壊れてしまう、そんな機械だ。世の中にある会社は全部それだよ。
 ここまで言えばそろそろ、お前にもわかったんじゃないか? 永斗。出版社の、出版社の社員の仕事とは何か』
 おっと、試験だ。人がいて、組織がある。頭の中でなんとなく形になってきたものを整理する。
「会社組織を円滑かつ効率的に回しつつ、利益を上げること」
「正解だ」
 なるほど。しかし。
「理解はしたけど、なんつーか、違和感? 物作りの現場ってさ、ドラマとか、ドキュメンタリーとかだと違うじゃん。もっとこう、熱意とか、やる気みたいなものがあるよな。給料をもらうために与えられた仕事をこなします、そんなんで創った小説で商売になるのか心配になるね。そんなんでいいの?」
「そう感じるのは、お前が本気だからだ。お前はまだプロじゃない、書くことでカネを稼ぐ立場じゃないが、それでも本気で書いて、他人に面白さを伝えようとしているだろう?」
「そりゃ、まあ、本気だね。少なくとも、学校で授業聞くよりは、本気だ」
『その、お前にとっての学校で聞く授業、が、出版社の編集にとっての仕事だ。仕事を本気でやってるやつなんてのはめったにいない』
 そうか。そりゃめったにいないだろう。部活に本気だったり、趣味に本気だったり、ナンパに本気だったり。俺の周りもそんなんばっかりだな。
『もちろん、仕事に本気のやつもいるだろう。出世するため、給料を上げるために本気で仕事をしている。しかしその本気は、『会社組織を円滑かつ効率的に回しつつ、利益を上げる』ための本気だ。お前の、他人に面白さを伝えたい本気とは、ズレている。お前と同じ熱意や、やる気を期待するな』

 と、ここまで話したところで、また芽宮は苦しそうな顔になった。
「芽宮、どうした?」
「どうもしません、よ」
 それは無理がある。表情がわかりやすいし。
「いや、またなんか、ひっかかることでもあったのか?」
「ひっかかると言うか。わたしの仕事は役者で、役者の仕事は、与えられた役割を演じることです。役割からはみ出してその人なりの個性とか独創性を評価される人ももちろんいますけど、基本のハードルだけでも高いんです。わたしなんかはそれだけで精一杯になっちゃってますから。だから、出版社の社員の人の本気もわかるんです。でも、センパイの感じている物足りなさみたいなものもわかるし、迷ってしまって」
  「少なくとも俺は、芽宮の演技を物足りないと感じたことはない。それどころかだな、『戦国ワルキューレ』を観てから『女護ヶ島』を読んだ人が、なんて言ってるか知ってるか? Amazonのレビューに一杯あるぞ。『ドラマと比べて物足りなくてがっかりしました』『橘華きっかの魅力が表現できていません。20点。やり直し』とか」
 編集長がぶはっ、と笑った。
「それ、原作じゃなくてノヴェライズだと思われてるよなー絶対」
「実際、編集部はノヴェライズ版も書いてくださいとか言ってきてるからシャレにならん。小説であのアクションとか、無理だっての」
 芽宮も、また笑ってくれている。良し。
「本を作るのに出版社なりに本気なんだというのはわかりました。でも、カテゴリー、ですか、『女護ヶ島』を恋愛ものに書き換えて欲しい、なんて注文をする必要がある程、重要なものなんですか? そうまでしてカテエラを避けようとする理由がわかりません」
「それなー」
 俺はうなずいた。
「カテゴリーって何だ? これが実は、難しい問題なんだ。説明するのが難しいんじゃなくて、取扱注意、みたいな感じ。Gさんは、魔物、とか言ってた。忌々しい、敵? 概念? みたいなもんなんだってさ」
「ま、魔物ですか!?」

「魔物?」
『そうだ。ちょっと気分が良くなる、そのためだけに生命を削る危険なドラッグと言ってもいい。いや、ドラッグの方が実体があるだけまだマシとさえ言える。カテゴリーには、実体がない。語る人によって、時と場合で、形も内容もころころ変わる。そんな曖昧な、幻みたいなものに取り憑かれて、売れていたものが売れなくなる、面白かったものが詰まらなくなる、そんな例を、たくさん見てきた。やはり魔物じゃないか、やはり危険だ、カテゴリーは』
「ホラー小説みたいだな」
 怖くなってきたが、ぞくぞくしてきたから先が聞きたくなる。
『そもそもそだな、カテゴリーはすべて後付けだ。アシモフはドイルはポーは紫式部は、SFやミステリーやホラーやロマンス小説を書こうと思って書いたのか? 違うに決まっているだろう。ただ、人に面白いと言ってもらえる小説を書いただけだ。面白い小説があるだけ。カテゴリーなんてものは後からつけられたものだ』
「何のために?」
『営業の都合、売るため、売りやすくするため、というのが大きいだろうな。本屋に複数の小説が並んだ時、タイトル以外にも初見のお客さんに訴えかけるための武器が欲しくなる。これは謎解きを楽しむミステリー小説というもので、これはSF、最新の科学知識を駆使したリアルフィクションなんです、怖い話が好きに人にはお勧め! とかな。
 出版される小説の数が増えてくると、お客さんの選択を助けるために、カテゴリー毎に書店の売り場が分けられるようになる、出版社の方もカテゴリーに応じた販売戦略を練るようになる。面白い小説ですよ、買って下さいではお客さんが迷うから、SFが読みたい人はこちらの売り場に来て下さい、ハヤカワ文庫はいいSFが揃ってますよ、ホラーなら角川ホラー文庫ですかね、あ、ロマンチックな恋愛ものが欲しいと仰る! それならこちらにハーレクインロマンスのコーナーが。お客さんは読みたかった本が読めて大喜び、本屋さんは本が売れて大喜び、カテゴリーのおかげでみんなハッピーだ。
 SFでヒット作があった時期にはSFのコーナーに置いて、ミステリーが売れそうな時期にはミステリーのコーナーに置く小説なんてのも当たり前にあったぞ。販売の都合で作られた便利だけど曖昧な分類、カテゴリーとはそういうものだったんだよ』
「今のところ、魔物っぽくはないな」
『ここからだぞ、永斗。カテゴリーの怖さは。
 仮に、『第3惑星追放』というSF小説があって大ヒットした、としよう。『第3惑星追放』が面白くて売れた、販売の都合でSFというカテゴリーに入れられた。面白いから売れた。正しい順番はこうだ。だが、この順番が入れ替わってしまう、入れ替えて認識してしまう人間が出て来る。『第3惑星追放』は完璧なSFだ、だから売れた』
「? SFが後付けじゃなくなってる。どうしてそういう認識をしちまうんだろう?」
『理由はわからない。だが、ブランド信仰みたいなものではないかな。グッチとかエルメスとか、最初は質が高かったり使いやすかったりセンスが良かったりしたから評価されて、有名になったわけだろう? 肝心なのは質なのに、それが、ブランド名だけでありがたがられるようになる』
「あー、そういうお客さんもいるな」
『受け手の認識ならいい。だが、送り手が、出版社が、場合によっては作者が、このカテゴリー信仰というドラッグに犯されてしまう。面白い小説ではなく、SFを書こうとしてしまう、SFなら売れると思ってしまう。グッチが、質をおろそかにしてブランドマークをつけるだけでも売れる、と思い上がってしまったら、どうなると思う?』
「最悪だな。作り手にとっても、受け手にとっても」
『こんなものはまだ最悪じゃないぞ。SFとはなにか、という論争が始まる。この小説は、ここがSFとして優れていたから売れたんだ、これは売れなかったけれど、この点においてSFじゃなかったのが理由だ。受け手も、作り手も、面白い詰まらないよりも、SFかSFじゃないかの方を気にし始める。
 そして、その判断の基準になるのは過去、SFとされた、売る側の都合でSFのカテゴリーに入れられただけの小説だ、相手にしているのは、自分と同じようにSFブランドをあがめる信者達だけだ。視線がどんどん、内向きになる。限られた人を相手にしている方が表現が楽だからな。西部劇を小説でやろうとした永斗なら理解できるだろう?』
「西部劇を知っている人を相手にすればいいんなら、ああ、そりゃ楽だな。でも、楽すぎる」
『そうだ。SFを知っている人間相手にだけSFを書くようになる。今いる読者だけを相手に書いている、当然、新しい読者はつかない。こういうのを縮小再生産と言う。作れば作るほど、可能性を食いつぶしていく最悪のループだ。
 昔な。もう30年以上昔になるか。新しい文庫レーベルを創刊した。コンセプトは、『中高生が自分の小遣いで買う初めての文庫小説』。既に、少女向けにはコバルト文庫、少年向けにはソノラマ文庫というレーベルがあったが、まだ新規参入の余地はあると判断したんだな』
 こういう話になると、Gさんははっきりとした事は言わなくなる。なんという文庫レーベルだったのか、Gさんは参加していたのか、どういう立場だったのか、聞いてもたぶん、言葉を濁して教えてくれない。だから俺は黙って聞くだけ。
『小説を初めて買う中高生のための入口として、ビジュアルを強化した。文庫に入れるイラストは多めに、同時に月刊誌も立ち上げて、そこでカラーイラストを使った特集ページを組んで小説の解説をしたりもした。
 逆に言うと、レーベルとしての縛りはそれだけだ。あとは、面白ければなんでもありのごった煮状態、男子向けでも女子向けでもアニメみたいなSFメカものでもゲームみたいなファンタジーものでも構わない。まあ、新しいレーベルで、編集者も小説家もほとんど新人に近いようなメンバーばかりだったから、既存の実績には頼りようがなかったから、という内輪の事情もあるがな。
 これが、売れた。大人気になった。年1回の新人賞にも応募作がたくさん集まった。インターネットも『小説家になろう』もない時代だからな、今はWEBに溢れている、今までにない面白いものが書けた! たくさんの人に読んで欲しい! という熱意を独り占めしていたんだ。新しいこのレーベルならきっとわかってくれる、という熱意をな。贅沢な話だ。
 だがそこに魔物が現れる。ライトノベルというカテゴリーがな』
「ああ、やっぱり後付けなんだな、ライトノベルも」
『インターネットが普及する以前のパソコン通信の掲示板で広まった、という話だが、そんな事はどうでもいい。編集者は、SFやミステリーの前例を知っていたから、カテゴリー化されて作り手がそれを意識しすぎるようになると詰まらなくなる、と知っていた。と言って、ウチの文庫はなんでもありがウリなんでやめてください、ライトノベルなんか知りません、営業妨害ですと主張もできない。ライトノベル云々を主張する人は、読んだ小説が面白いと思って、その面白さの理由付けとして、ライトノベルは今までにない新しいカテゴリーなんだ、これは素晴らしいものなんだ、と主張しているだけなのだから、それを否定することはできない。
 できるのは、自社媒体ではライトノベルという言葉を使わずに、作家に対しては注意を呼びかける、それくらいだった。
 それから数年で、すぐにインターネットが当たり前になって、受け手の声が作り手に届きやすくなった。
 受け手の声に、作り手が影響を受けてしまう。ライトノベルが期待されている。ライトノベルを書けばいいんだ、では、ライトノベルとは何だ? 誰にもわからない。後付けだからな。迷走が始まる。さあ、ライトノベルという魔物の呪いが発動するぞ。
 ちょうど、現代を舞台にした学園ものでヒット作が何本か出て来ていたタイミングだったのも悪かったな。学園ものが最新のライトノベルだ、となった。なんでもありだったラインナップが、あっという間に学園もの一色になる。マルチストーリーが前提の複数ヒロインのゲームの楽しさを、絶妙なバランス感覚で小説という一本筋のメディアで再現した小説が大人気になったんだが、個性豊かなヒロインがたくさん出て来るのがライトノベルだ、と思い込んで真似をする。絶妙なバランス感覚なしにキャラだけ増やしても意味はない。一人に絞ってじっくり魅力的に書き込まれたヒロインと、顔と名前だけ出して数エピソードで語られるヒロインと、どちらが読者を魅了するか、少し考えればわかる話なんだがな』
「まあ、大ヒット作に書き手が影響されるのは、仕方ない気もするけど。編集者が止めるべきなんじゃ? 似たようなものだけ作っても売れないのはわかるだろうし、なによりカテゴリー化される危険さは知っていたんだから」
『その頃にはな、レーベルを始めた時のメンバーはほとんど残っていなかった。会社だからな、異動したり出世したりで、現場にいるのは若手ばかりになっていた。
 さっきの、出版社の社員の仕事を覚えているか? 任務が与えられて、仕事になる。文庫レーベルを作った時の任務は、『中高生が自分の小遣いで買う初めての小説文庫を作れ』だった。今までにない新しいもの、読んだことのない面白いものを作ろうという熱意があった。だが、立ち上げが成功して、売り上げを上げて、編集部も大きくなってから、そこに配属される新人編集にはそういう熱意はない。
 ライトノベルと呼ばれるようになってしまった文庫レーベルの新人編集者は、面白いもの、新しいものではなくて、ライトノベルを作るのに一所懸命になってしまうんだよ。それが仕事だから。それが与えられた任務だから。
 かつてなんでもありだった、それで支持されていた文庫レーベルからは、新しいものが生まれなくなってしまった。過去の人気作や今のヒット作の模倣ばかり、どこかで読んだような小説ばかりになってしまう。新規の読者は入ってこないし、既存の読者も離れていってしまう。
 そして、決定的な変化が起こる。
 ライトノベルが、いや、それだけに限らないな。最近の小説は、マンガは、古い、焼き直しみたいなものばかりで詰まらない、もっと新しいなにかが欲しい、そうした読者の欲求が、普及したネットの海に放流されて、UGCとして形になる』
「UGC?」
『UserGeneratedContent、消費者、アマチュアだった人が発信者、作り手になって生み出したもの、それは全部UGCだ。別に新しいことじゃない、プロだって最初はみんなアマチュアだ、新人賞はUGCを集めて商業化できるものを発掘するためのものだしな。しかし、これもまたネットの普及で、UGCの発表の場がとんでもなく広がった。新人賞などに頼らなくても、自由に発信できるようになった、そしてたくさんの人がそれを見て、読んで、評価してくれる。
 ベタベタのラブストーリーを復活させたケータイ小説とか、掲示板のやりとりをそのまま本にした『電車男』あたりが始まりだったな。人気作品の二次創作にも面白いものがたくさんあった。そして、『小説家になろう』の時代が来る。出版社が主催したライトノベルの新人賞の受賞作より、なろうから拾ってきた小説の方が売れてしまう、というのは、編集者の敗北なんだがな。自らが招いたことだ。仕方がない。編集者が忘れてしまった、自由さがUGCにはあった。それだけの事だ』
「俺にいろいろ注文してきたり、自由だとは」
 言いかけたところでやっと、俺は気がついた。
「そうか、自由だったけど自由じゃなくなったんだ、ライトノベルと同じように。なろう小説を商業出版する編集者も、なろう発の小説、というカテゴリーに囚われてるってわけだ。売れ線とか流行とか、そういう意味だもんな」
『悲しい事にな。カテゴリーなんぞにこだわってなんでもありの自由さを忘れてヒットタイトルの後追い、模倣を始める。ライトノベルがやった事を、今度はなろう小説が繰り返している。しかも自由さを失うまでのサイクルが短くなっている気がするぞ』

 福地が挙手した。
「訊いていいスか? どうも、Gさんは、ライト文芸? なろう小説の商業出版? なんでもいいけど、一時期は調子良かったけど、今は売れなくなっている、と言ってるように聞こえるンすけど。ぶっちゃけ、布留田センパイ、『女護ヶ島』が本になったとして、何部作っていくら貰えるのか、条件みたいなものの提案はあったンすか?」
「おっと、ぶっちゃけるねえ」
 俺は苦笑いするしかない。
「やっぱり、興味ある?」
「そりゃあね。なろうに書いてる人って商業出版が目標って多いじゃないスか。活動報告見ると、本になった! って喜んでるし、まだの人はじりじり焦って必死だし。目標達成でいくら貰えるモンなのかは、気になるッスよ」
 俺は『無職転生』を掲げてみせる。
「これと同じ、四六版ソフトカバーで、そうだな、1500円で売るとして、印税は8%スタート、初版3000部だとしたら、俺に入ってくるのは36万円だな」
「えっ!?」
「さんっ!?」
 福地も、芽宮も驚く。
「3000部が売り切れて増刷がかかれば、もちろん追加で印税が入ってくる。最近は、電子版の売り上げも小さくはないけど、それも売れれば、の話な」
「まだ高校生のわたし達にとっては、小さい金額ではないですけど」
「なんつーか。ユメがないっスね」
「ユメがない、か。福地はそう感じるんだな。なるほど」
 その感じ方も理解はできる。でも俺は、それ以上に。
「俺はさ、出版社の話を聞けば聞く程、なんか腹が立ってきちゃってさ。
 俺は別に、商業出版がしたくてなろうに投稿したわけじゃない。『格好良く戦う女の子』が、自惚れちゃうくらい格好良く書けたんで、たくさんの人に読んでもらいたいから投稿したんだ。そしたらやっぱり自惚れちゃうくらいたくさんの人が読んでくれた、格好良い、面白いと言ってくれた。俺は、それで十分、満足してたんだよ。
 満足してた俺に、出版社はいろいろと注文をつけてくる。まあ向こうはプロでこっちはアマチュアなんだから、聞くさ。でも聞いてれば妙な話ばかり。このままじゃカテエラだ、なろうっぽくないから、売れ線じゃないから直せ、もっとたくさんの人に読んでもらいましょう、と言いながら、初版3000部? なろうのブックマーク登録、とっくに万の単位になってるんだけど!?」
「センパイ、『無職転生』ポンポン叩くのやめてもらっていいッスか?  それ、オレの本なんで」
「あ、ごめんな」
 おっと少し感情的になってしまった。『無職転生』に罪はないよな。福地に返す。
「でも。わかります。わたしも、なろうで『女護ヶ島』を読んでいたとしたら、本になって変わってたら悲しくなると思います。センパイは書いた本人なんですから、作品を一番愛してるんですから、腹が立って当然です」
 そこまで言われると照れるな。
「愛なんて上等なもんじゃないさ。ナメんじゃねえぞ、って思っただけだ。それなりにいいものが作れた、と思ったのに、安値で買い叩かれそうになったような気分。
 だから、もっと高い値段で売ってやろうと思った。見返してやろう、とか思っちゃったんだよな。
 こういうパターン、小説とか映画でもよくあるじゃん? なろうだとざまあものって言うのかな。よくある展開だと、主人公は次にどうする?」
「……交渉相手を変える、とかッスかね?」
「そう。だからまず市場調査だ。一番役に立ったのは、やっぱり本屋だな。大きめで品揃えが豊富な所。
 カテゴリーが魔物になるのは、作り手の視野が狭くなるからだ。本屋の1コーナー、ライトノベルとかライト文芸とか、ひとつの棚しか見ていないから、限られた売れ線、限られた流行しか追えなくなる、同じようなものしか出せなくなる。だから、カテエラがどうこう言ってる出版社を見返すのは簡単だ、と考えた。視野を広げればいい。たくさんのコーナーがあって、たくさんの棚があって、違う売れ線、違う流行があるんだ。『女護ヶ島』がうまくはまるコーナーだつてあるに違いない。
 そうしたらさ、あったんだよ、狙い目が。……編集長、双葉文庫、ある? 祥伝社でもいいけど」
 編集長が出してきたのは佐伯泰英。おおう、大御所が来たな。それと、『女護ヶ島』を並べて、芽宮に見せる。
「あ、そう、こんな感じで本屋さんに並んでました、表紙を見せて積まれていて」
「カテゴリーで言うと、時代小説。どの書店でも、大きめのコーナーを作って並べられているよな。
 もともと人気があったカテゴリーだけど、俺達が生まれるちょっと前くらいから第何次だかのブームが始まって、今でもそれが続いている。俺は、親父が持ってたもっと古いのしか知らなかったんだけど、新しいのを読んでみたら、驚いた。ちゃんと新しいんだ」
「いや、それは新しいんですから当然では?」
「そうなんだけど、それだけじゃなくて、内容がさ。江戸時代が舞台なのに、今に通じるテーマを扱っていたり、キャラクター、特に主人公の造形がしっかり今風になっていたり、わかりやすくて面白い。貧乏長屋に住んでるんだけと実は腕の立つ剣豪だとか、通人も唸らせる安くて旨い料理を出す一膳飯屋の母娘とか、剣劇だけじゃなくて伝奇要素が入ったり人情ものもあったり、コミカライズしても違和感ないものばかりなんだ。実際されているのもあるし。舞台をファンタジーとか現代に置き換えれば、なろうでも人気が出そうな感じ。剣豪ものなんて、俺ツエーそのものだしな
 こういう時代小説が好きな人なら、きっと『女護ヶ島』も面白いと思ってくれる、と思ったね。見たところ、『格好良く戦う女の子』を主軸にしたのはなかったし。トップ、は無理かも知れないけれど、二番手、三番手くらいにはなれるんじゃないかと計算した」
「うわあ、自惚れてるッスね……」
「こいつの自惚れはそんなもんじゃないぞー」
 編集長は、リアルタイムで見ていたから知っているよな。
「時代小説は若手の新人が書くモンじゃないんだ。知識と筆力が必要だからさ。実力はあるベテランが新境地としてチャレンジして成功するってパターンがほとんどなんだよね。一応、新人賞もあるけど、こいつは、選考なんて待ってられない、とか言って、高一でいきなり出版社に持ち込んだんだ」
「いきなりじゃないぞ。まず、Gさんに訊いた。時代小説の編集部に知り合いはいないか? ってな。何人か紹介はしてもらえたから、それだけでも十分アドバンテージだ。
 それと、時代小説向けに、直すところは直した」
「え?」
 『女護ヶ島』をぱらぱらとめくる芽宮。
「なろう版と、文庫版は違うんですか?」
「なろう版も直したし、直す前と一行一行比べないとわからないだろうな。表現を、直したんだ。
 俺は『女護ヶ島』を、なるべく多くの人にわかるように表現を工夫して書いた。想定していたのは上は30歳くらいまで、小説を読み慣れていない人でも楽しめるように、なるべくわかりやすい表現を使った。
 でも、売れている時代小説を読んでみて、表現の修正が必要だと判断した。時代小説の読者は、年齢がそれより上だし、小説を読み慣れている。時代小説の、時代小説らしい表現に愛着をもっていたりもする。そういう人には、なろう版の『女護ヶ島』の表現は物足りなく、下手すると逆にわかりにくくなるんだ」
「わかりやすく書いているのに、わかりにくくなるんですか?」
「例えば、世間知らずで高慢なお嬢様が登場、というシーンがあったとしよう。髪型は金髪縦ロール、勝ち気そうなツリ目で、おーほっほっほっ!! と高笑い、なんて表現をする人もいるよな?」
「なろうとかライトノベルだと定番ッスね」
「あれ、マンガが先だと思うんだ。あるいはアニメとか。少なくとも、ビジュアルが頭の中にあって、それを文章表現にしている。読む方も、頭の中でビジュアルを想像して、それで伝わる表現だ」
「言われてみれば、そうかもですね」
「Gさんが言ってたんだけど、ライトノベルなんて言われる以前から、中高生向け小説は、マンガを文章にしただけ、幼稚だ、とかバカにされることがあったんだってさ。でもある意味その通り、と言うかわざとそうしている。意図と目的があるんで幼稚なわけじゃない。1980年代頃に、マンガは読むけど小説は、という人向けに工夫した結果、新しく生まれた表現なんだってさ。それが今は当たり前に使われるようになっている。
 ライトノベルなんてものがあるとしたら、その表現で定義するのが一番簡単なのに、それに触れるヒョーロンカがいないのが、実は何も考えずにライトノベルとか言ってる証拠だ、ってのがGさんの持論だったりする。
 さっき、芽宮が、Gさんに自分の事を言われているようで辛いって時があっただろ? あれも、マンガなら例えば、髪が真っ白になって放心した芽宮になったり、ぐはっ、とか言って血を吐いたりするビジュアルになるかも知れない、小説でもそれに近い表現をする人もいる。
 でも、あまりマンガを読まなかったり、文章表現そのものを味わう、頭の中で文章表現をビジュアルにしたりするのは逆に手間に感じる人もいる。そういう人にとっては、マンガ的表現が幼稚に見えたり、理解できないものになってしまうんだ」
「な、なるほど。でも、表現を直すって、それはけっこう大変な事なのでは?」
「もともと、それほど極端なマンガ表現は使ってなかったけど、一冊分まるまるあるからな。休日一日がかりだったかな」
「いや、だから。はあ、いいですけど。
 センパイは、なんと言うか……『女護ヶ島』が本になって、大ヒットして、そういう結果を知っているわたしが聞いていてもはらはらするんですけれど、当時、横で見ていた編集長さんのお気持ち、お察しします」
「あ、わかってくれる? ありがとねー。無理なはずなのにさくっと簡単に結果出しちゃうんだから、呆れるよね」
「いや、簡単じゃなかったぞ。5社回って、ちゃんと読んで評価してくれたの角川書店だけだし」
 会って話をしてくれただけでも御の字であるんだけどな。でも俺は自惚れ屋だがら、もうひとつ自慢をしてしまおう。
「まあ、通るとしたら角川だろうな、とは思ってたけど」
「それは、どうしてですか?」
「なろう発の小説の出版で実績を上げていた。逆に、時代小説ではぱっとしない。実績のないものを試してみようとするのは、そういうところだろうなー、ってだけ。
 角川が出してる他のなろう発と同じ四六版や、ライトノベルレーベルの方がいいんじゃないか、みたいな意見が営業部から上がってきたらしいけど、それじゃ意味がない、売れない、と編集部にわかってもらって、初版は8000部スタートだったかな? 俺が高一の1月。がんがん重版かかって、シリーズ化された。
 なにより、考えた通り、なろうに載っていた時とはまったく別の人達が読んで、楽しんでくれたのが嬉しかったな。なろうみたいなダイレクトな反応じゃないけど、手書きのファンレターとか、いいもんだぜ。すげえ達筆で、貴著、拝読しました、とか書いてあるの。雑誌やネット記事の書評も面白いよな、誉めるにしろ、批判するにしろ、こっちが思ってもいなかった切り口だったりさ」
 そりゃあ良かったなー、と言いながら、編集長はパン、と手を叩いた。
「そろそろ閉門時間だ。追い出される前に帰ろう」
「え、もうか?」
 スマホで時間を確認すると、ありゃ、もうこんな時間か。
「新聞部の都合で悪いけど、1週間後、同じ時間でいいか? 芽宮」
「はい、大丈夫です」
「ごめんな、『女護ヶ島』の話ばっかりになっちまって」
「いえ、センパイの作品愛は伝わってきましたから」
 そう言ってくれたから、芽宮も満足してくれた、とか俺は思っていたんだ。
 その時はな。

 カントクからスマホに着信があったのは、日曜日の夜だった。で、いきなり絡まれた。ドスの利いた声で。
『ウチの役者にナニしてくれちゃってんのよ、センセイ?』
 怖い怖い、怖いよカントク! ヤクザ映画かよ! ナニって何!?
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