第2章 硬派な出版社の中心で愛を叫んじゃった2代目が社長になって、高校球児が少女と少年の垣根を越えてニュータイプになる【中編】
そう、その通り。
「その不安がせつないって感情なんだ。見えない、わからない、そういう不安感。だから読者を不安にさせなくちゃいけないんだ。せつなくてせつなくて、不安で不安で、早く続きを知りたい、ページをめくる手が止まらない、それくらい不安になってもらうために、書かないことで不安を書くんだ」
「……いや、やっぱり、無理だよ。私なら、不安になったら読むのをやめてしまう、私が読者だったら、きっとそうするし、私が書いたものを読んだ人は、ただ不安になるだけで、そんな、続きが気になる、というふうな不安感を演出するなんて、無理。だって、見えない、わからないって、人の心が見えないって、それは辛くて、心が痛くて、できれば体験したくない、不安がせつなさだ、というのは理屈ではわかるけれど、私が、その、書かないようにしながら書いたとしても、とてもそう出来る自信がない、できあがりのカタチの想像がつかない」
おっと、副編集長は謙虚すぎるな。出来ないなんて、そんなはずはないんだ。簡単な事なんだから。
「副編集長は、料理できる?」
「ええ、いきなり何を? それは、得意とまでは言わないけれど、一通りのものは人並みには作れるけれど?」
「カレーは辛きゃいい、お汁粉は甘きゃいい、なんて作り方はしないよな?」
「あのね。美味しさは、味のバランスなの。塩梅がいい、悪いって慣用句があるでしょう? あれはもともと料理用語なんだってことくらい、知っているでしょう?」
そうなんスねー、とか感心している福地。新聞部なんだから知っとけお前は。
「塩梅、つまり、塩味と酸味のバランスって意味。塩を入れる事でお汁粉の甘味を引き立てる、とか、常識じゃないか」
「だよな? 料理しない、できない俺だって知ってる。辛いだけ、甘いだけじゃ美味くならない。別に難しい事じゃない、特別な才能も必要ない。違う味のものをちょろっと入れるだけ、だよな?」
「それは、そう、だね。練習とか味見は必要だけど。……不安になって読みたくなくなるような文章は不味い料理と一緒という事かい? いろいろな表現のバランスを取りながら、読む人の感情をコントロールしてページをめくらせ続けるのが美味しい料理?」
「そういう事。簡単だろ?」
副編集長は小さく頷いてキーボードを叩き始めた。さっそくやってみるようだ。
「お前は、単純と簡単をごっちゃにしてるぞー」
編集長が呆れたように言う。
「理屈は単純でも実践は簡単じゃないんだよ。練習と味見が必要なんだって」
いやでも、副編集長言ったじゃん、文章表現には自信があるって。俺もそれは認めている。出来ると思うんだけどなー。
「不快で読みたくないのにやめられない止まらない、って、なんかヤバいクスリみたいッスよね。そんなんほいほい出来るほうが怖いっつーか」
「怖いわけあるか。お前が好きなミステリー小説とか、同じ事やってるぞ。ミステリー小説で事件が起きる。そこでまず提示されるのは何だ?」
「謎、スよね。誰が、とか、どうやって、とか、何故、とか」
「謎って、快か不快かで言えば、不快じゃないか? わからないって、不安じゃないか? なのになんで読み続けようと思う?」
「そりゃあ、謎自体を魅力的に見せてるからっしょ。わからないイコール不快は単純すぎッスよ。わくわくする謎ってのもあるわけで。思わせぶりに気になる違和感を出してみせたり、探偵役に動機を与えたり、いろいろやって謎を解きたい、読みたいって読者に思わせて……」
「そういう事。塩が砂糖と合わせることでしょっぱいだけじゃなくなるのと同じ。不快も快になる。安心よりもさきに不安がなくちゃミステリーは始まりもしないんだよ。
ホラー要素なんていい例だよな。怖いってやっぱり不快じゃないか。小説にしたって映画にしたって、なんならお化け屋敷だって。なんでみんなわざわざ不快な思いをしたがるんだ?
快も不快も巧みに料理して、読む人に気持ちよく味わってもらうのがエンターテインメントだ、それを文章でやるのが小説だ。通じない想い、見えない何か、秘められた悪意、不気味な謎、なんでそんなものを読みたがる? 普通に考えれば不安になるだけじゃないか。そういう不安感をうまーく料理して、ページをめくらせる原動力にしていく。これがなー、楽しいんだよ、読んでても楽しいし、自分で書いても楽しい。
なにより、小説は、ひとりで全部できちゃうのがいいよな。なにもかもを思い通りに創り上げて、読者に味わってもらえる。料理だって、素材の質とかの都合もあるのに、小説はなにもかも自由だ、こんなに幸せな表現は他にはないよな。
だろ、副編集長? どう? できた?」
「センパイ、言い方! カップラーメン作ってるんじゃないですよ!?」
後ろにくっついて、リライトを見守っていた芽宮に、なぜか怒られましたよ?
「副編集長さんだって頑張ってるんですよ! もっと気を遣ってください!」
「言われた通り、()の台詞を削ってみたけれど」
くしゃり、と乱暴に髪を掻き上げる副編集長。
「良くない、ね。やっぱり、暗くなるだけ。塩梅って、バランスって、どうすればいいの?」
「そりゃあ、汁粉に塩味だけ残しても不味いだろ」
「もう! 例え話ばかりじゃわからなくて当たり前ですよ! もっと具体的なアドバイスをお願いします!」
うーん、そこは俺としても歯がゆく感じない事もないんだが。それじゃダメだと思うんだよ芽宮。
「具体的に塩は何グラム、砂糖を何グラムって言っちゃったら、それは『俺の料理』になっちゃうだろ? 塩梅ってのは、時と場合、相手に合わせてある程度の自由度を残した言葉なんだって、俺は思ってる。副編集長の小説には副編集長の塩梅があるから、『副編集長の小説』って言えるわけでさ。そこまで俺が口を出すのは、余計なお節介になるんじゃないかな」
目線で問いかけると、副編集長は頷いた。
「大丈夫。布留田君の言う事は理解できているよ。イメージを作って、書いてみせる。時間が欲しいけれど」
「さすがだよ。頼もしいな」
素晴らしい。読むのが楽しみだ。余計なお世話をしなくて本当に良かった。
「理解できたって言える自信がないっスねー、オレには。せつなさとか、やっぱ、女性向けっしょ?」
「いやそんな事はない、らしいぞ、Gさんが言ってたんだけどな、出版業界でもそういう。せつなさ、惚れた振られた傷ついたみたいなストーリーは女性向けって常識はあったけど、半世紀前に出たある本がきっかけで大きく変わったそうだ。その本の出版にはけっこうな有名人が絡んでるのも面白い」
「有名人って言われても半世紀前じゃ俺等にはわからないだろー。ちなみに、誰?」
「角川春樹」
「あー、カドカワの会長? なんだっけ、オリンピックスポンサーを金で買ったとかで逮捕されたんだっけ?」
「それは弟の歴彦な。春樹はお兄さんで、コカインを密輸したとかで逮捕された方な」
「兄弟で逮捕されてるのかよ」
まーオリンピックとかコカインの件も、Gさんからはいろいろと面白い話を聞いているんだが、今日のテーマはせつなさだ。俺はGさんとの電話での会話を思い出す。
「『タッチ』、ですか?」
芽宮やみんながスマホでぽちぽち検索を始めている。
「そう、『タッチ』。あだち充さんな。福地なら読んだ事あるんじゃないか?」
「まー古典ッスよね。少年サンデーに連載されてたのは……うわ、1981年から86年!? 40年前?」
「野球部の部室にボロボロの単行本が置いてあったぞー。応援の時にブラバンがやる曲、あれがアニメになった時の主題歌か? まだ使ってるんだな」
「わたしは実写でを観たくらいですかね。長澤まさみさんがヒロインで、DVDで。これは、2005年の映画ですね」
「双子の弟が、死んだ兄の遺志を継いでヒロインを甲子園に連れて行く野球漫画だよね。ストーリーは知っているけれど」
副編集長は首をかしげる。
「普通に面白そうだけれど。革命、というほどの内容とは思えないかな?」
俺も、そう思ったけどさ。
「40年前のコミックが今、読んでも普通に面白そう、30年たっても実写で映画化されるくらい支持されている、ってのは、すごい事なんじゃないか?
Gさんはこう言ってた。
「それは言い過ぎっしょ。あだち充以外にも、今読まれてるコミックはたくさんあるし」
「それは『少年漫画』なんだってさ。今のコミックとは大きく違う、今の視点では『普通じゃない』」
「うわ、ググッたら出て来たけど、1967年ってマジッスか!?」
「でも確かに、大目標と個人的な事情の優先順位、バランスの取り方って考えると、わかりやすいですよね。
『戦国ワルキューレ』だってそうじゃないですか。『水戸黄門』みたいに世直し旅のお題目があると、隠居したご老公の話だけど、姫の『外の世界を見てみたい!』ってわがままを強く描く事で若者の話になる、みたいな。もちろん、『水戸黄門』にもご老公様の暇つぶしっていう個人的な動機がありますし、姫も世直しっぽい事はするんですけど」
「これも」
考え込んでいた副編集長もぽつり。
「バランスなんだね。不安の描写のバランスをうまくやってせつなさを表現する。前に布留田君が言っていた。生と死のバランスを変えてダークにもできるしライトにもできる。そして、少年漫画と少女漫画では動機のバランスが違った」
「その通り。覚えていてくれて嬉しいよ。
あだち充は少女漫画から少年漫画に転向して『タッチ』を描いた、と言ったけれど、実はその前に、『ナイン』っていう野球漫画を、サンデーで描いている。こっちのほうが、動機って意味じゃわかりやすい。主人公を少女から少年にしただけで、ストーリーの基本は少女漫画なんだ。
高校に入学した主人公が、一人の少女に一目惚れ、弱小野球部のマネージャーをやっている彼女のために野球部に入るってストーリー。甲子園を目指すとか、勝利も独力も根性も熱血も何もない、当時の少年野球漫画としては異色な作品で、少年漫画を変えたのは正確には『タッチ』じゃなくて『ナイン』だったりする、らしい。いや、俺もGさんから聞いただけで読んでないんだけどさ」
「私は、『タッチ』は読んでいないし、70年代に少年漫画がどんなだったかも知らないけれど」
副編集長はちょっと困ったような表情になる。またなんか悩ませた?
「『ナイン』のほうが、動機としては普通で、ストーリーも当たり前の事をやっているように聞こえるね。それが異色と言われるって、当時の少年漫画のほうが歪んでいたというように聞こえてしまうな。言ってみれば、『ブルーワールド』で、神父である主人公が、ヒロインに対する想いを振り切って禁欲という戒律に従って神父であろうとする事がテーマになるようなものじゃない? そんなものにときめく人がいるとは思えないし、面白いものになるとも思えない」
「うーん、そこはなー。もうひとつ、前に俺が言った事を思い出して欲しい。少年漫画っていうのは、ひとつのカテゴリーで、それが当時は今よりもっと狭かった、と考えてくれ。たぶんそれが正解」
なるほど、と頷いているの副編集長。みんなも納得したようだ。
「恋愛とかをテーマにする事自体が、もうカテゴリーエラー、これは少年漫画じゃない、こんなのは少女漫画でやってくれって言われっちゃう時代だったんスね」
「特に出版社員は、編集者はそういう考え方になっちゃうんだろうなー。サンデーの漫画、週刊少年漫画っていう定義がまずあって、それを描かせて本にするのが仕事、と」
「なろう小説のカテゴリーで出すから『女護ヶ島』の姫を若にしてくれって言われるのと同じ、ですね」
「そういう事。そういうカテゴリーの枠を、当時の常識を、あだち充は打ち破ってみせたわけだ。そして少年漫画を変えた。
変えすぎた、とも言っていいかもな。少年漫画と少女漫画という枠組み自体がなくなっちゃったわけだから」
「いや、なくなってないっスよね? 今もジャンプマガジンサンデーは少年漫画だし、少女漫画は、花とゆめ? とか? マーガレットなんてのもあるし」
「今、少年マンガと呼ばれているカテゴリーは少年だけが読者じゃない。老若男女全ての読者が読む、普通のマンガがほとんどだろ? 作品によっては女性読者の方が多かったりする。昔の少年漫画はそうじゃなかった、んだってさ。男の子が読むから少年漫画で、女の子は少女漫画、そういう枠組みだったんだ。少女漫画だって、少なくとも週刊少女漫画雑誌はなくなっちゃったぞ。今はぜんぶ、月2回刊とか、月刊になっている。読者の少女が少年マンガを読むようになって読者が減ったからそうなった」
「なるほど、ある意味、あだち充が、それまでにあったカテゴリーを無意味にしたわけだなー」
「いきなり変わったわけじゃないし、先行したり後追いしたり真似したりする人がいたからこその結果らしいけどな。多勢に与えた影響はあだち充が大きかったのは確かだ、と、Gさんは言ってた」
……あ、そうだ、これも副編集長に言っとかなきゃいけないんだった。
「えーと副編集長、Gさんが言ってたんだけど、
だってさ」
「ええっ!?」
副編集長は、叩いていたキーボードから、ばっ、と手を上げる。ひょっとして電子化された『タッチ』を探していたか?
「な、何? どういう事なんだい、罠って? ちょっと怖いんだけれど」
「その不安がせつないって感情なんだ。見えない、わからない、そういう不安感。だから読者を不安にさせなくちゃいけないんだ。せつなくてせつなくて、不安で不安で、早く続きを知りたい、ページをめくる手が止まらない、それくらい不安になってもらうために、書かないことで不安を書くんだ」
「……いや、やっぱり、無理だよ。私なら、不安になったら読むのをやめてしまう、私が読者だったら、きっとそうするし、私が書いたものを読んだ人は、ただ不安になるだけで、そんな、続きが気になる、というふうな不安感を演出するなんて、無理。だって、見えない、わからないって、人の心が見えないって、それは辛くて、心が痛くて、できれば体験したくない、不安がせつなさだ、というのは理屈ではわかるけれど、私が、その、書かないようにしながら書いたとしても、とてもそう出来る自信がない、できあがりのカタチの想像がつかない」
おっと、副編集長は謙虚すぎるな。出来ないなんて、そんなはずはないんだ。簡単な事なんだから。
「副編集長は、料理できる?」
「ええ、いきなり何を? それは、得意とまでは言わないけれど、一通りのものは人並みには作れるけれど?」
「カレーは辛きゃいい、お汁粉は甘きゃいい、なんて作り方はしないよな?」
「あのね。美味しさは、味のバランスなの。塩梅がいい、悪いって慣用句があるでしょう? あれはもともと料理用語なんだってことくらい、知っているでしょう?」
そうなんスねー、とか感心している福地。新聞部なんだから知っとけお前は。
「塩梅、つまり、塩味と酸味のバランスって意味。塩を入れる事でお汁粉の甘味を引き立てる、とか、常識じゃないか」
「だよな? 料理しない、できない俺だって知ってる。辛いだけ、甘いだけじゃ美味くならない。別に難しい事じゃない、特別な才能も必要ない。違う味のものをちょろっと入れるだけ、だよな?」
「それは、そう、だね。練習とか味見は必要だけど。……不安になって読みたくなくなるような文章は不味い料理と一緒という事かい? いろいろな表現のバランスを取りながら、読む人の感情をコントロールしてページをめくらせ続けるのが美味しい料理?」
「そういう事。簡単だろ?」
副編集長は小さく頷いてキーボードを叩き始めた。さっそくやってみるようだ。
「お前は、単純と簡単をごっちゃにしてるぞー」
編集長が呆れたように言う。
「理屈は単純でも実践は簡単じゃないんだよ。練習と味見が必要なんだって」
いやでも、副編集長言ったじゃん、文章表現には自信があるって。俺もそれは認めている。出来ると思うんだけどなー。
「不快で読みたくないのにやめられない止まらない、って、なんかヤバいクスリみたいッスよね。そんなんほいほい出来るほうが怖いっつーか」
「怖いわけあるか。お前が好きなミステリー小説とか、同じ事やってるぞ。ミステリー小説で事件が起きる。そこでまず提示されるのは何だ?」
「謎、スよね。誰が、とか、どうやって、とか、何故、とか」
「謎って、快か不快かで言えば、不快じゃないか? わからないって、不安じゃないか? なのになんで読み続けようと思う?」
「そりゃあ、謎自体を魅力的に見せてるからっしょ。わからないイコール不快は単純すぎッスよ。わくわくする謎ってのもあるわけで。思わせぶりに気になる違和感を出してみせたり、探偵役に動機を与えたり、いろいろやって謎を解きたい、読みたいって読者に思わせて……」
「そういう事。塩が砂糖と合わせることでしょっぱいだけじゃなくなるのと同じ。不快も快になる。安心よりもさきに不安がなくちゃミステリーは始まりもしないんだよ。
ホラー要素なんていい例だよな。怖いってやっぱり不快じゃないか。小説にしたって映画にしたって、なんならお化け屋敷だって。なんでみんなわざわざ不快な思いをしたがるんだ?
快も不快も巧みに料理して、読む人に気持ちよく味わってもらうのがエンターテインメントだ、それを文章でやるのが小説だ。通じない想い、見えない何か、秘められた悪意、不気味な謎、なんでそんなものを読みたがる? 普通に考えれば不安になるだけじゃないか。そういう不安感をうまーく料理して、ページをめくらせる原動力にしていく。これがなー、楽しいんだよ、読んでても楽しいし、自分で書いても楽しい。
なにより、小説は、ひとりで全部できちゃうのがいいよな。なにもかもを思い通りに創り上げて、読者に味わってもらえる。料理だって、素材の質とかの都合もあるのに、小説はなにもかも自由だ、こんなに幸せな表現は他にはないよな。
だろ、副編集長? どう? できた?」
「センパイ、言い方! カップラーメン作ってるんじゃないですよ!?」
後ろにくっついて、リライトを見守っていた芽宮に、なぜか怒られましたよ?
「副編集長さんだって頑張ってるんですよ! もっと気を遣ってください!」
「言われた通り、()の台詞を削ってみたけれど」
くしゃり、と乱暴に髪を掻き上げる副編集長。
「良くない、ね。やっぱり、暗くなるだけ。塩梅って、バランスって、どうすればいいの?」
「そりゃあ、汁粉に塩味だけ残しても不味いだろ」
「もう! 例え話ばかりじゃわからなくて当たり前ですよ! もっと具体的なアドバイスをお願いします!」
うーん、そこは俺としても歯がゆく感じない事もないんだが。それじゃダメだと思うんだよ芽宮。
「具体的に塩は何グラム、砂糖を何グラムって言っちゃったら、それは『俺の料理』になっちゃうだろ? 塩梅ってのは、時と場合、相手に合わせてある程度の自由度を残した言葉なんだって、俺は思ってる。副編集長の小説には副編集長の塩梅があるから、『副編集長の小説』って言えるわけでさ。そこまで俺が口を出すのは、余計なお節介になるんじゃないかな」
目線で問いかけると、副編集長は頷いた。
「大丈夫。布留田君の言う事は理解できているよ。イメージを作って、書いてみせる。時間が欲しいけれど」
「さすがだよ。頼もしいな」
素晴らしい。読むのが楽しみだ。余計なお世話をしなくて本当に良かった。
「理解できたって言える自信がないっスねー、オレには。せつなさとか、やっぱ、女性向けっしょ?」
「いやそんな事はない、らしいぞ、Gさんが言ってたんだけどな、出版業界でもそういう。せつなさ、惚れた振られた傷ついたみたいなストーリーは女性向けって常識はあったけど、半世紀前に出たある本がきっかけで大きく変わったそうだ。その本の出版にはけっこうな有名人が絡んでるのも面白い」
「有名人って言われても半世紀前じゃ俺等にはわからないだろー。ちなみに、誰?」
「角川春樹」
「あー、カドカワの会長? なんだっけ、オリンピックスポンサーを金で買ったとかで逮捕されたんだっけ?」
「それは弟の歴彦な。春樹はお兄さんで、コカインを密輸したとかで逮捕された方な」
「兄弟で逮捕されてるのかよ」
まーオリンピックとかコカインの件も、Gさんからはいろいろと面白い話を聞いているんだが、今日のテーマはせつなさだ。俺はGさんとの電話での会話を思い出す。
『出版の仕事を始めた時には、1970年の『あの愛の詩』と、その原作小説の翻訳出版を推進した角川春樹の話は、ある意味伝説として語られていたな、すでに』
「えーと、『ある愛の詩』、ね。映画だよな? なんだっけ、白血病で恋人が死ぬ話。観た、と思うけど、似たような話がいっぱいあるから、ひょっとしたら混同してるかも。そうか、ある意味せつなさの原点、死別を悲しいだけじゃなくて甘くせつなく描くっていう定番パターンを最初にやった映画、って事になるのかな?」
「正確には直前に似たような『愛と死を見詰めて』って邦画があるが。『ある愛の歌』のほうが有名だな。映画は大入り満員、小説もベストセラー入りした。だが、ヒットしたというだけでは伝説にはならない。当時の春樹はまだ社長じゃない。社長は父親の源義。『ある愛の詩』の企画を進めようとした春樹に、周囲は猛反対する。
国文学者の源義が立ち上げた角川書店は、文芸を通じて、敗戦で荒廃した国に日本人の精神を取り戻す、とかなんとか謳ってしまうようなお堅い出版社だったんだ』
「ああ、角川文庫の巻末にあるよなーおカタいお題目。あれ書いたのがひょっとして初代社長? そのハルキ社長のお父さん?」
『そうだ。そういう、文系学者サマばかりの出版社に、学生時代は剣道やボクシングばかりやっていた体育会系バリバリの2代目が、ブンガク性のカケラもない、翻訳ものの、お涙頂戴恋愛小説の企画を持ってくる。反対されて当然だろう? そんなものが売れるはずがない、とも言われた。
だが春樹は、これは絶対に売れるんだ、ウチの会社はこのままじゃ潰れる、これを出せば世間だって変わるとまで言い切って、強引に押し切って本にして、これがホントに売れてしまう。恋愛ものに新しい定番パターンを作って模倣作品まで生み出してしまう。頭の足りない我が儘な2代目、という評価をひっくり返したわけだな。5年後、死んだ源義の後を継いで社長になった時、文句を言う社員は一人もいなかった』
「なるほど。だから伝説、ってわけね。文芸出版の素人、無能なボンボン、ってナメられていたのを、若者ならではのセンス、新しい感性を持っているって評価に変えたわけだ。しかも一気に」
『そういう事だ。実際、普通の人ではなかったよ』
「Gさんは会った事あるの?」
『社長のあの人しか知らんけどな。だいぶ丸くなっていたのかな? 今の角川にはいないだろうな、知っている人間は』
「だろうね。なんかのパーティーで今の社長さんに会ったけど、角川って名字じゃなかったし」
『50年前の話だからな』
50年、いろいろあったらしいからね。いや俺もGさんから聞いた話しか知らないけどさ。
『なんにしても、出版の常識を変えた人ではあったわけだ。革命児、なんと呼ばれていたな、当時は。
出版業界にラブストーリー革命を起こした人がもう一人、いる。彼が変えたのはまんが、コミックだ。彼が『タッチ』を描く以前と以降では、週刊コミック誌が大きく違う。1980年代の前半と後半、になるかな』
「えーと、『ある愛の詩』、ね。映画だよな? なんだっけ、白血病で恋人が死ぬ話。観た、と思うけど、似たような話がいっぱいあるから、ひょっとしたら混同してるかも。そうか、ある意味せつなさの原点、死別を悲しいだけじゃなくて甘くせつなく描くっていう定番パターンを最初にやった映画、って事になるのかな?」
「正確には直前に似たような『愛と死を見詰めて』って邦画があるが。『ある愛の歌』のほうが有名だな。映画は大入り満員、小説もベストセラー入りした。だが、ヒットしたというだけでは伝説にはならない。当時の春樹はまだ社長じゃない。社長は父親の源義。『ある愛の詩』の企画を進めようとした春樹に、周囲は猛反対する。
国文学者の源義が立ち上げた角川書店は、文芸を通じて、敗戦で荒廃した国に日本人の精神を取り戻す、とかなんとか謳ってしまうようなお堅い出版社だったんだ』
「ああ、角川文庫の巻末にあるよなーおカタいお題目。あれ書いたのがひょっとして初代社長? そのハルキ社長のお父さん?」
『そうだ。そういう、文系学者サマばかりの出版社に、学生時代は剣道やボクシングばかりやっていた体育会系バリバリの2代目が、ブンガク性のカケラもない、翻訳ものの、お涙頂戴恋愛小説の企画を持ってくる。反対されて当然だろう? そんなものが売れるはずがない、とも言われた。
だが春樹は、これは絶対に売れるんだ、ウチの会社はこのままじゃ潰れる、これを出せば世間だって変わるとまで言い切って、強引に押し切って本にして、これがホントに売れてしまう。恋愛ものに新しい定番パターンを作って模倣作品まで生み出してしまう。頭の足りない我が儘な2代目、という評価をひっくり返したわけだな。5年後、死んだ源義の後を継いで社長になった時、文句を言う社員は一人もいなかった』
「なるほど。だから伝説、ってわけね。文芸出版の素人、無能なボンボン、ってナメられていたのを、若者ならではのセンス、新しい感性を持っているって評価に変えたわけだ。しかも一気に」
『そういう事だ。実際、普通の人ではなかったよ』
「Gさんは会った事あるの?」
『社長のあの人しか知らんけどな。だいぶ丸くなっていたのかな? 今の角川にはいないだろうな、知っている人間は』
「だろうね。なんかのパーティーで今の社長さんに会ったけど、角川って名字じゃなかったし」
『50年前の話だからな』
50年、いろいろあったらしいからね。いや俺もGさんから聞いた話しか知らないけどさ。
『なんにしても、出版の常識を変えた人ではあったわけだ。革命児、なんと呼ばれていたな、当時は。
出版業界にラブストーリー革命を起こした人がもう一人、いる。彼が変えたのはまんが、コミックだ。彼が『タッチ』を描く以前と以降では、週刊コミック誌が大きく違う。1980年代の前半と後半、になるかな』
「『タッチ』、ですか?」
芽宮やみんながスマホでぽちぽち検索を始めている。
「そう、『タッチ』。あだち充さんな。福地なら読んだ事あるんじゃないか?」
「まー古典ッスよね。少年サンデーに連載されてたのは……うわ、1981年から86年!? 40年前?」
「野球部の部室にボロボロの単行本が置いてあったぞー。応援の時にブラバンがやる曲、あれがアニメになった時の主題歌か? まだ使ってるんだな」
「わたしは実写でを観たくらいですかね。長澤まさみさんがヒロインで、DVDで。これは、2005年の映画ですね」
「双子の弟が、死んだ兄の遺志を継いでヒロインを甲子園に連れて行く野球漫画だよね。ストーリーは知っているけれど」
副編集長は首をかしげる。
「普通に面白そうだけれど。革命、というほどの内容とは思えないかな?」
俺も、そう思ったけどさ。
「40年前のコミックが今、読んでも普通に面白そう、30年たっても実写で映画化されるくらい支持されている、ってのは、すごい事なんじゃないか?
Gさんはこう言ってた。
『今のコミックの普通は、あだち充が作った。あだち充が普通にしたんだ。そういう意味では、あだち充以前のコミックは普通ではなかったとさえ言える』
だってさ」「それは言い過ぎっしょ。あだち充以外にも、今読まれてるコミックはたくさんあるし」
「それは『少年漫画』なんだってさ。今のコミックとは大きく違う、今の視点では『普通じゃない』」
『70年代から80年代の三大コミック誌、ジャンプ、サンデー・マガジンは、『週刊少年漫画雑誌』と呼ばれた。対象読者は少年、ティーンズ男子だ。主人公は少年で、スポーツやケンカに明け暮れている。買った負けたがドラマの中心だ。主人公は勝つために特訓したり、特殊な技能を探したり磨いたり、ともに戦う仲間を集めたりする。同じ野球漫画でも、『巨人の星』と『タッチ』を比べればわかるだろう? ……ああ、『巨人の星』、わかるか?』
「親父の本で読んだかな? ちょっと待って、思い出す……ああなるほど、『タッチ』や、今のコミックと比べると、構造が単純、と言うか……要素が少ない? ドラマは勝負の勝ち負けだけで、心情的な機微は弱い、あっても勝負に直結した部分だけだ。異性関係、恋愛要素も薄味だ。そうか、だから今のコミックは長くなるのかな。『巨人の星』は19巻だし、『あしたのジョー』も20巻だ。面白いけど、今の読者にはちょっと食い足りない、みたいな感じになるのかな?」
『本筋以外の部分を削ってシンプルにまとめるのは間違ってはいないんだがな。『少年漫画』を食い足りないと感じる読者はいた。そういう、勝負の勝ち負け以外のドラマ性を楽しみたい読者が飛びついたのが、『少女漫画』だ』
「あー、恋愛的なドラマが新鮮に感じられちゃったのか」
『それだけじゃない、その頃の少女漫画は既に、SFやファンタジー的要素を持ち込んでいた。萩尾望都や弓月光が有名だな。少年漫画にないものを求めた大学生が、少女向けの漫画を読んでいる、男なのに、なんて週刊誌で取り上げられたのは、70年代末だったか?
そういう感性を持ち込む事で少年漫画雑誌を劇的に変えたのが、あだち充と高橋留美子、1980年代の週刊少年サンデーだ。『タッチ』と『うる星やつら』だな』
「ああ、リメイクアニメやってたアレ、そんなに昔のコミックだったんだ」
『連載開始は『うる星やつら』が1978年、『タッチ』が1981年か。そうだな、昔だ。『うる星やつら』も恋愛小説史的には大きな意味があるが、あだち充のほうがわかりやすいのでそっちに絞るぞ。
あだち充は、デビューした最初から、描きたい漫画があった。それまでの少年少年漫画誌とは違う漫画が描きたかった。だが描かせて貰えないから、一時期は少女漫画誌で描いたりしていた。そこで磨き上げたセンスを、少年漫画に持ち込んだのが『タッチ』だ。
『巨人の星』などの、従来の少年漫画は『タッチ』とどこが違うのか? 永斗、お前がさっき言ったな。
・ドラマは勝負の勝ち負けだけで、心情的な機微は弱い、あっても勝負に直結した部分だけだ。異性関係、恋愛要素も薄味だ
要するに、あだち充が描きたい主題が違う、優先順位が逆なんだ、『巨人の星』は、勝負の勝ち負けを盛り上げて描くために心情的な機微を使う、『タッチ』は心情的な機微を盛り上げて描くために勝負の勝ち負けを使う。描きたいものを描くための道具なんだ、『巨人の星』における心情の機微は道具で、勝負の勝ち負けを道具にしているのが『タッチ』だ。
これがまさに、少女漫画における恋愛物語の方法論、あるいは青春物語、恋愛物語の方法論だ。歌にもなってるぞ。
・ふたりのために世界はあるの
って、聞いた事はないか?』
「なんか、懐かしの歌謡ショーみたいな番組でやってた、かも? たーららら、ららーみたいなメロディがなんとなく浮かんだ」
「親父の本で読んだかな? ちょっと待って、思い出す……ああなるほど、『タッチ』や、今のコミックと比べると、構造が単純、と言うか……要素が少ない? ドラマは勝負の勝ち負けだけで、心情的な機微は弱い、あっても勝負に直結した部分だけだ。異性関係、恋愛要素も薄味だ。そうか、だから今のコミックは長くなるのかな。『巨人の星』は19巻だし、『あしたのジョー』も20巻だ。面白いけど、今の読者にはちょっと食い足りない、みたいな感じになるのかな?」
『本筋以外の部分を削ってシンプルにまとめるのは間違ってはいないんだがな。『少年漫画』を食い足りないと感じる読者はいた。そういう、勝負の勝ち負け以外のドラマ性を楽しみたい読者が飛びついたのが、『少女漫画』だ』
「あー、恋愛的なドラマが新鮮に感じられちゃったのか」
『それだけじゃない、その頃の少女漫画は既に、SFやファンタジー的要素を持ち込んでいた。萩尾望都や弓月光が有名だな。少年漫画にないものを求めた大学生が、少女向けの漫画を読んでいる、男なのに、なんて週刊誌で取り上げられたのは、70年代末だったか?
そういう感性を持ち込む事で少年漫画雑誌を劇的に変えたのが、あだち充と高橋留美子、1980年代の週刊少年サンデーだ。『タッチ』と『うる星やつら』だな』
「ああ、リメイクアニメやってたアレ、そんなに昔のコミックだったんだ」
『連載開始は『うる星やつら』が1978年、『タッチ』が1981年か。そうだな、昔だ。『うる星やつら』も恋愛小説史的には大きな意味があるが、あだち充のほうがわかりやすいのでそっちに絞るぞ。
あだち充は、デビューした最初から、描きたい漫画があった。それまでの少年少年漫画誌とは違う漫画が描きたかった。だが描かせて貰えないから、一時期は少女漫画誌で描いたりしていた。そこで磨き上げたセンスを、少年漫画に持ち込んだのが『タッチ』だ。
『巨人の星』などの、従来の少年漫画は『タッチ』とどこが違うのか? 永斗、お前がさっき言ったな。
・ドラマは勝負の勝ち負けだけで、心情的な機微は弱い、あっても勝負に直結した部分だけだ。異性関係、恋愛要素も薄味だ
要するに、あだち充が描きたい主題が違う、優先順位が逆なんだ、『巨人の星』は、勝負の勝ち負けを盛り上げて描くために心情的な機微を使う、『タッチ』は心情的な機微を盛り上げて描くために勝負の勝ち負けを使う。描きたいものを描くための道具なんだ、『巨人の星』における心情の機微は道具で、勝負の勝ち負けを道具にしているのが『タッチ』だ。
これがまさに、少女漫画における恋愛物語の方法論、あるいは青春物語、恋愛物語の方法論だ。歌にもなってるぞ。
・ふたりのために世界はあるの
って、聞いた事はないか?』
「なんか、懐かしの歌謡ショーみたいな番組でやってた、かも? たーららら、ららーみたいなメロディがなんとなく浮かんだ」
「うわ、ググッたら出て来たけど、1967年ってマジッスか!?」
「でも確かに、大目標と個人的な事情の優先順位、バランスの取り方って考えると、わかりやすいですよね。
『戦国ワルキューレ』だってそうじゃないですか。『水戸黄門』みたいに世直し旅のお題目があると、隠居したご老公の話だけど、姫の『外の世界を見てみたい!』ってわがままを強く描く事で若者の話になる、みたいな。もちろん、『水戸黄門』にもご老公様の暇つぶしっていう個人的な動機がありますし、姫も世直しっぽい事はするんですけど」
「これも」
考え込んでいた副編集長もぽつり。
「バランスなんだね。不安の描写のバランスをうまくやってせつなさを表現する。前に布留田君が言っていた。生と死のバランスを変えてダークにもできるしライトにもできる。そして、少年漫画と少女漫画では動機のバランスが違った」
「その通り。覚えていてくれて嬉しいよ。
あだち充は少女漫画から少年漫画に転向して『タッチ』を描いた、と言ったけれど、実はその前に、『ナイン』っていう野球漫画を、サンデーで描いている。こっちのほうが、動機って意味じゃわかりやすい。主人公を少女から少年にしただけで、ストーリーの基本は少女漫画なんだ。
高校に入学した主人公が、一人の少女に一目惚れ、弱小野球部のマネージャーをやっている彼女のために野球部に入るってストーリー。甲子園を目指すとか、勝利も独力も根性も熱血も何もない、当時の少年野球漫画としては異色な作品で、少年漫画を変えたのは正確には『タッチ』じゃなくて『ナイン』だったりする、らしい。いや、俺もGさんから聞いただけで読んでないんだけどさ」
「私は、『タッチ』は読んでいないし、70年代に少年漫画がどんなだったかも知らないけれど」
副編集長はちょっと困ったような表情になる。またなんか悩ませた?
「『ナイン』のほうが、動機としては普通で、ストーリーも当たり前の事をやっているように聞こえるね。それが異色と言われるって、当時の少年漫画のほうが歪んでいたというように聞こえてしまうな。言ってみれば、『ブルーワールド』で、神父である主人公が、ヒロインに対する想いを振り切って禁欲という戒律に従って神父であろうとする事がテーマになるようなものじゃない? そんなものにときめく人がいるとは思えないし、面白いものになるとも思えない」
「うーん、そこはなー。もうひとつ、前に俺が言った事を思い出して欲しい。少年漫画っていうのは、ひとつのカテゴリーで、それが当時は今よりもっと狭かった、と考えてくれ。たぶんそれが正解」
なるほど、と頷いているの副編集長。みんなも納得したようだ。
「恋愛とかをテーマにする事自体が、もうカテゴリーエラー、これは少年漫画じゃない、こんなのは少女漫画でやってくれって言われっちゃう時代だったんスね」
「特に出版社員は、編集者はそういう考え方になっちゃうんだろうなー。サンデーの漫画、週刊少年漫画っていう定義がまずあって、それを描かせて本にするのが仕事、と」
「なろう小説のカテゴリーで出すから『女護ヶ島』の姫を若にしてくれって言われるのと同じ、ですね」
「そういう事。そういうカテゴリーの枠を、当時の常識を、あだち充は打ち破ってみせたわけだ。そして少年漫画を変えた。
変えすぎた、とも言っていいかもな。少年漫画と少女漫画という枠組み自体がなくなっちゃったわけだから」
「いや、なくなってないっスよね? 今もジャンプマガジンサンデーは少年漫画だし、少女漫画は、花とゆめ? とか? マーガレットなんてのもあるし」
「今、少年マンガと呼ばれているカテゴリーは少年だけが読者じゃない。老若男女全ての読者が読む、普通のマンガがほとんどだろ? 作品によっては女性読者の方が多かったりする。昔の少年漫画はそうじゃなかった、んだってさ。男の子が読むから少年漫画で、女の子は少女漫画、そういう枠組みだったんだ。少女漫画だって、少なくとも週刊少女漫画雑誌はなくなっちゃったぞ。今はぜんぶ、月2回刊とか、月刊になっている。読者の少女が少年マンガを読むようになって読者が減ったからそうなった」
「なるほど、ある意味、あだち充が、それまでにあったカテゴリーを無意味にしたわけだなー」
「いきなり変わったわけじゃないし、先行したり後追いしたり真似したりする人がいたからこその結果らしいけどな。多勢に与えた影響はあだち充が大きかったのは確かだ、と、Gさんは言ってた」
……あ、そうだ、これも副編集長に言っとかなきゃいけないんだった。
「えーと副編集長、Gさんが言ってたんだけど、
・『タッチ』を読んでいないなら、読むな。特に、せつなさを表現したいなら、絶対読んではいけない。天才の罠にはまってしまう
だってさ」
「ええっ!?」
副編集長は、叩いていたキーボードから、ばっ、と手を上げる。ひょっとして電子化された『タッチ』を探していたか?
「な、何? どういう事なんだい、罠って? ちょっと怖いんだけれど」
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