第2章 硬派な出版社の中心で愛を叫んじゃった2代目が社長になって、高校球児が少女と少年の垣根を越えてニュータイプになる【後編】
「あだち充の影響は大きかった。大きすぎたんだ。それ故の弊害みたいなものもあったんだってさ。Gさんは、コミック雑誌の編集長やってたときに、それでさんざん苦労したんだって。
せつなさは主観が生む不安感、って、俺は最初に言ったよな? 書かない事が不安感になる、何を書いて、何を書かないか、そのバランスが大事。あだち充はそのバランスのセンスが抜群だった。抜群すぎて、真似できないくらい。でも、『タッチ』を読んでそのせつなさに参ってしまった人達は、真似しようとする。そういう罠なんだって」
「でもですよ」
芽宮から異論が出た。
「『タッチ』はマンガで、絵を使って、書かない事を描いてみせた、それはわかりました。でも副編集長さんが書きたいのは小説、ですよね? 真似しようとしてもできないと思うんですけど」
芽宮に目線を向けられた副編集長は不安そうだ。
「わからないな。けれど、面白い、と思ったら真似したくなってしまう、挑戦したくなってしまうかもしれないね。マンガと小説の違いがあったとしても」
「そんな副編集長に、残念なお知らせです。
Gさんがそのあと移動した小説部門にも、『タッチ』に影響されて、描写のバランスを見失っちゃった人は多かったそうだ」
「わかった」
キーボードから完全に手を離して、降参、みたいなポーズになる副部長。
「『タッチ』は読まない、これは決定」
「文字で書かずに絵で描くってことッスよね、小説では無理ゲーっしょさすがに。影響でバランスを見失うって、どうなっちゃうんスか?」
「書かないんじゃなくて、書き過ぎ、ってことになっちまうこともあるってGさんは言ってた」
「へ?」
「えーと、話がややこしい上に、これは作家じゃなくて、編集者の話なんだけど。
『タッチ』の書かずに描くテクニックが上手すぎて、大ヒットしすぎて、模倣しようとする人がたくさん出て来たけど天才と同じ事なんてできなくて現場は大混乱、って話をしたよな?
そういう大きな動きの後には、揺り戻し、反動が来るんだ。書かずに描こうとしたけどうまくいかない、キャラクターの心の声が伝わらないからドラマを盛り上げる事が出来ない、ならばいっそ、心の声もなにもかも、全部書いてしまえ! になった」
「ええ~? そりゃ、極端じゃないっスかね?」
「揺り戻しっていうのはそういうモンだ、ってGさんが言ってた。最初の動きが大きければ大きい程、揺り戻しも極端に、正反対の方向に振れるとかなんとか。書く方だけじゃなくて、受け手、読者の揺り戻しもあったらしいな。あだち充の書かずに描くテクニックは極上のせつなさを作ったけれど、せつなさは何度も言うように不安感、だから、甘口か辛口か、で言えば辛口になる。辛口ブームの後は甘口ブームが来る、みたいに、不安感、ストレスなく読めるものを読者も求めた、ってのもあるかもしれない」
「せつない恋物語よりも、甘くてベタベタなラブコメのほうが書きやすいし、万人受けもしやすい、そういう事?」
「そう。『タッチ』を読んだ後だとホント極端に、正反対に感じられるくらいになった。キャラクターたちの心情描写をしつこくやる、全員の心の中がダダ漏れになる。
これの何が問題って、全員の、ってところだ。あだち充の初期、つまり少女漫画や『ナイン』の頃、というか少女漫画的方法論だと、主観描写、独白、モノローグが許されるのは主人公だけ、他のキャラが何を考えているか、どう思っているかは不透明、だからすれ違いとかせつなさを主人公は感じるし、一緒になって読者も感じる事になる。でも全部のキャラクターについてそれをやっちゃうとどうなるか?
すれ違っている、という状況はわかりやすくなるけど、主人公が感じている不安感やせつなさを読者は共有する事が出来なくなる。緊張感が薄くなるって言うのかな。
Gさんが小説部門のトップやってた頃、現場から上がってくる企画がほとんどそういう感じだったんだって。恋愛ものに限らず、人間ドラマが薄味になってしまっていた。だからあるとき現場の編集に、小説の主観描写の大切さについて話をしたんたって。『タッチ』を引き合いに出して、たとえばヒロインが心の中で何を考えているか、主人公には見せない方が、読者はドキドキハラハラするだろ、お前が担当しているこの小説にはそういう緊張感がない、って。
そうしたらその編集者が、この昭和生まれは今の読者の事がわかってないなあ、って顔で、こう言ったんだってさ。
あ、南ちゃんってのは『タッチ』のヒロインな」
「はい?」
「え?」
「???」
そう、混乱するよね。
「えーと、センパイの説明を聞いて、角のあるフキダシは主人公だけのものだと思ってたんですけど、違うんですか?」
「それに、そのフキダシも『タッチ』では封印してたって話だよな」
「ナニソレ怖い」
「ホラーだね」
「その部下は、Gさんが何言っても自分の主張を曲げずに、明日家から単行本を持ってくるからちゃんと読んでくれって言ったんだってさ。で、翌日、
って、呆然としてたって」
「どういう事だって、それはGさんの台詞じゃないかなー」
「『攻殻機動隊』にそんなシーンあったッスね。電脳に植え付けられた偽りの記憶、みたいな」
「そっちじゃなくて、ガンダムのほうじゃないかって、Gさんは言ってた。ほら、ニュータイプって有名じゃん? 副編集長も芽宮も、ガンダム観たことなくても聞いたことはあるだろ? 言葉じゃなくて、心でわかりあえる新人類、みたいな設定なんだけど。
あだち充の、書かない事を描いて伝えるテクニックが上手すぎて、天才すぎて、その編集は書かれていない心の声を読み取っちゃったんじゃないか、キャラクターとわかりあっちゃったんじゃないか、ここに書いてある、と錯覚するくらいにあだち充は上手かったんだ、と、Gさんは解釈した。
その編集はさ、マンガの事を知らないわけじゃない、むしろもともとマンガが好きだった、マンガを『読む』能力は優れている。文字で書いていない、マンガならではの絵で描かれた情報を読み取っちゃうくらいにはね。みんなだって、好きなマンガ、マンガじゃなくても小説や映画、音楽でもいいや、直接は表現されていない機微を読み取ったつもりになって好きになる、逆に、好きになったから読み取れちゃう、って経験はあるだろ?」
「そう、ですね。わたしにとっては演技がそれです」
「まあ、なくもないっスけど」
「読む側、観る側だったら、それでもいいんだけどな。むしろ、読み取れない人よりも楽しみが増えるのはいい事かもしれない。でも書く側、創作する側になった場合、そういう錯覚をしたままじゃあ、よろしくないよな? ニュータイプみたいな人はそうたくさんはいないんだから、そういうものに頼った表現は、限られた人だけが理解できるものになってしまう。送り手はお客さんを選んじゃいけない、これ創作商売の鉄則な」
「『タッチ』は面白いマンガのはずなのに。そう聞いていたのに」
副編集長はため息混じりに言う。
「聞けば聞く程、創作者にとっては地雷のような作品に思えるのだけれど」
「あくまでGさんの見解だけどな。売れた作品にはそれだけ大きな影響力があるって話だ。整理すると、問題はふたつ、だな。
ひとつめ、書かない事で描く、そういう真似できないセンスをもって描かれているのに、いや、描かれているからこそ、たくさんの劣化コピーを生み出してしまった、多くの新人に道を誤らせてしまった。
ふたつめは逆に、勘違い劣化コピーだな。書いていない事を読み取っちゃった人が、書けばいいんだと思ってしまって読者に与える情報の取捨選択、書く事と書かない事のバランスを間違えてしまった。
で、だ。実は、せつなさを表現するにあたっては、今はふたつめの問題の方が深刻なんじゃないか、ってのがGさんの持論らしいんだけど、それを語るには、ゲームなんだけどある大ヒットタイトルの影響もあるそうで」
「と、盛り上がってるところ悪いんだが」
編集長だ。
「そろそろ下校時間だ」
ありゃ残念。
「また来週、ってことでいいかな?」
「わたしの都合になりますけど、そうしていただけるとありがたいです」
「来週なら、今日の言われた課題にある程度の答えは出せると思うけれど」
それは楽しみだ。副編集長ならやってくれると信じてる。俺も来週に向けて、話を整理しておこう。
せつなさは主観が生む不安感、って、俺は最初に言ったよな? 書かない事が不安感になる、何を書いて、何を書かないか、そのバランスが大事。あだち充はそのバランスのセンスが抜群だった。抜群すぎて、真似できないくらい。でも、『タッチ』を読んでそのせつなさに参ってしまった人達は、真似しようとする。そういう罠なんだって」
『あだち充がやったのは。方法論としては、さっき言ったように少女漫画の方法論だ。主観を大事にする。主人公の少女の独白を、主人公の少年の独白に置き換えただけだ。気になる異性がいる、自分の事を知って欲しい、自分の事を気にして欲しい、できれば好きになって欲しい、でも相手が何を考えているかわからない、だから不安、お前や、その副編集長さんが言う、せつなさ、というのはそういう事だろう?』
「と、思うけどね俺は」
『主観描写の徹底という事だ、小説では当たり前の話だが、当時の少年漫画ではそれだけで新鮮だった。主人公の主観、心の声を表現するのに、普通の丸いフキダシではなく、角のあるフキダシを使っていて、それがあだち漫画の専売特許のように言われる時期さえあった』
「あー、今は当たり前に使うね。当時はなかったんだ」
『心の声を使うにしてもセンスがいる。あだち充は、必要十分、最低限の心の声で、主人公の主観を見事に表現してみせた。だから、そういう方法論に馴染みのない少年漫画の読者にも、せつなさを感じさせる事ができたんだ。
だが、『ナイン』を描いて、それをヒットさせて、いよいよ週刊サンデーに乗り込んで『タッチ』を始める時には、あだち充のセンスはさらに磨かれていた。磨かれ過ぎていた。彼は『タッチ』で、心の声、角のあるフキダシすらも封印してしまったんだ。そうやって、少女漫画にもなかったせつなさ、面白さを表現した』
「え? 主観描写もナシで? 主人公が何考えてるのかとか、そういう想いを書かない、見せないんじゃ、ドラマにならなくない? せつなさってのは主人公の想いみたいなものから生まれるわけで」
『全部、言葉ではなく、絵で語ってみせた。そこがすごいんだ、『タッチ』は。まあマンガは絵で見せるもののだから、そこで独白を文字で、言葉で語ってしまう方が反則とも言える、同じ野球漫画でも、ナレーションとか解説を文字で入れるのは邪道だ、マンガなら絵で語れ、なんて事を言う人もいたけどな。しかしあだち充は、キャラクターの細かい心の動きを、機微を、絵で、マンガ的演出で語ってみせた。書かない事で描いてみせたんだ。伝えてみせたんだ。
それも、間接表現、婉曲表現的な、わかる人にはわかる、基礎になる知識がないと理解できないような難しい方法で、ではないぞ。生き生きとした絵で、オリジナルのマンガ的演出で、誰にでも伝わるようなカタチでやったんだ。
細かいストーリーは覚えてないが、そういうシーンだけは頭に焼き付けられている。例えばこんなシーンだ。主人公が試合に負けた日の夜、主人公は、喫茶店のテーブルでゲームをやっている。ヒロインの家がやっている喫茶店だったかな。喫茶店の中には主人公とヒロインだけ。ゲームの効果音でゲームオーバーになったことがわかる。それだけのシーンだ。
なのにな、何かが伝わってくるんだよ、読んでいると』
「何かって?」
『負けて悔しい、あの時あんな球を投げるんじゃなかった、大丈夫、一所懸命やったんだから、次があるよ、そんな台詞はないのに、読む人にいろいろ想像をさせる、そこがこのシーンのすごいところだ。そういうニュアンスの気持ちがな、伝わってくるんだ。いや逆に、台詞があったら台無しだろう、そう思わせるシーンなんだよ。
絵、まんがという、直感的理解がしやすい武器を使っているとはいえ、これはとんでもない事だ。文章を武器にしているお前なら、このすごさが理解できるだろう?』
「と、言うか、文字を言葉を、台詞を封印されちゃったら、俺にはお手上げだねぇ。行間を読ませる、みたいなものかな?」
『『タッチ』の主人公は、ストレートでわかりやすい台詞を言わない、主人公なのに、心の中を読者に見せない。甲子園で勝ってみせる、とか、俺はきみの事を愛している、なんて事は言わない。独白もしないから、実は内面には熱い想いを秘めているのにそれを言い出せないキャラだ、なんて事も読者にはわからない。そういうのは、ヒロインと両思いに見えた兄の役割だった、そう見せておいて、兄はストーリーの途中で死んでしまう、そこからさきは、残されたヒロインと、何を考えているか見せない主人公によって物語が展開されるんだ。
そして、『タッチ』は大ヒットした。あだち充の、書かないテクニックにみんなが魅了された。
もっともらしい事を言わない、真面目な事を振られるとおどけてみせるのが格好いい、そういうキャラが主流になったのも『タッチ』以降だな』
「あー、熱血キャラは古い、暑苦しい、むしろ格好悪い、みたいな? 確かに、そういう意味でも少年漫画は変わったのかな」
『『タッチ』のヒットを受けて、変わろうとした。出版社は数字には敏感だからな。ヒット作の後追い的企画はそれこそ山のような作られる。『タッチ』に魅了された読者も、『タッチ』のような漫画を、『タッチ』のような格好良さを持った主人公を描きたいという熱意を持ってマンガを描き始める。そうやって、少年のものだった少年漫画は、いろいろな人が楽しめる少年マンガになった。
だが、『タッチ』は唯一無二のままだった。30年経っても、実写で映画化されるくらいだからな。なぜだかわかるか?』
「いや、さっきも言ったけど書かない事で描いてみせるって、そりゃ同じ事をやろうとしても無理だって。誰にも真似できなかったってだけの話だよなあ」
『そう、あだち充は天才だった、それだけの話だ。
だが、諦めきれない人がたくさんいた、才能ある、自信満々の新人なら特にそうなる、同じマンガだ、あだち充にできて俺に出来ないはずがない、そう信じて、書かない事を描こうとする、そういう無謀なマンガ家がな、多かったんだよ、90年代くらいのマンガの現場には』
Gさんの声に苦汁を混じる。その頃はコミック雑誌の編集長をやっていたはずだ。あだち充フォロワーの新人に苦労したらしい。
『描写を削るのがいい事だと思ってそこだけあだち充の真似をする、主人公のキャラクターを見せないほうが恰好いいと思って、わざと描かない、過去を、動機を伏せて謎のキャラクターにしてしまう。設定はちゃんと作ってあるらしいんだがな、それを明かすのがクライマックスの見せ場なんです! と言って出し惜しむ』
「他の要素でストーリーを面白く繋げるなら、それでも問題ないと思うけど。考えてないんだろうね、そういう事は」
『考えてない。面白いラストのために読者は読んでくれるんだ、とか、詰まらない話のほうがクライマックスを盛り上げてくれる、とか言うんだよ。ラストが面白いかどうかなんて読者はわからないし、詰まらなければ読むのをやめるのが読者だ、というあたり前の話を、あだち充が云々する前に考えろ、と何回したか』
「ご愁傷様。でも、そういう新人ばかりってことはなかったんじゃないの?」
『そう思うか? それがな、多かったんだよ。7、8割はそうだった。新人だけじゃない、中堅マンガ家にもいたからな。それだけ、『タッチ』の影響力は大きかった、あだち充はそれだけ規格外の天才だった、という事だな。
だからな永斗、その副部長さんがアドバイスを欲しがっているようなら、まず言っておけ、『タッチ』を読んでいないなら、読むな。特に、せつなさを表現したいなら、絶対読んではいけない。天才の罠にはまってしまう、とな』
「と、思うけどね俺は」
『主観描写の徹底という事だ、小説では当たり前の話だが、当時の少年漫画ではそれだけで新鮮だった。主人公の主観、心の声を表現するのに、普通の丸いフキダシではなく、角のあるフキダシを使っていて、それがあだち漫画の専売特許のように言われる時期さえあった』
「あー、今は当たり前に使うね。当時はなかったんだ」
『心の声を使うにしてもセンスがいる。あだち充は、必要十分、最低限の心の声で、主人公の主観を見事に表現してみせた。だから、そういう方法論に馴染みのない少年漫画の読者にも、せつなさを感じさせる事ができたんだ。
だが、『ナイン』を描いて、それをヒットさせて、いよいよ週刊サンデーに乗り込んで『タッチ』を始める時には、あだち充のセンスはさらに磨かれていた。磨かれ過ぎていた。彼は『タッチ』で、心の声、角のあるフキダシすらも封印してしまったんだ。そうやって、少女漫画にもなかったせつなさ、面白さを表現した』
「え? 主観描写もナシで? 主人公が何考えてるのかとか、そういう想いを書かない、見せないんじゃ、ドラマにならなくない? せつなさってのは主人公の想いみたいなものから生まれるわけで」
『全部、言葉ではなく、絵で語ってみせた。そこがすごいんだ、『タッチ』は。まあマンガは絵で見せるもののだから、そこで独白を文字で、言葉で語ってしまう方が反則とも言える、同じ野球漫画でも、ナレーションとか解説を文字で入れるのは邪道だ、マンガなら絵で語れ、なんて事を言う人もいたけどな。しかしあだち充は、キャラクターの細かい心の動きを、機微を、絵で、マンガ的演出で語ってみせた。書かない事で描いてみせたんだ。伝えてみせたんだ。
それも、間接表現、婉曲表現的な、わかる人にはわかる、基礎になる知識がないと理解できないような難しい方法で、ではないぞ。生き生きとした絵で、オリジナルのマンガ的演出で、誰にでも伝わるようなカタチでやったんだ。
細かいストーリーは覚えてないが、そういうシーンだけは頭に焼き付けられている。例えばこんなシーンだ。主人公が試合に負けた日の夜、主人公は、喫茶店のテーブルでゲームをやっている。ヒロインの家がやっている喫茶店だったかな。喫茶店の中には主人公とヒロインだけ。ゲームの効果音でゲームオーバーになったことがわかる。それだけのシーンだ。
なのにな、何かが伝わってくるんだよ、読んでいると』
「何かって?」
『負けて悔しい、あの時あんな球を投げるんじゃなかった、大丈夫、一所懸命やったんだから、次があるよ、そんな台詞はないのに、読む人にいろいろ想像をさせる、そこがこのシーンのすごいところだ。そういうニュアンスの気持ちがな、伝わってくるんだ。いや逆に、台詞があったら台無しだろう、そう思わせるシーンなんだよ。
絵、まんがという、直感的理解がしやすい武器を使っているとはいえ、これはとんでもない事だ。文章を武器にしているお前なら、このすごさが理解できるだろう?』
「と、言うか、文字を言葉を、台詞を封印されちゃったら、俺にはお手上げだねぇ。行間を読ませる、みたいなものかな?」
『『タッチ』の主人公は、ストレートでわかりやすい台詞を言わない、主人公なのに、心の中を読者に見せない。甲子園で勝ってみせる、とか、俺はきみの事を愛している、なんて事は言わない。独白もしないから、実は内面には熱い想いを秘めているのにそれを言い出せないキャラだ、なんて事も読者にはわからない。そういうのは、ヒロインと両思いに見えた兄の役割だった、そう見せておいて、兄はストーリーの途中で死んでしまう、そこからさきは、残されたヒロインと、何を考えているか見せない主人公によって物語が展開されるんだ。
そして、『タッチ』は大ヒットした。あだち充の、書かないテクニックにみんなが魅了された。
もっともらしい事を言わない、真面目な事を振られるとおどけてみせるのが格好いい、そういうキャラが主流になったのも『タッチ』以降だな』
「あー、熱血キャラは古い、暑苦しい、むしろ格好悪い、みたいな? 確かに、そういう意味でも少年漫画は変わったのかな」
『『タッチ』のヒットを受けて、変わろうとした。出版社は数字には敏感だからな。ヒット作の後追い的企画はそれこそ山のような作られる。『タッチ』に魅了された読者も、『タッチ』のような漫画を、『タッチ』のような格好良さを持った主人公を描きたいという熱意を持ってマンガを描き始める。そうやって、少年のものだった少年漫画は、いろいろな人が楽しめる少年マンガになった。
だが、『タッチ』は唯一無二のままだった。30年経っても、実写で映画化されるくらいだからな。なぜだかわかるか?』
「いや、さっきも言ったけど書かない事で描いてみせるって、そりゃ同じ事をやろうとしても無理だって。誰にも真似できなかったってだけの話だよなあ」
『そう、あだち充は天才だった、それだけの話だ。
だが、諦めきれない人がたくさんいた、才能ある、自信満々の新人なら特にそうなる、同じマンガだ、あだち充にできて俺に出来ないはずがない、そう信じて、書かない事を描こうとする、そういう無謀なマンガ家がな、多かったんだよ、90年代くらいのマンガの現場には』
Gさんの声に苦汁を混じる。その頃はコミック雑誌の編集長をやっていたはずだ。あだち充フォロワーの新人に苦労したらしい。
『描写を削るのがいい事だと思ってそこだけあだち充の真似をする、主人公のキャラクターを見せないほうが恰好いいと思って、わざと描かない、過去を、動機を伏せて謎のキャラクターにしてしまう。設定はちゃんと作ってあるらしいんだがな、それを明かすのがクライマックスの見せ場なんです! と言って出し惜しむ』
「他の要素でストーリーを面白く繋げるなら、それでも問題ないと思うけど。考えてないんだろうね、そういう事は」
『考えてない。面白いラストのために読者は読んでくれるんだ、とか、詰まらない話のほうがクライマックスを盛り上げてくれる、とか言うんだよ。ラストが面白いかどうかなんて読者はわからないし、詰まらなければ読むのをやめるのが読者だ、というあたり前の話を、あだち充が云々する前に考えろ、と何回したか』
「ご愁傷様。でも、そういう新人ばかりってことはなかったんじゃないの?」
『そう思うか? それがな、多かったんだよ。7、8割はそうだった。新人だけじゃない、中堅マンガ家にもいたからな。それだけ、『タッチ』の影響力は大きかった、あだち充はそれだけ規格外の天才だった、という事だな。
だからな永斗、その副部長さんがアドバイスを欲しがっているようなら、まず言っておけ、『タッチ』を読んでいないなら、読むな。特に、せつなさを表現したいなら、絶対読んではいけない。天才の罠にはまってしまう、とな』
「でもですよ」
芽宮から異論が出た。
「『タッチ』はマンガで、絵を使って、書かない事を描いてみせた、それはわかりました。でも副編集長さんが書きたいのは小説、ですよね? 真似しようとしてもできないと思うんですけど」
芽宮に目線を向けられた副編集長は不安そうだ。
「わからないな。けれど、面白い、と思ったら真似したくなってしまう、挑戦したくなってしまうかもしれないね。マンガと小説の違いがあったとしても」
「そんな副編集長に、残念なお知らせです。
Gさんがそのあと移動した小説部門にも、『タッチ』に影響されて、描写のバランスを見失っちゃった人は多かったそうだ」
「わかった」
キーボードから完全に手を離して、降参、みたいなポーズになる副部長。
「『タッチ』は読まない、これは決定」
「文字で書かずに絵で描くってことッスよね、小説では無理ゲーっしょさすがに。影響でバランスを見失うって、どうなっちゃうんスか?」
「書かないんじゃなくて、書き過ぎ、ってことになっちまうこともあるってGさんは言ってた」
「へ?」
「えーと、話がややこしい上に、これは作家じゃなくて、編集者の話なんだけど。
『タッチ』の書かずに描くテクニックが上手すぎて、大ヒットしすぎて、模倣しようとする人がたくさん出て来たけど天才と同じ事なんてできなくて現場は大混乱、って話をしたよな?
そういう大きな動きの後には、揺り戻し、反動が来るんだ。書かずに描こうとしたけどうまくいかない、キャラクターの心の声が伝わらないからドラマを盛り上げる事が出来ない、ならばいっそ、心の声もなにもかも、全部書いてしまえ! になった」
「ええ~? そりゃ、極端じゃないっスかね?」
「揺り戻しっていうのはそういうモンだ、ってGさんが言ってた。最初の動きが大きければ大きい程、揺り戻しも極端に、正反対の方向に振れるとかなんとか。書く方だけじゃなくて、受け手、読者の揺り戻しもあったらしいな。あだち充の書かずに描くテクニックは極上のせつなさを作ったけれど、せつなさは何度も言うように不安感、だから、甘口か辛口か、で言えば辛口になる。辛口ブームの後は甘口ブームが来る、みたいに、不安感、ストレスなく読めるものを読者も求めた、ってのもあるかもしれない」
「せつない恋物語よりも、甘くてベタベタなラブコメのほうが書きやすいし、万人受けもしやすい、そういう事?」
「そう。『タッチ』を読んだ後だとホント極端に、正反対に感じられるくらいになった。キャラクターたちの心情描写をしつこくやる、全員の心の中がダダ漏れになる。
これの何が問題って、全員の、ってところだ。あだち充の初期、つまり少女漫画や『ナイン』の頃、というか少女漫画的方法論だと、主観描写、独白、モノローグが許されるのは主人公だけ、他のキャラが何を考えているか、どう思っているかは不透明、だからすれ違いとかせつなさを主人公は感じるし、一緒になって読者も感じる事になる。でも全部のキャラクターについてそれをやっちゃうとどうなるか?
すれ違っている、という状況はわかりやすくなるけど、主人公が感じている不安感やせつなさを読者は共有する事が出来なくなる。緊張感が薄くなるって言うのかな。
Gさんが小説部門のトップやってた頃、現場から上がってくる企画がほとんどそういう感じだったんだって。恋愛ものに限らず、人間ドラマが薄味になってしまっていた。だからあるとき現場の編集に、小説の主観描写の大切さについて話をしたんたって。『タッチ』を引き合いに出して、たとえばヒロインが心の中で何を考えているか、主人公には見せない方が、読者はドキドキハラハラするだろ、お前が担当しているこの小説にはそういう緊張感がない、って。
そうしたらその編集者が、この昭和生まれは今の読者の事がわかってないなあ、って顔で、こう言ったんだってさ。
・何言ってるんですかGさん、あだち充には四角いフキダシって技があるじゃないですか。あれに南ちゃんの心の声も全部書かれてますよ、だから『タッチ』は面白いんです
あ、南ちゃんってのは『タッチ』のヒロインな」
「はい?」
「え?」
「???」
そう、混乱するよね。
「えーと、センパイの説明を聞いて、角のあるフキダシは主人公だけのものだと思ってたんですけど、違うんですか?」
「それに、そのフキダシも『タッチ』では封印してたって話だよな」
「ナニソレ怖い」
「ホラーだね」
「その部下は、Gさんが何言っても自分の主張を曲げずに、明日家から単行本を持ってくるからちゃんと読んでくれって言ったんだってさ。で、翌日、
・全巻読み返したんですけど、編集長の言った通りでした。南ちゃんだけじゃなくて、キャラクターの心の声がないんです。でも、自分が読んだ時は確かにあったんです。どういう事なんでしょうか
って、呆然としてたって」
「どういう事だって、それはGさんの台詞じゃないかなー」
「『攻殻機動隊』にそんなシーンあったッスね。電脳に植え付けられた偽りの記憶、みたいな」
「そっちじゃなくて、ガンダムのほうじゃないかって、Gさんは言ってた。ほら、ニュータイプって有名じゃん? 副編集長も芽宮も、ガンダム観たことなくても聞いたことはあるだろ? 言葉じゃなくて、心でわかりあえる新人類、みたいな設定なんだけど。
あだち充の、書かない事を描いて伝えるテクニックが上手すぎて、天才すぎて、その編集は書かれていない心の声を読み取っちゃったんじゃないか、キャラクターとわかりあっちゃったんじゃないか、ここに書いてある、と錯覚するくらいにあだち充は上手かったんだ、と、Gさんは解釈した。
その編集はさ、マンガの事を知らないわけじゃない、むしろもともとマンガが好きだった、マンガを『読む』能力は優れている。文字で書いていない、マンガならではの絵で描かれた情報を読み取っちゃうくらいにはね。みんなだって、好きなマンガ、マンガじゃなくても小説や映画、音楽でもいいや、直接は表現されていない機微を読み取ったつもりになって好きになる、逆に、好きになったから読み取れちゃう、って経験はあるだろ?」
「そう、ですね。わたしにとっては演技がそれです」
「まあ、なくもないっスけど」
「読む側、観る側だったら、それでもいいんだけどな。むしろ、読み取れない人よりも楽しみが増えるのはいい事かもしれない。でも書く側、創作する側になった場合、そういう錯覚をしたままじゃあ、よろしくないよな? ニュータイプみたいな人はそうたくさんはいないんだから、そういうものに頼った表現は、限られた人だけが理解できるものになってしまう。送り手はお客さんを選んじゃいけない、これ創作商売の鉄則な」
「『タッチ』は面白いマンガのはずなのに。そう聞いていたのに」
副編集長はため息混じりに言う。
「聞けば聞く程、創作者にとっては地雷のような作品に思えるのだけれど」
「あくまでGさんの見解だけどな。売れた作品にはそれだけ大きな影響力があるって話だ。整理すると、問題はふたつ、だな。
ひとつめ、書かない事で描く、そういう真似できないセンスをもって描かれているのに、いや、描かれているからこそ、たくさんの劣化コピーを生み出してしまった、多くの新人に道を誤らせてしまった。
ふたつめは逆に、勘違い劣化コピーだな。書いていない事を読み取っちゃった人が、書けばいいんだと思ってしまって読者に与える情報の取捨選択、書く事と書かない事のバランスを間違えてしまった。
で、だ。実は、せつなさを表現するにあたっては、今はふたつめの問題の方が深刻なんじゃないか、ってのがGさんの持論らしいんだけど、それを語るには、ゲームなんだけどある大ヒットタイトルの影響もあるそうで」
「と、盛り上がってるところ悪いんだが」
編集長だ。
「そろそろ下校時間だ」
ありゃ残念。
「また来週、ってことでいいかな?」
「わたしの都合になりますけど、そうしていただけるとありがたいです」
「来週なら、今日の言われた課題にある程度の答えは出せると思うけれど」
それは楽しみだ。副編集長ならやってくれると信じてる。俺も来週に向けて、話を整理しておこう。
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