作家の異常な愛情

第3章 メモリアルなときめきは呪縛となり、憂鬱ゆううつなハルヒが全てを呪ってせつなさを駆逐する【後編】

「待ってくれないかな。流れを整理させてほしい」
 副編集長が、福地に指示してホワイトボードに年表を書かせている。話が長くなってきたからな。

・ラブストーリーにおけるせつなさの歴史

1970年ある愛の詩
せつなさを求める男性が少女漫画を読み始める
1981年タッチ 少年漫画の変革
書かない事でせつなさを生む天才 あだち充
凡才は書きすぎることでせつなさを殺してしまう
1992年ときめきメモリアル
プレイヤーのせつなさがプレイを進める原動力になるゲーム
難易度を下げる調整でせつなさが弱くなる

乙女ゲーム
読者参加ゲーム→マルチヒロイン、美少女のカテゴリー化、萌えなどお約束が作られていくきっかけ
1996年
1997年ToHeart
1999年Kanon
ビジュアルノベル ファンタジー要素ありの現代美少女恋愛もの(18禁要素あり) エロコメの元祖?

「『ときめきメモリアル』の2作目が甘口になったことで、せつなさが失われたということ?」
「いや、ブームを受けて作られた恋愛シミュレーションゲームの中には、せつなさをセールスポイントにするものもあった、らしい。キャッチコピーが確か……『炸裂するせつなさ』、だったかな?」
「炸裂と言っている時点でそれはせつなくない気がするけれど」
「まあ、Gさんも笑い話として言ってたから、内容は推して知るべし、だけどな」
 俺が覚えてるのはそのキャッチコピーだけだ。福地が、あるはずないだろと思って「炸裂 せつなさ」でググったらホントに出て来たんスけど!? センチなんとかって、これっすか!? とか騒いでいるが、だから知らないよ。Gさんに聞いてくれ。
「それに、ビジュアルノベルもせつないやつはちゃんとせつなかったらしいぞ。そしてもちろん、最後のこれもな」
 俺は年表に書き加える。

2003年 涼宮ハルヒの憂鬱ゆううつ

『『涼宮ハルヒの憂鬱』は、ビジュアルノベル的なゲームの面白さを小説に、完全な形で落とし込んだ、唯一無二の成功例なんだ』
「ベタ誉めじゃん、って、いや誉めてるのかこれ? 俺も読んでみたけど、普通に面白かったけど、じゃあこれ、ビジュアルノベル原作のノヴェライズなの?」
『そうじゃない。ビジュアルノベルの定番になっていた、高校生主人公現代ファンタジーの面白さを小説で再現している。普通は考えつかないような事を普通は考えつかない手法でやっている。独創的だ。素晴らしいじゃないか。
 主人公の描き方からして、まず小説としては破天荒だ。彼には名前がない。キョンと呼ばれているが、本名はどこにも出てこないだろう?』
「あーそうだった。ゲームだと主人公の名前はプレイヤーが決めるから?」
『名前だけじゃないぞ。キョンは、小説の主人公として成立すると同時に、ゲームの主人公としても成立するように、巧みに計算された描き方をされている。
 永斗えいと、お前がゲームのシナリオを書くとしたら、という話をしたな。『ときめきメモリアル』について、の時だ』
「ああ。俺だったら主人公の主観描写で張り切るけど、やりすぎちゃいけない、って言われたよな。ドラクエの堀井さんみたいに必要最低限の主観描写にして、プレイヤーに補完させる、だったっけ? そうすることで誰でも感情移入できる主人公になる」
『そうだ。『涼宮ハルヒの憂鬱』はキョンの語りで展開される一人称のストーリーになっていて、そういう意味でもアドベンチャーゲーム、ビジュアルノベルのスタイルになっている。だが、もちろんそれだけで、小説がビジュアルノベルの楽しさを再現できるわけがない。ビジュアルノベルにおいてプレイヤーが、主人公に感情移入する、没入して主人公になれるようにするために必要不可欠な武器、小説では絶対に使えない武器、それが何だかわかるか、永斗?』
 ちょっと考える。ビジュアルノベルとやらはプレイした事がないが、聞いた話から想像するに、だ。
「ゲームでは、プレイヤーが主人公の行動を決める。プレイヤーがストーリーを変える事ができるわけだよな。小説の読者にはできない、ゲームのプレイヤーは、まさにゲームの主人公になれる。そういう意味じゃ、やっぱり『涼宮ハルヒの憂鬱』は小説であって、ゲームじゃないよな?」
『『涼宮ハルヒの憂鬱』はな、主人公、キョンの主観描写を巧みに使って、読者を誘導したんだ。
 キョンの主観で、状況が描かれる。キョンは決断を迫られる、行動をしなくてはいけない、さあ、どうする? という場面の描き方と、キョンの選択する行動がな、絶妙なんだよ。キョンは決して読者を裏切らない、読者の感じるように感じて、読者が選ぶであろう行動を選ぶ』
「あ。ああー、なるほど。言われてみれば。小説の主人公として見るとキョンは、イマイチ主人公アピールが弱いって言うか、俺だったらもうちょっと、読者の予想を裏切るようなシーンを増やすかな、と思ってたけど、それはやっちゃいけないわけだ、ゲームとしては」
『バランスだな。キョンの主人公アピールが弱すぎても強すぎても、『涼宮ハルヒの憂鬱』は成り立たない。状況自体のインパクトを強くする、キョンを、そう行動せざるを得ないように追い込む、キョンの行動が意表を突いたものでなくても、読者を退屈させないためにできることはいくらでもある、そう、これも塩梅だ、主観描写のバランスなんだよ。読者をその気にさせるための演出、『ドラゴンクエスト』における必要最低限の主観描写とある意味表裏一体の手法だな』

「えーと、ちょっと思い出した事があるんスけど。カテゴリーの話をしてたときに、タイトルは出なかったけど、ゲームの楽しさを楽しさを小説で再現した大ヒット作って言ってたっスよね。あれが『涼宮ハルヒの憂鬱』って事なんスか?」
 え、そんな話したっけ、って、あーしたな。
「うん、時期的に考えてそうだと思うぞ。しかしよく覚えてたな」
「いや、ライトノベルってなんで学園ラブコメみたいな話ばかりなんだろ、とずっと思ってて。そのせいかー、と腑に落ちたから頭に残ってたんスけど。でもその時は、『涼宮ハルヒの憂鬱』のせいで、面白ければなんでもありだったライトノベルが画一的になった、詰まらなくなった、UGCに取って代わられたみたいな話の流れで」
「あー、そんなニュアンスだっけ?」
「それに」
 副編集長が板書を指さす。
「さっきは布留田ふるだ君が、『ときめきメモリアル』の難易度調整でせつなさが弱くなって、それがゲームだけではなくコミックや小説のラブコメものもせつなさを失ってしまう、ぬるくてゆるいハーレムものばかりになってしまった、そのきっかけでもあると言っていた。『涼宮ハルヒの憂鬱』は、ぬるくて甘くはないのでしょう? ちゃんとせつないと言っていたよね」
 まあ、男性のキョン視点だから、女性のいうせつなさとは違うかもしれないが、ちゃんと不安や焦りみたいなものには共感できたからな。
 でもあれは、俺には書けない、たぶん他の人にも。
「俺はぬるくてゆるいって言われる最近のハーレムラブコメもそんな詳しいわけじゃないんだけどさ。ハーレムラブコメがせつなくなくなった理由だけは、はっきりわかる。
 そもそも、だ、一本道ストーリーのコミックや小説でハーレムをやって、具体的には3人以上もヒロインを出して、せつなさを感じさせようって企画自体が、無理難題なんだよ。少なくとも、俺には出来ない」
「えっ?」
「『涼宮ハルヒの憂鬱』が唯一の成功例って、そういう意味なのかー?」
「ゲームを小説の形に落とし込んだ成功例、な。ハーレムとして成功したわけじゃない。そもそも『涼宮ハルヒの憂鬱』はハーレムものじゃない。ヒロインがみんな魅力的だから勘違いする人が多かったらしいけど。あれは、主人公のキョンが、ハルヒの破天荒な行動力に振り回されているうちに彼女の魅力に気付いていく、そういう一対一のラブストーリーだ。言ってみれば、ゲームの複数あるルートの内の一つを小説にした成功例、って事だな」
「そりゃ、そうか。小説じゃエンディングはひとつだもんな。ハーレムにはしようがない」
「それもそうだけど、小説で、恋愛、美少女要素のあるゲームを再現する場合、マルチエンディングに出来ないって以上の難関があるんだよ。
 えーと、前に、『女護ヶ島にょごがしま』に恋愛要素を加えてくれって注文された話は、したよな?」
「はい。ライト文芸のカテゴリーで出すから直してくれっていう注文でしたね」
「そう。結局、時代小説のカテゴリーで出したからやらなかったけど、一応、恋愛要素を加えるパターンは考えてはみたんだ」
「姫を若にするとか、そういう事ですよね?」
「それだけじゃダメなんだ。恋愛要素を加えるとなると、『女護ヶ島』のままだとヒロインが多すぎる。姫を若にした上で、護衛の女戦士は、そうだな、俺が書くなら二人が限界だ。できれは一人にしたい」
「ライト文芸の編集部はむしろヒロイン増やしてハーレムものっぽくして欲しかったんじゃないっスかね? 逆っしょそれじゃ」
「そうかもしれないけど、俺にはできない。複数のヒロインを、恋愛要素を加えた上で全員魅力的に書くってのはかなり難しいと思ってくれ。
 最初に言ったよな? 主観をエンタメにするのが小説だって。恋愛要素を加えるだけだったら、任せてくれ。恋愛ってはまさに主観そのものだからな、恋は盲目なんて言うくらいだ。主観以外は目に入らない、それが恋愛なんだから、思いっきり主観を書けばいい。
 まず出会いのシーン、第一印象が大事だよな、どういうシチェーションで出会わせるか、そこでヒロインに対してまず何を感じるのか、驚きなのか安らぎなのか、最初は気に食わないとかいきなりひっぱたかれるとか、否定的なイメージから入って意外性を演出するのも効果的かもしれない。物語が進むにつれて、それが変化していく、気がつくと、ヒロインの事を目で追っている、気になってくる、だんだん好きになってくる、そういう、主観の変化のメリハリが、恋愛ものの真骨頂だよな」
「うん、まあ。性別を逆にすれば恋愛小説ってそういうものだね。『女護ヶ島』なら、姫は姫のままで、その主観でお供の男性を描く、という書き方なら女性向けにもなるし、そのほうがせつなくなる気がするけれど」
「せつなさはやっぱり女性主観なのかもな。
 さて、このお供を増やせって注文なわけだ。まあ、二人目くらいなら、なんとかなる、してみせるさ。タイプを真逆にするとかな。でも三人目はどうする? 主人公の主観が忙しくなってくるぞ。四人目は? 四人目にも、若は色目を使わなきゃいけないのか? 目移りしすぎだろ、多情すぎる主人公に感情移入できる読者は、あまりいないよな」
 『涼宮ハルヒの憂鬱』の描写は、この点でもすごかった。キョンの主観で、メインヒロインのハルヒの魅力を描ききっただけじゃなく、4人いるサブヒロインの、あー3人だったかな? 全員を、キョン視点で魅力的に描いてみせた。文庫本一冊の中でだぞ? 読んだ時は驚いたよ、あれは俺には真似できない、人気が出たのも当然だな」
「真似できないんですか?」
「Gさんが言う、キョンの主観描写の巧みさ、まるでゲームをプレイしているように読者とキョンの気持ちを一体化させる巧みさが、ここでも発揮されるんだ。ヒロインたちの台詞や行動、仕草の一つ一つが、ヒロインの個性を反映していて、しかも、ここが肝心なんだけれど、全部がキョンの主観視点で描かれている。キョンがヒロインを見るように、読者がヒロインを見る、それでキョンが感じる、なんだこいつ、無口だけど何かを訴えかけてくるような目が気になる、この人は年上の先輩なのに頼りないけど、なんかこう守ってあげたくなるな、キョンがヒロインを好きになるように、読者もヒロインを好きになっていく。もちろん、異性に対する感情はハルヒに対するものだけで、他ヒロインに対しての好意はちゃんと書き分ける事で、キョンを多情なキャラにもしていない。
 『タッチ』は、主観を排除して漫画、コマを割られた絵だけで豊かな情感を表現してみせた。これを誰も真似できなかった。『涼宮ハルヒの憂鬱』は、主観を徹底する事で小説、文章だけで同じ事を成し遂げたんだ」
「なるほどなー。『タッチ』の場合は、売れたから後追いで書かずに表現するのを真似しようとして真似できなかったり、揺り戻しで開き直って心の声も全部書いて説明しちゃう、せつなさもなにもない甘口ばかりになるきっかけになってしまった、って話だったよな。『涼宮ハルヒの憂鬱』の場合は、小説で同じ事が起きちゃったってことかー?」
「うん、まあ近いんだけど、ちょっと違うみたいだ。『涼宮ハルヒの憂鬱』のフォロワー、後追い企画は、形だけ真似して肝心な所を真似しなかった、間違えた、と言ってたな、Gさんは。
 何度も言っているように、主観描写の秀逸さが『涼宮ハルヒの憂鬱』を傑作たらしめている第一の要因、ゲームの楽しさを小説で表現して、『ときめきメモリアル』やビジュアルノベルに熱狂したようなゲーマーに小説を読ませることで大ヒットしたわけだ。でもここは書き手が上手すぎて真似できない、早々に諦めた、だから形だけ真似したんだ。

・学園ものでマルチヒロイン、個性豊かなヒロイン達に囲まれて一風変わった学生生活を送る主人公の物語

 という形だけをな」
「そうやって要約するとなんかミもフタもなくなるッスね」
「企画っていうのはそういうものらしいぞ、Gさんの話によると。今でも、ソシャゲの企画書とかそういう書き方で売り込んで実際にちゃんと商売になってるらしいから、形だけとは言ってもバカには出来ない、わかりやすいってのは大事な事だからな。
 それに、主観描写を諦める事で、マルチヒロインの描写は楽になった面もある。天才的な能力がなくても、魅力的な女の子達を描く方法は、あるんだ」
「んん?」
 芽宮めぐが眉を寄せる。
「小説では主観描写こそが、一番書きやすくて読み易いんじゃありませんでしたか?」
「それが一番なのはもちろんだ。だけど、それが難しいなら、別の方法がないことはない。
 主観描写は主人公の見たものしか書けない。書きやすいし読み易いけれど、読者に伝えられる情報量は少なくなる。情報の取捨選択能力、文章力、全てに小説書きとしての天才的な技量が要求される。だったら客観描写にすればいいんだ。情報量は増える、ヒロインの魅力を微に入り細に入り思う存分描けるぞ」
「でもそれって、小説としての有利さを捨ててしまう事になりませんか?」
「4人も5人もいるマルチヒロイン全員を魅力的に描こうってのが、さっき言ったように無理難題なんだから、仕方ないんだよ。幸い、『涼宮ハルヒの憂鬱』はライトノベルのレーベルで出て大ヒットしたんで、フォロワータイトルも文章だけじゃなくてイラストビジュアルをふんだんに使えた。
 イラストビジュアルに加えて、美少女ものというカテゴリーが出来た事で、強力な武器がもうひとつ手に入った。萌え、で何となく括られる、可愛い女の子を表現するためのお約束が、キャラ属性なんて呼ばれはじめてお約束として確立していたんだ。髪の毛の色だけでキャラが表現できるんだぞ? 赤髪は情熱的で黒髪は清楚、青髪は知性派、黄色はアホの娘、とかな。短い一言、記号的描写で女の子の可愛さを表現できる、小説でも使える武器だ」
「でもそればかりやってると、イラスト頼りで売れた小説とか、テンプレ描写とか言われちゃうっスよね」
「カテゴリーものっていうのはそういうもんだよ。お約束を知ってる人に対するわかりやすさは、知らない人にとってのわかりにくさ、何度も言ってるだろ? 前になんかのパーティーで、ゲームのシナリオライターの人が、渡されたヒロインの設定資料に、このキャラは長門ユキでって書いてあってさーみたいなグチ言ってたけど、それで伝わる人がいるんだからいいんだ」
「長門ユキ?」
「『涼宮ハルヒの憂鬱』のヒロインの一人。サブヒロインのはずなんだけど、ハルヒよりも人気が出ちゃったキャラじゃないかな。無口なミステリアス系、みたいなキャラ属性が、『長門』って特定のキャラの名前になっちゃう、お約束はそういうものだ。
 もちろん、お約束に頼ってだけじゃ、書き手がいる意味がない。たくさんいるヒロインをみんな魅力的に表現するために、他に出来ることはないか。視点を変えて、例えばヒロインの内面を、過去を描くのはどうだろう。『ときめきメモリアル』は面白いゲームだったけれど、そこが見えないのがストレスになった、『ときめきメモリアル』の二本目はそのストレスを弱めにして甘口になった、だったらいっそ、全部見せてしまおう、このヒロインは、主人公に対してこんな事を言ってるけれど、実は内面ではこんな事を考えてるんだよ、どうだい可愛いところもあるだろう? 素晴らしい! 主観描写だけでは出来ない、客観描写ならではのヒロインの魅力表現が出来たぞ!」
「あー、確かに、ライトノベルや今のコミックのラブコメものって、だいたいそんな感じッスね」
「なるほど」
 副編集長はメモを見ながら頷いている。
「先週、布留田ふるだ君が言っていた、『タッチ』の勘違い劣化コピー、書く事と書かない事のバランスを間違えてしまってせつなさが弱くなった、より決定的な影響を与えたのが『ときめきメモリアル』から『涼宮ハルヒの憂鬱』までの流れであると。
 マルチヒロイン、ゲームではないのに、複数ヒロイン全員を魅了的に描こうとして、一冊の中に情報を詰め込んでしまう、イラストビジュアルや、カテゴリーのお約束を借りて。
 詰め込んだ結果、追い出されたのが、せつなさ。せつなさは不安感で、ストレスだから。辛口を甘口にする、情報を増やして、主人公からは見えないはずの他人の心の中まで描写して、読者を安心させる、安心してしまう。『涼宮ハルヒの憂鬱』でヒットを受けて、まずライトノベルで、そういうマルチヒロインの美少女カテゴリー小説が増えた、それがコミックの方にも波及した。
 せつなさがなくなってしまった経緯は、そういう理解で、間違ってないかな?」
「的確な要約ありがとう、副編集長。
 実はコミックの方にもマルチヒロインのムーヴメントはあった、とGさんは言ってたけど。えーと、誰だったかな、藤島なんとかさんとか、あ、赤松健さんとか」
「議員さんですよね? マンガ家さんだったのは知ってますけど。美少女もの書いていたんですか?」
「特に、赤松さんの『魔法先生ネギま!』って作品は、美少女ゲームから生まれた『涼宮ハルヒの憂鬱』とは別の流れで生まれているのが興味深い、ってのがGさんの説なんだが。これって美少女版『ハリー・ポッター』なんだってさ」
「あ、わかった。ハリーを美少女化するんスね」
「違うって。主人公は魔法学校の先生で生徒がみんな美少女なんだよ。作者の赤松さんのやりたいことは明確だ。『ハリー・ポッター』は面白いし、ハーマイオニーは可愛い。生徒全員を可愛い女の子にすればもっと面白くなるぞ、で、このマンガは大ヒットして赤松さんの代表作になった」
「またミもフタもない……いやわかってますって、わかりやすさが大事なんスよね、わかってますって」
「余談になったな。美少女ものカテゴリーの成立についてのGさんの話はまだまだ続くんだが、長くなりすぎてキリがないんで、とりあえず、せつなさっていう要素に限ってここまでにしよう。
 副編集長、『想い出に追いかけられて』の役には立ったかな?」
 副編集長はメモを見ながら呟く。自分に言い聞かせるように。
「主人公に主観で状況を描写させる。大事なのは、読者の興味を引き続けること、快と不快のバランス。不快であるせつなさを上手く使って、ぬるくてゆるい甘口にしてはいけない。理解はできるし、私は、書ける、と思うよ。先週、布留田君に言われたことの延長だし、書き直しは始めているし」
「うん、書けるさ、副編集長なら」
「それで」
 メモからちらっと上目遣いに俺達を見やる副編集長。
「『想い出に追いかけられて』の書き直しが終わったら。また、読んでくれたりするのかな、みんなは?」
 おっと、今のはいい。副編集長の可愛いところをまたひとつ、見つけてしまった。
「もちろん、読ませていただきます」
「イヤここまで来て読めないってのは逆に嫌がらせを疑うッスよ」
「前のも面白かったけどな。どう変わってるのか、楽しみだ」
 なんだよ、NHKの感動ドキュメントみたいになってるぞ。もうちょっとビターな、それこそせつなさみたいなもんが欲しいな俺は。
 俺が『女護ヶ島にょごがしま』を書く前、格好良く戦う女の子小説のテストバージョンをいろんな人に読んでもらったときと比べると反応が優しすぎてちょっと嫉妬してしまう。編集長、お前だ、お前にもテストバージョン読ませたよな? あのときと態度が違い過ぎないかおい。
 まあ俺は大人だから口には出さずに笑ってみせるが。

「そろそろだいぶ涼しくなってきたけど、Gさん大丈夫? 風邪とかひいてない?
『年寄り扱いするな。そう言えば、前に言っていた『想い出に追いかけられて』の書き直しは終わったのか?』
「ああ、読んだよ。来週、また部室でみんなで、なんだろ、感想会? の予定だ。まったく、みんな副編集長にサービスしすぎだろ」
『どうだった? せつなさは表現できていたか?』
「いや、予想以上だったよ。高校生活の中で、過去に囚われて周囲に壁があるように感じている主人公が、友人との関わりの中でその壁を自分が作っていたことに気がついていく、そういう王道ストーリーなんだけど、主人公の主観の描写が巧みで飽きさせない、読者にページをめくらせるパワーがある。副編集長なら書ける、とは言ったけど、あそこまでやってくれるとは思わなかったな」
『なるほど、そういう処理をしたか。じゃあそう言ってあげればいい。だがくれぐれも』
「わかってるって、余計なお世話はするなって言うんだろ」
『そうだが、そうじゃない。書き直しまでするという事は、彼女はけっこう本気だぞ。どこまで本気かを、ちゃんと確かめる必要もある。その本気の強さによっては、ひょっとしたら余計なお世話をしてあげたほうがいいかもしれない。友人なら、ちゃんと想いを汲み取ってやれということだ』
「ああ、それは大丈夫。『想い出に追いかけられて』にはちゃんと書いてあるから。読めば、Gさんにもわかるよ。副編集長が何をしたいか、してもらいたいか、そういうのって伝わるものだろ? 俺達みたいな仕事をしていればさ」
『ああ、そういうことか。なるほど、お前が誉めるだけはあるな。そこまでできる筆力ということか』
「でもな、こういうの相手によっては伝わらないからな。編集長、福地、芽宮の誰かが余計なお節介をやらかすんじゃないか、って心配はしている。一番危なそうなのは、福地、かな?」
『やらかしたとしても悪意はないんだ。くれぐれも』
「もうちょっと俺を信用してくれてもいいんじゃないかな、Gさん?」
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